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2017年4月29日土曜日

【Frank】Jersey Beat Interview

Jersey Beat Interview: Frank Iero


取材者:Deb Draisin

翻訳:@frankierojapan


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Q: おはようFrank。久しぶりの取材だね、元気にしてる?

F: おはようDeb。久しぶりじゃね。元気してるよ、キミは?

Q: 元気よ。お互い大変な1年だったね―死や事故、狂気、失った給料。

F: それ毎日じゃろ?(笑)

Q: 確かに。お互い大ファンだから最初に聞きたいけど、この10年間で出た好きなホラー映画は?

F: Fun and Gamesは最高だったよ


Q: 教えてくれてありがとう、観てみるわ。だって最近観たホラーはみんなひどいもん。たとえばAnnabelleとか、あれすごく勧められたのに最悪だった。

F: ああいう映画って毎回がっかりするよ。The Conjuringとかさ、あれ系は全部クソじゃ。

Q: ひどいよね。American Horror Storyもひどかったよ。最近観てよかった映画はLights Out―よかったら観てみてね。

F: Get Outもすごくよかったと聞いたよ。

Q: でもね、Get Outには残虐映画の部分もあったけど、本当はコメディーに近いよ。すごく怖い映画だと期待したけど、実際観てみると笑いっぱなし。Freddy Krugerの映画みたいだった。

F: あ~ならいい。俺はそういうB級感ある映画が好きさ。新しい感じで同じことやろうとしてたらばかばかしい映画になるかもしれんけど、俺は別にB級感は嫌いじゃないよ。

Q: Vincent Priceの全作品はめっちゃいいよね。

F: じゃろ?Vincent Priceの作品なら間違いないよね。たとえばLast Man On Earthでさ、杭を打とうとしてるシーンとかさ。

Q: そうそう!

F: あんな打ち方じゃリンゴすら切れんのによ(笑)あの映画大好き!

Q: Priceは巨匠だからね。Dr. Phibes Rises Againで彼がノドの穴から魚を食べてて骨がノドに詰まって、骨をそのまま穴から引き抜くシーンとか、もう傑作だよ。Hitchcockの映画も傑作が多いよね。一番好きなクラッシクホラー映画は?

F: House on Haunted Hillかな、あれ大好き。Universalの映画はみんな素晴らしいけど、子供の頃に父とHouse on Haunted Hillを観たの覚えてる。

Q: 私も父と観てた。ホラーサンデーをやってた。

F: いいね。そうやって絶対観ちゃいけんものをいっぱい見せてもらった(笑)父が子供の時House on Haunted Hillを観たらしくて、くそビビったんだって。ケーブルから骸骨を吊るすシーン覚えてる?

Q: あのシーンやばいよね、くそウケる。

F: 映画が出た当時は映画館で実際にやったんだって!観客が大騒ぎしてて。

Q: 昔はそういうのやってたよね。あの50年代の宇宙人映画みたいにさ、ラジオでバイラル・マーケティングやって、宇宙人が本当に来るって信じてた人がいたよね。

F: War of the Worldsかい?


Q: だと思う。私そういうの大好き。Vincent Priceといえば、映画の中で観客に直接語りかかるシーンってあっただろ?ほら、手が勝手に動くやつ。

F: The Tinglerだったっけ?

Q: そうそう。Priceが観客に〝動くな!すぐそばに来てる!〟って言ってる間に映画館が電気を全て消して、席の下に仕掛けたブザーで観客をびりびりと感電させたらしいよ。今じゃ無理だろうけどさ。

F: 今やったら誰か心臓麻痺起こして映画館を訴えるじゃろうな。

Q: だよね。次の話だけど―親はいつも子供を自慢したがるから、お子さんのどこが自慢?

F: 堂々と自分でいるとこだ。貴重なことで、子供の時にしかできないことだと思う。自意識がまるでなくて、あるのはありのままの自然なユニークさだけ。そのユニークさを隠しやしない。

Q: それも親のおかげだと思うよ。自由に自分を表現していいことを促す育て方してるからこそ、子供は安心して自分でいられると思う。

F: だといいけど。そこが大事よね、そのユニークさを潰してしまうと全てがダメになる。6歳児は自意識なんかいらんよ。大人になってからは十分自意識過剰になる時間あるけん。

Q: いらないけど、同級生がそのユニークさを潰してあげるからね。あと何もかも親のせいにしてしまうとセラピーの請求書がそれなりに高くなっちゃう。次だけど、現在の悲惨な政治情勢からしたら、"I Want To Kill The President"を復活するタイミングではないでしょうか?曲名変えたらきっと誰も気づかないと思うけど。

F: いや~あれはね、高い、高い値段がついた間違いだったな(笑)

