2017年1月6日金曜日

【Frank】MTV.com掲載〝Frank Ieroは生きてる〟

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マイケミカルロマンスのFrank Ieroは生きてる

    エモアイドルが豪州に遭った重大事故を始めて語る

記事:Maria Sherman
翻訳:@frankierojapan

Frank Ieroは最近よく死について考えてる。別に今に始まったことではありません。10年以上ギタリストとして勤めたバンドMy Chemical Romanceのテーマのひとつだった。そして最近のソロプロジェクトにも死のテーマが。昨年の秋、新アルバムParachutesのリリース直前に起こった重大事故に巻き込まれ九死に一生を得たIero。MTV Newsが事故後初のインタビューでギタリストと話した。〝こんなことは今までしたことないよ〟と彼が言う。〝こんなにパーソナルなことをしたことない。〟

My Chemical Romanceの2013年解散後、IeroがソロアルバムStomachachesをfrnkiero andthe cellabrationというバンド名でデビュー。彼はソロプロジェクトのことを愛情を込めて〝即席ホームアートプロジェクト〟と呼ぶ。
Parachutesは新バンド名Frank Iero and the Patienceと共にリリースされ、まるで日記を読んでるような歌詞とポストハードコアなサウンドがダイレクトに感情を伝える。錯乱したパワーパンクアンサムVeins! Veins!! Veins!!!、そして爆発的哀歌Dear Perocet, I Don't Think We Should See Each Other Anymoreで家族歴の一部である依存と依存症との格闘を歌う。〝真のどん底の直前までしか経験してない俺はラッキーなんだ〟と彼。〝やろうと思えばとてつもなく深い闇に落ちてしまうことは簡単にできる。〟
アルバムのもうひとつのハイライトI'm A Messはその正反対。表面では自暴自棄を称賛する曲だが、Ieroにとっては欠点を誇りとして思う曲だ。アルバムラスト9-6-15の名前の由来はIeroの祖父の命日。〝アルバムをParachutesと名づけた理由だが、まずは人生について考え始めて。俺らはみんな産まれたくて産まれたわけじゃない。まるで飛行機から押し出されたみたいなんだ。やがて来る最期に向かって急降下。ものすごいスピードで落下してあっという間に終わる人がいるし、パラシュートとして機能する喜びを感じさせる人やモノに出会って楽しく、ゆっくりと落ちていく人もいる。〟
2016年10月13日、事故の日。Frank Iero and the Patienceがシドニーで短い豪州ツアー最後のライブの準備をした。バンドは朝起きて、インタビュー受けて、そして夕方のライブ前にシドニーのTwitter社で数曲のアコースティックライブを撮影するため乗用バンに乗り込んだ。Iero、ギタリストと義理の兄Evan Nestor、ドラマーMatt Olsson、マネージャーPaul Clegg、そしてバンドのPR担当がTwitter社の前で荷物を降ろしてる最中に公共バスに追突された。
〝その次の瞬間に起こったことがHDクオリティで脳に焼き付いてる〟と彼がいう。〝全ての行動や音まで毎秒はっきりと覚えてる。あっちこっちに持ち歩いてたカバン型ペダルボードがあったけど、それを一旦置いてから振り向いてEvanとPaulに「とりあえずここでチューナー出そうかな」と言おうとしたけど、「ここで―」が口から出たか出てないかぐらいだった。〟衝突の瞬間を子供の頃に遭った痛い思い出に例える。〝高校に上がる直前に友達と公園で誰でも参加していいようなフットボール試合をやってた。その日公園で遊んでたのが身長バカ高い高校生しかいなくて、俺らをボコボコにしたくて試合に参加した。後ろからタックルされたことを覚えてるけど、事故の衝撃と同じだった。〟
一瞬の混乱が終わると、バスに追突されたことが分かったという。〝気づいたら巨大乗り物のバンパーの下にいた。俺の視点からEvanしか見れなくて、そしてPaulの声が聴こえた。見えない人や声が聴こえない人は絶対死んでる、まだ死んでなければ俺ら全員はじきに死ぬんだと思った。〟
Iero曰く、彼が生き残ったのは当時背負った〝巨大リュック〟のおかげだ。〝あれは間違いなく俺を救ってくれた。衝突された角度からしたら、リュックがバンパーに引っかかって、俺をカーブとバスの間に挟んだ。〟バスが止まるまでIeroを3メートルも引きずってた。バンドのPR担当がバンを前に引っ張ってIero、Nestor、そしてCleggを解放。〝Paulがトランクに倒れた。Evanが地面に倒れて「足の感覚がない!」と。俺がリュックを下ろして、Evanの頭の下にそれとコートを枕にして体を抱きしめた。その時Paulのケガから滲み出てた血の血の海を見た。あんな真っ赤な赤は初めて見た。どこから出ていたのか分からなかった。〟
10秒の出来事が10分のように長かったという。最悪のことを簡単に想像できるぐらいのゆっくりとした時間だった。幸い、自転車に乗った近くの警察官が事故の全てを目撃して、Cleggの足を縛って出血を止めた(おかげで一命を取り留めた)。Iero、Nestor、そしてCleggはすぐにシドニーの病院に搬送されて2週間治療を受けてからアメリカに帰国して更なる治療を。
事故後の数ヶ月でIeroとバンドメイトらが当時のことを頭で繰り返し再生した。〝開いたままのトランクドアを考えてしまう。ドアが追突されてからアコーディオンのようにくしゃとなって(NestorとClegg)の頭や腰にスペースを作った。衝突を和らげてくれた。あれがなかったらどうなってたか。俺らがまだ生きてることが不思議なぐらいだ。あの事故を目撃した人はみんな死んだと思った。〟
死にかけた経験をまだ理解しようとしてるという。〝神のような存在が影で色々操ってるなんてちょっと信じられないけど、俺が思うにはどんな最悪なことでも、全てのことに理由がある。あんなことを体験すると、考え方が3つに分かれる。1つ目は「これは俺らの誕生日だ。もらうはずのない人生のセカンドチャンスだ。これは何のため?なんで救われたの?このもらうはずのない時間でどうすればいいの?」〟
2つ目は〝一つ目ほどポジティブではない。死を直面して、人間の真の儚さと死の真の恐ろしさを直接に感じた。そしてこれはもう一度経験しないといけないことだと思い知る。恐ろしいことよ、またあんなの経験するなんて。終わればよかったと思う自分がいる。〟
〝3つ目は奇妙だ〟と続く彼。〝もしかしたら本当は死んだ、そしてこれは妄想にすぎないじゃないかなと考えてしまう。死ぬ時にこうなるかも―脳が生き続けて妄想の架空の世界を作る。PaulとEvanと話すまでは頭がおかしくなったんじゃないかと思った。でも彼らも同じ気持ちだった。その考え方から抜け出せないと。これが現実なら、自分の現実だからどうにかしなきゃ。
Frank Iero and the Patienceはあのシドニーライブに到着しなかった。事故後は2016年の残りのツアーを全てキャンセルして、次どうするか考えるためにニュージャージーに帰った。〝悲惨なことだったけど、俺はまだここにいるから今となってはポジティブなことになった、と言いたいけどね。Parachutesみたいなアルバムを書いてからこんな目に遭うなんて、冗談じゃない。出来すぎよ。〟
とりあえずFIATPは2017年のツアーを楽しみにしてる。〝時間が経つと落ち着くと思う〟とIero。〝とりあえず今は生きてる。あの時は想像すらできなかったことだ。〟