Q: 今までにない経験だったんだろうね。

F: 独り身なら別に面白いと思うけど、妻子がいるとね・・・人に迷惑かけちゃいけん。

Q: 大人になるとこうなるって教えて欲しいよね。

F: 教えて欲しいよね、ほんまに。教えてくれればもっとうまくやってたのに。

Q: 曲名変えればいいじゃん。そこまでの話よ。気づかないってば、ミュージシャンの自由だもん。

F: まぁね。若い頃は怖いもの知らずじゃけんね。

Q: でも恐れることがこの世にいっぱいだってすぐ知らされるよね。じゃさ、これから出る新EP〝Keep the Coffins Coming〟について話そう。

F: Stomachachesのツアーが終わったら、マネージャーのPaulと話してたけど、〝これからどうしたい?〟って聞かれたけど、その時はまだ何も決めてなくてさ。すると死ぬ前にやりたいことの話をした。俺は曲を書いたりしてたけど、次のアルバムどうすればいいかまだ分からなかったけど、ずっとSteve Albiniと一緒に仕事がしたいという話になった。

俺らはStevenに連絡してみると彼のスケジュールに3日間の空きがあったけん、車を借りて彼のシカゴスタジオでEPをレコーディングした。その時、新曲はI'm A MessとVeinsのデモしかなかったよ。Veinsは未完成のまま終わったけど、MessとBest Friends Foreverのフルバンドバージョン、No Fun Club、そしてYou Are My Sunshineをカバーした。その4曲がEPに収録されてる。

不思議なことで、EPのMessはデモだと思ってない。フルバージョンだけど、ただLPにあるバージョンとちょっと違うだけ。Rossとスタジオに入った時、またMessをしようかどうしようか悩んだけど、大好きな曲じゃけんやることに。2つのバージョンが大好きで、曲の始まり(EP)と終わり(LP)が聴けるって面白いと思う。どっちも正式バージョンだ。じゃけんEPをリリースしたかった―StomachachesとParachutesの架け橋なんだ。

Q: ツアー中にはどっちの"I'm A Mess"を披露するの?

F: どっちもしない(笑)ライブバージョンを披露する。

Q: 面白そうだね。お子さんの曲をカバーしてるけど、お子さんはそれについてどう思ってる?

F: いい質問だね!Lilyは大興奮したよ。ロシアでBFFをやった時の動画見せたら彼女が〝私って有名なの・・・?〟って聞いて、〝そうだな、有名かな。国際的ソングライターだ。ファンも曲を知ってるし、大したもんよ〟って。

Q: そうですね!次の話だけど、去年はFrankにとって大変な一年だったね。最愛の祖父の死(お悔やみ申し上げます)、そして自分も重大事故に巻き込まれた。その経験はアート、そして人生へのアプローチをどう変えた?

F: どうじゃろ?分からんかも。とりあえず俺はまだ生きてる。出来事への気持ちは毎日変わる。毎日思い出すし、毎日考える。自分を変えてしまう出来事だ、それだけ。どんな風に変えたかはっきり分からんけど、同じ人間じゃないってことは実感できる。よりよい人とか、そうでない人という意味ではなくて、ただ・・・同じじゃないって分かる。

Q: そうだね。バンドのみんなはどう?身体的に、精神的に落ち着いてる?

F: 回復的にはまだまだ時間かかるし、人生はこれからだ。

Q: 事故の原因は分かる?

F: 原因とかについてはね、第三者から色々聞くけど―警察の調査報告とかさ。でも今でも調査中じゃけんね。俺が分かるのはただ悲惨な事故ってことだけだ。

Q: 信じられないよね。

F: ああ、大変だったよ。

Q: キミの事故についての取材って本当信じられなかった。そんな悲惨な事故を経験するなんて。その瞬間、自分の今までの人生を思い浮かべた?

F: 少しね。その瞬間にたくさんのことが思い浮かぶし、全てが明確になる。ほんの一瞬なのにすごく長く感じる。正直言うと全てについて考える。そしてなんだか穏やかな気持ちになって全てに別れを告げる。


Q: 大変だったね・・・その後は最初何をした?自宅に電話した?

F: そう、みんなが搬送されてから電話した。まずはみんなが治療を受けることを確認した。2番目は自宅に連絡して事故があったこと、入院することになるから病院から連絡すること、そして何より、ニュースを観ないことを伝えた。

Q: そうだよね、だってニュース観ても悲惨な事故が起こったことしか言わないもんね。Jamiaかわいそうに―同じ日に家族2人が外国で入院なんて。そんなの耐えられないわ。

F: しかも自分から一番遠い国にね。つらかったよ。

Q: みんな無事で何より。

F: ありがとうDeb。


Q: 事故を経てバンドの絆が強くなった?関係は変わったと思う?

F: 変わったと思う。木曜日でちょうど6ヶ月が経つけん、みんなで集まろうと思って。そういうの経験して絆が強くならないわけがない。

Q: もう6ヶ月経つんだね。早い。でも分かると思う。だってあの瞬間、どんな気持ちだったか知ってるのはキミたちだけだもんね。次の話にしよう。もっとハッピーな話題を。キミはいつかまた大学に行きたいって言ったけど、大学に戻るなら何を勉強しますか?

F: 学士号を取得する寸前だった時に中退した。学位記があったらいいなと思う。ちゃんと最後までやればよかった。専攻といえば、どうじゃろ?当時は美術を専攻にしたけど、その時は今中退して本当の美術の世界に行くか、ここに残って勉強して就職か?っていうか今仕事あるけん、学位記の紙一枚のためなんかに残る必要ある?という格闘があった。これがチャンスだと思ったけん中退した。大学に残って美術を語るか、実際の美術の世界で生きてみるかだった。

Q: 18か19歳ならきっと同じ選択をしたと思うよ。年をとると考え方が変わるけどね。

F: そうだね。でもいつかは学士号取りたいな。まだそんな余裕ないけどね。

Q: 本当に大変だよ。私は今3年目だけど、文学士号を取得できるまで5年かかりそう。

F: だよな。長い間やってないと色々忘れてしまうじゃろうな。

Q: 大変だけど、教育が大事だと思うから自分の態度が変わる。

F: 若い頃はそこまで大事だと思わないような気がするよね。でも自分の意思で大学に戻るって目標があるけん態度が変わる。

Q: 勉強がしたいって思うからね―親のためにとかじゃなくて、自分のために。

F: そのとおりじゃ。すごくいいことだと思うけど、俺って長い間論文なんか書いてないけんね。もう出来んかも。

Q: まぁでもキミみたいに文章が得意人は問題ないと思うけどね、特に好きな美術に関しての論文ならね。本当に難しいのは試験だ。

F: そうかもね。勉強自体が一番大変だろうな。

Q: 勉強はイヤだよ、本当苦手。それじゃ、Parachutesの話だけど、好きな歌詞はある?

F: 好きな歌詞、それとも好きな曲?

Q: 両方?

F: 好きな曲は"I'll Let You Down"―たぶんあの曲は存在するはずじゃなかったけんかな。ツアー中にアコギーで書いた曲で、アコースティック曲としてしか思ってなかった。するとアルバムのレコーディング期間が一週間遅れることになって、バンドのみんなが待機常態に。せっかく曲持ってたけん、フルバンドでできるようにアレンジして、やってみようって。すると結局はアルバムの中で一番好きな曲に。

Q: 私も好きよ、すごくキャッチーだ。早くライブで聴きたいね。

F: ありがとう!楽しみにしててくれてありがとう(笑)

Q: だろう?〝いや、あの曲は別に・・・〟とか言ったらひどいだろう?好きな曲は答えたけど、好きな歌詞は?

F: うわ、なんじゃろ?ひとつだけ選べんかも。〝Nothing can hurt me like I hurt myself/
俺ほど自分を痛みつけるものはない〟かな。

Q: 共感できる歌詞だね。みんなの気持ちを代弁してる。

F: じゃろ!

Q: アーティストにとって傷心って大事だと思う?100%自分に満足したら、アートは作り続けると思う?

F: 難しい質問だな。でもつらい時にしか作れないって思いたくない。幸せも不幸も必要だと思う。苦悩や傷心の体験からアートを作ることがやりやすいかもしれんけど、そういうやり方しかないと思いたくない。絶対的条件ではないと思う。

Q: まぁでも私たちみたいな自分に満足できない人には分からないよね。

F: そうじゃろ?〝アーティストになりたい人へのアドバイスは?〟とよく聞かれるよ。俺の答えは基本的に〝冷め切った熟年夫婦関係のような生活したいならアーティストになれ。これでもかというぐらい愛してるのにアートはお前のことをなんとも思ってないようなもんさ。一生分の自己嫌悪と失望が待ってる。〟

Q: そのとおり!私の息子と息子のバンドのギタリストがこれ以上自己嫌悪してたら観客引くぞって注意されたことあるよ(笑)

F: じゃけん俺はRossとスタジオに入るのが不安だった。彼って人を圧倒するような存在だと思った―人に怒鳴ったり、物投げたりとかさ。でも本当はその反対だった!やってること全てがポジティブ。あんなにポジティブな経験は初めてだった。まずはミュージシャンを挫折させてから徐々にスキルアップさせるって音楽業界でよくあることだけど、彼は違った。挫折をさせず、今の自分をスキルアップさせてくれる。彼は今まで一緒に働いてきたプロデューサーの誰よりも刺激的だった。

Q: なんと!ポジティブ・フィードバックでうまくいったんだね!びっくり!

F: ありえんじゃろ?自分でも信じられん(笑)

Q: Parachutesの歌詞は当時の自分の心の中を表現してると以前言ったことあるけど、もっと俺のここを理解して欲しい!というところをひとつ選ぶとしたら、どこ?

F: うわ・・・難しいな。答えるならMessからの一言で〝I'm tired of miracles and being so understood/奇跡や理解されてることにうんざりなのさ。〟そこまで理解されんでいいような気がする。自分だけの秘密があっていい―とりあえず何かを作って、何かを伝えようとするんだ。正直であればそれでいい。理解されるかどうかは二の次だ。若い頃には分からんかったけど、アートの最終段階というのは世の中に解き放つこと、コントロールを譲ることだ。俺ってよく〝いやいや、これは俺のモノだ!渡すか!〟ってなったけど、大事なのはそこじゃない。一番大事なのは作品を手放すこと。ほら、親としても同じだ。いつかは子供を自由にせんと。

Q: その話はやめて!私の子育てはもうそこまで来てるから!心配なの。

F: あれほどつらいことはないよ。でもそこが重要なんだよね。

Q: 確かにそうだね。ファンとミュージシャンの境界線についてもう一度話してもらっていい?ファンの迷惑行為がどれほど恐ろしいことか分かるような一言をお願いします。

F: 覚えてて欲しいのは俺らはみんな人間だ―ファンもミュージシャンもみんな。人間ではなく、商品や神のような存在として考え始めるとトラブルに繋がる。ライブで100%出せるようにパーソナル・スペースと自分の時間が必要不可欠。

F: ライブ後にファンとよくミーグリするから、迷惑なファンが出てくるなんて驚きだ。たまにしか行けない国でライブしてるとは言え・・・

F: それも配慮しようとしてる。国によって文化は全然違うけんね。

Q: 時間を作ってくれて本当にありがとうFrank!ブルックリン公演を楽しみにしてる。

F: 俺も!ありがとうDeb。

2017年4月20日木曜日

Tattoo.com Interview: Frank Iero and the Patience

Tattoo.com Interview: Frank Iero and the Patience


取材者:Jessica Golich

翻訳:@frankierojapan


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4月18日にブルックリンのMusic Hall of WilliamsburgでUSヘッドラインツアーがスタートしますね。ツアーに参戦するファンって何が期待できますか?
Parachutesを引っ提げた初のUSツアーじゃけん、アルバムからの新曲と前のアルバムからの人気曲(B-Side曲も少し)が期待できる。新しい曲とそうでもない曲がバランスよく入ってると思うよ。
Frank Iero and the Patienceの経緯を教えてください。
Stomachachesのツアー後に次のチャプターを始まる時だなと思って。アーティストがスタジオに入ると過去のことを全て燃やしてソングライティングへのアプローチを変更する必要があると思うんだけど、そうやってアルバム作るとバンドのサウンドって変わるじゃないですか?なのにバンド名が変わらないというデメリットがある。でもこれが俺のソロプロジェクトじゃけん、今の立場じゃ俺の言うことは絶対で好きにできる。しかも俺の名前がバンド名に入ってるから毎回バンド名変えても誰が関わってるか分かるけん混乱しないよね。前回は賑やかな何かが必要だと思ったけんcellabration(お祝い)にしたけど、フロントマンという役割に慣れてきたから今回はそういうのいらないって思って。今回必要なのは深呼吸して今を楽しめること・・・忍耐という美徳が必要だと思った。 
もしキミが自分のライブをファンとして参戦するなら、どんなライブ体験が理想ですか?
みんなに楽しんでほしくて、その瞬間の完全なる共有が理想だね。お互いを助け合ってポジティブな思い出を作って欲しい。
タトゥーって芸術的な表現として社会のためになってると思いますか?
もちろん。人が芸術的でユニークに自分を表現できるって社会のためになると思うよ。
一番好きなパーソナルタトゥーとその彫り師について教えてください。
俺ってすごく恵まれててたくさんの素晴らしい彫り師にタトゥーを彫らせて頂いたし、中には友達になってくれた彫り師もいて本当にラッキーなんだ。そんな中で一番思い出に残ってるのはKat Von Dが彫ってくれた祖母と祖父のタトゥー。彼女はアーティストとして、人として最高で素晴らしいタトゥーを入れてくれた。そのタトゥーを見た俺の祖父の嬉しそうな笑顔はよく覚えてるよ。祖父が生きてるうちに見れて本当よかった、追悼タトゥーじゃなくて。
ミュージシャンとして今までのキャリアを代表するテーマソングを選ぶとしたら、どんな曲にするか、そしてその理由を教えてください。
なんじゃろ?初めて聞かれたし、あまり考えたことないな。たぶん〝マイ・ウェイ〟にするかな。かっこいい曲だし、初めて聴いた時ははっきり覚えてるよ。まだ小さかったけど、祖父が入ってたバンドが地下にあった小さな煙たいクラブでカバーしてた。いい子にしてたら週末にそのクラブに連れてってくれたんよ。すごくパワフルな曲でそこにいたお客さんがみんな一緒に歌ったり踊ったりしてたの覚えてる。自分に合ってるような気がする。今までは自分の好きなように生きてきたけん。そういう生き方が俺の誇りだ。
2017年のFIATPファンはどんなことを楽しみにできますか?

たくさんのツアー、そしてStomachachesとParachutesの架け橋になる新EPも今年リリースする予定。

もし1ヶ月間好きなアーティスト(亡くなったアーティストでも)と好きな国でツアーができたら、誰とどこにします?

ずいぶんと詳しい妄想だな!国は日本を選ぶ―めっちゃ好きな国で最近全く行ってないけん。アーティストは祖父―彼は俺の知ってる中で最もアメイジングな人だし、きっと日本も好きだったと思うけん。

ツアーとツアーの間のアルティメット休日の過ごし方とは?

絶対寝ることだ。14時間寝るとか(家じゃ絶対にありえないんだけどね)。起きたら子供たちと嫁さんとブランチを食べに行ったり、レコード屋巡りしたり(すごくリラックス効果がある)。そのあとは映画を観に行く。

最後にファンへのメッセージをどうぞ。

今回のDave Hause and the Mermaidとのツアーをめっちゃ楽しみにしてる。アメイジングなライブ体験になると思うし、絶対盛り上がるけん、ライブで会おうや!

2017年4月16日日曜日

【Frank】AXS Interview


AXS Interview: Frank Iero


取材者:Tom Shackleford

翻訳:@frankierojapan


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AXS: 去年の秋にバス事故に遭いましたが、皆さん調子はどうですか?2017年はフランクとバンドメンバーにとってよりいいスタートを切ってますか?
FI: とりあえずはいい感じだよ。今年2回目のツアーが終わったばかり―3週間ロシアにいたけど、ライブが全部最高でキッズもすごかったけど、人生で一番大変なツアーだったな。ツアー中の移動が・・・初めてだよ、あんな大変な移動(笑)。メインの移動手段は電車なんだ。じゃけん俺は最初〝なるほど、機材は荷物専用車両に積んでから席に行けばいいか〟って思ったけど、駅で電車は5分しか停車しない。5分だけだよ?なのに俺らはギター9本やペダルボード、ドラムの機材、そして俺ら個人の荷物も持ってて、5分の間でなんとか全部押し入れて席に座らんといけんよ。まるで消防者訓練みたいな感じだったよ。その最中に人が電車を乗り降りしてるし、並んで待ってるっていうわけでもないし、とにかく我先にと電車に強引に乗ろうとする。機材も全部なんとか電車に入れてからは22時間の旅がスタートするけど、その途中で降りる時も同じ混乱の渦に巻き込まれることになるって気づいて軽く絶望する。
AXS: 5分以内に機材とか乗せなかったらどうなる?
FI: 分からんよ。それが怖くてとりあえず間に合うようにした。移動のストレスのせいで腸に潰瘍が3つ出来た気がするわい。そして最高なのはさ、混乱を乗り越えて無事機材を乗せたとしても、夜に到着駅に着くとランプやエレベーターが一個もないよ。まぁでも生き残ったけん、俺らの勝利とする。
AXS: ポストMy Chemical Romanceの2つ目のアルバムのツアーサイクルに入って6ヶ月だけど、今回のアルバムやライブはStomachachesに比べてどうですか?
FI: 6ヶ月が経ったけど、事故などあってまだ2つのツアーしかしてない。でももう2度とプレイできないと思ったけん、これが第2の人生で自分のやることやクリエイトすることもある意味で一新したという感覚はある。ライブがどうかというと、すごく元気をもらってる。今回のアルバムや曲はライブに持って来いなんだ―ライブでやる必要があるようなアルバムだから。アルバムの進化や変化については、初めからすごく非現実感があったから、毎ライブで違う感情が湧き出るんだ。本当すごいよ。
AXS: アルバムは刺激的で心からのサウンドだけど、フランクにとってParachutesってアンプの音を上げた感情を打ち明けるシンガーソングライター風のアルバムだと思いますか?
FI: 実はそれについて考えてたけど、アルバムは基本的にフォークだ。Stomachachesもそうだったけど。シンガーソングライターの弾き語りを思わすところがあって、そういって意味ではフォークとして扱っても違和感ないと思う。そしてStomachachesからParachutesの間ですごい進化が感じれる。それが次どうなるか分からんけど、それも考えてるよ。どう次に繋がるか楽しみだ。
AXS: ParachutesではRoss (Robinson)と一緒に非常に短い間でレコーディングしたけど、その場で曲を仕上げるプレッシャーはありましたか?
FI: それが問題だった。17日間しかなくて12曲をレコーディングしたかった。実はそれよりもたくさんの曲をやりたかったけど、時間がなくてね。じゃけん初日から曲の選別作業に取り掛かって、これはキープでこれはカットの繰り返し。12曲をやらせるようにRossと戦ったっていうか、説得させんといけんかった。〝この12曲をやらせてくれるなら何でもします、最後の2曲がないとアルバムに意味がないから〟と頼んだ。結局は全部やったけど、スタジオに入る前からどんな風にしたいかしっかりと頭に入れる必要があった。唯一の不確定要素は最初俺がベースをやろうと思ってたけど、全曲を生レコーディング出来るようにSteve Evettsにベースをお願いすることになった。彼が一緒にスタジオにいてくれたこと、みんなと一緒にプレイしてくれたことがアルバムにエネルギーと強烈感を。
AXS: もう一度やるとしたら同じようにやろうと思いますか?
FI: 音楽的には同じようにレコーディングすると思う。あとやりたかった曲が全部レコーディングできるようにもう1日や2日ぐらい伸ばしたかな。そして喉が休める時間も入れて、一週間ぐらい空けてからボーカルをレコーディングしたかな。俺らのやり方でボーカルを全部終わらせるために病院で2回もステロイド注射を。初日から17日目までずっと100パーセントで歌ったけん。Rossとレコーディングして面白いなって思ったことは、俺らをみんな同じ部屋に入れてプレイしながらボーカルもやらせるんよ。彼ってボーカルを別でレコーディングするのがあまり好きじゃなくて、生でレコーディングした狂乱したボーカルの方を使いたがる。でも理想は喉に1週間半の休みを入れることだな。でっかい針でケツが刺されるのイヤじゃけんね。
AXS: ライブでやって楽しい!って思う新曲は?
FI: I'll Let You Downが最初から俺のお気に入りだ。あの曲はイギリスのツアー中、深夜にアコギ一本で書いた曲で当時はただのアコースティック曲だ思ってた。Rossとのレコーディングが始まる直前に何か問題があって、レコーディングが急遽一週間ずらすことになった。その間にずっとリハしてた曲をやりすぎちゃいけんって思ってI'll Let You Downをやろうって。バンドとしてプレイできるアレンジを思いつきで書いて、のちのちはアルバムに入ることになっちゃった。今じゃ俺の大好きな曲のひとつだ。存在しないはずの曲の割にはすごくうまくいったよ。
AXS: 僕は2000年のニュージャージーで10代を過ごした人間として、ニュージャージー/ロングアイランド周辺出身のバンド(My Chemical Romance, Senses Fail, Taking Back Sunday, Brand Newなど)が10代のキッズに与えた影響をよく覚えてる。振り返ってみると、あれがコマーシャルロックの最後のムーブメントだと思いますか?
FI: うわ、どうじゃろ?分からんな。やってる側の人間としては、えっ?人ってこれに注目してんの?って感じだった。ブームになるなんて誰も思わんかった―だってそういうことって普通ないじゃん。リハに使ったスタジオにメジャーレーベルからの電話が来ることが、少なくても俺らにとっては夢のようでなんかバカバカしかった。俺らはそういうの無視してとにかく一所懸命努力した。そういうムーブメントがまた起きるかというと、なんだろ?もう起こらんでもいい環境になってきたような気がする。今は自分で音楽を出せる方法がいくつかあるからね。自分の音楽を広めるためにメージャーな企業に頼らない傾向があると思う。そういうのがまた起きるか?さぁな。起きる必要はあるか?たぶんない。それがいいんだ。

2017年4月10日月曜日

【Frank】Rock Sound "The Ressurectionist"

Rock Sound: The Ressurectionist


記事:Rob Sayce

翻訳:@frankierojapan


〝未来のことか・・・〟フランクは深呼吸して指の関節で胸を軽く叩く。長い間のあとに彼はくすっと笑う〝正直、まったく分からん!とりあえず1日1日生きるようにしてる。だってそれしかできんけんね。俺らの人生って予測不可能・・・だからこそ音楽を作ったりまたツアーに出たりして自分の運命を自分で決める。自分の経験で定義されてたまるか。〟

人生は残酷で変わりやすいもの、そして一瞬にして全てが変わる。しかしこの事実をフランクほど知ってる人はいないでしょう。2106年10月13日、彼と彼のバンドThe Patienceが重大自動車事故に遭い、かろうじて生き残った。豪州シドニーで機材を下ろしてる途中でバスに追突されて元マイケミのギタリストとバンドメイトやマネージャーが巻き込まれて大怪我を。体も心も今現在回復中。ツアーライフを辞めるきっかけになってもおかしくないほどの大惨事・・・しかしフランクは辞めなかった。

〝回復って一直線じゃないよ〟と彼はいう。彼はエモベテランTaking Back Sundayと一緒にツアーに出て、5月のSlam Dunk Festivalに出演も発表されて、そして新EP〝Keep The Coffins Coming〟のリリースに向けて準備中。なのに彼が今後の予定を話すとなんだかまだ何もはっきり決まってないような口調だ。まるでこれが現実じゃないような。

〝渋滞にハマってふと窓の外に目をやると「この街に二度と来ないと思ったなぁ」ってなる時が。しばらくは平気で、でもその2日後は今までにないぐらい落ち込む。その時こそ、自分は本当によくなってんのか、この気持ちっていつか変わらんのんかと自問する。つらくて耐え難いプロセスだけど、強く踏ん張るしかない。前の自分にはもう戻らない。〟

〝しばらくは―少なくても2ヶ月ぐらい―音楽なんてもう無理だと思った。すると色々考え始めたけど・・・何も抵抗しないまま自分の好きことが奪われるって本当につらくて。俺が決めたことじゃなくて、ただ俺から無理やりに奪われるんだ。だから思った―このまま音楽が奪われてもいいのか?それともくそ怖いけどやってみて、まだプレイできるかどうか試してみようか?って。できるかどうか知りたかったんだ。でも復活ライブのステージに上がる前まではどうなるか分からんかった。最近はやっと調子が戻ってきた。〟

新EPのタイトルが事故のことを連想させるけど、フランク曰く事故の遥か前から決まったタイトルだ。アルバムは音楽の力へのカタルシス感満載でフィルターなしのラフな称賛。今じゃ特に痛感できるテーマだ。

〝今回のEPは(2014年の)StomachachesとParachutesの架け橋だと思う。Stomachachesのツアーの終わりにどうすればいいか分からずにいた。すると「じゃお前が何よりしたいことは?」って聞かれた。11歳の頃からSteve Albini(レコーディングエンジニア、NirvanaやHelmutなど)と一緒に仕事がしたかったけん、彼に連絡してみた。子供の頃に好きな女の子に「好きか嫌いか、ひとつ選んで」みたいな手紙を出すような気持ちだった。幸いSteveが好き!って選んでくれた(笑)〟

〝時には純粋に自分の刺激になる、自分の魂をワクワクさせるようなことをやるがいい。俺はトラックを借りてシカゴに行った。Steveのスタジオで数日寝泊りしてて最高に楽しかったよ。EPにはI'm A Messの初期バージョンやYou Are My Sunshine―子供の頃から大好きだった悲しい歌なんだけど、今は自分の子供に歌う曲だ―が入ってるよ。聴くとまるで俺らと同じ部屋にいるみたいだ。俺にとってタイトルはポジティブな意味合いを持つ。音楽作りの難しいところのひとつは作品を放っておくこと。諦めた曲を放っておかないと新しい作品が生まれない。次のプロジェクトにいけるようにその曲たちと一緒に過ごした時間に感謝することが大事。〟

次にいくって簡単に言えることだけど、実際にやるとなるとかなり大変だ。フランクは音楽に対していつもオープンで正直にやってる―彼と彼のバンドを苦しめた事故のことに対してもそう。簡単な答えなどないけど、彼らは前向きに進もうとしてる。

〝事故の途中で、俺はもう存在しなくなることを受け入れた。その時に思ったのは「子供たちの成長くそ見たかったな」。そこで俺の人生の一部が終わった。時には空気がより新鮮に感じたり、料理がより美味しく感じたりして、俺はここにいる意味があると感じる。またある時は「俺って本当は死体になって脳神経がわずかに生きてるだけ、それがこの現実を作ってる」と思うことも。だってそうじゃないって証明できんじゃろ?でもその事故への恐怖がすこしずつ減ってきてる。色んなことに慣れてきてる。〟

〝人生って山登りじゃない。てっぺんに着いて終わりとか、そんなんじゃない。頂上に着いたと思ったらまた次の山が見えてくる、もっと高い山が。俺は登り続けたい、それ以上は望めない。もう十分だって満足なんかしたくない。〟

複雑で予測不可能―準備万端の時でもツアー生活は大変で誰もが疲れる生活だ。バンドのスケジュールがすごいスピードで埋まっていく中、詰め込みすぎることを心配してないのか?

〝今はちょっと圧倒されてしまいそうだね。こんなにもたくさんの素晴らしいチャンスを与えられてさ、断りたくないよ。去年の事故のあと、全てがすごくむなしく感じたせいか、今はどんなチャンスでも捕まえたい。ちょっとやりすぎじゃないかって言われたらそうかもしれんけど、でも俺は恐怖を感じさせてくれる、生きてるって実感させてくれることがしたい。〟

彼は笑って、肩をすくめる。

〝その後のこと?さぁな・・・〟

2017年4月6日木曜日

【Frank】Punktastic Interview: Postcards from Slam Dunk

Punktastic Interview: Frank Iero



取材:Glen Bushell

翻訳:@frankierojapan



英文はこちら



Slam Dunk初出演ですね!気分はいかが?

めっちゃ楽しみにしてる。このフェスの話はよく聞いてたし、友達がいっぱり出てるって知った時はほんま嬉しかった。
過去にはもちろん大きなフェスに出演した経験があると思いますが、こういうイベントでセンターステージに立つってどんな気持ち?
フェスによって違うと思う。ライブやツアーが毎回異なることと同じだ。フェスがよく管理されてて、裏で動いてるみんなもしっかりしてれば全てがうまくいくし、みんな楽しいよ。
FIATPのSlam Dunkセットって何が期待できますか?ライブ会場でのライブに比べてセット変わります?
ライブ会場のセットとフェスのセットのアプローチは違うね。ライブ会場なら選曲で観客を旅に連れて行くことができるけど、フェスはどっちかというと戦場に近い。人の短い集中力を30分で全力攻撃しなきゃならない、そしてなんとか覚えさせてもらわなきゃ。頭部に命中することが全てだ。
出演したフェスから参加されたフェスまで、思い出に残る出来事ってありますか?
出演者としてフェスに出ても、同時に観客として参加することがほとんど。早めにスケジュールもらって、できるだけたくさんのバンドを見に行くことも、バンドのバイキングみたいで、普通のライブじゃ同じステージに出ないバンドが見れるっていうところもすごく好き。2年前はGroezrockに出たけど、ヘッドライナーがRefusedだった。ほんま最高で衝撃的なセットだったよ。その日はBaneやAmerican Nightmare、Knapsack、Mighty Mighty Bosstones、Agnostic Front、Joyce Manorも見たよ。
...よくない思い出は?
数年前はNJでフェスをやったことあるけど、レンタルしたステージが新しい安全規制によって全然使えなくなったことがフェス当日で分かって、結局はグラグラするようなベニヤ板で新しいステージを組むことになったけど、ステージって言っても2つにステージを組み合わせたみたいな感じだった。それで出演時間がめちゃくちゃになって、俺のバンドLeathermouthが雨の中で他のバンドと同時に、しかも同じステージで演奏することになって、雨で感電しないように機材をゴミ袋でくるまなきゃいけんかったし。その上に、あとから聞いたことなんだけど、サウンドの担当者が最初の3曲ぐらいボーカルマイクのスイッチ入れたなかったらしいよ。最高じゃろ。
UKにいるファンとの関係はどうですか?
相思相愛って感じで真剣に付き合ってる。まだ同居してないけど、あいつらの家で歯ブラシと着替えを置いてる。
You released ‘Parachutes’ last year. How have you found the reaction to 
昨年はParachutesをリリースしたけど、アルバムへの反応はどうですか?
この数ヶ月でParachutesを引っ提げたツアーが出来てすごくラッキーだと思ってる。ファンが見守りながら曲が生命を宿すことが見れて幸せだ。地下室で曲を始めて書いた時からずっと見たかったことじゃけん、それが実現できて全ての予想を遥かに超えてた。これ以上嬉しいことないよ。
ParachutesがStomachachesのすぐ後にリリースされたけど、ふたつのアルバムはどう違うか、そしてアルバムとアルバムの間で何を学びましたか?
実は学んだことがたくさんあったよ。Stomachachesのツアー中に自分の声域とライブで無理せず歌える範囲が分かるようになった。Stomachachesがプライベートで何も考えずに作ったプロジェクトだけど、Parachutesはその正反対だ。Stomachachesの曲を聴いてるというよりは盗み聴きしてるような感覚にしたかったけど、Parachutesの曲は一発目から殴りかかるような感じにしたかった。どのようなサウンドにするかは曲次第だった。
Slam Dunk後の予定は?
さっぱり分からんな、でもそれっていいことだと思う。近い将来的に言えばたくさんのツアーと新しいEPのリリース。でも全体的に言えば、とりあえず波に乗ってどこまでいけるか見てみようと思ってる。
最後に、フェスでフランクのことをご存知ない方がいるかもしれないけど、Punktastic読者はなぜフランクのセットを見逃してはならない理由を教えてください。
ごめん、俺って中古車のセールスマンじゃないけんね。知ってる人は知ってる、知らない人はきっと知ってたらよかったのにって後悔すると思う。

【Frank】Getting Into Heaven Can Be Hell歌詞和訳

Getting Into Heaven Can Be Hell


歌詞:Frank Iero
翻訳:@frankierojapan



天国への道は地獄
Getting Into Heaven Can Be Hell

お前の神様に全てを正すようにお願いする時が近い
It's almost time to ask your god to make it right

偉大なるデザインに致命的な欠点さ
A deadly flaw in the grand design

真っ黒な心が天才を成長させる
A black heart feeds a brilliant mind

俺らってなんて多才なんだ、なんて多才なんだ
We're so well rounded, we're so well rounded

そうさ、お前は囲まれた
Yea you're surrounded

俺らのルーツは流血への欲求に根差してる
Our roots are grounded in blood lust

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死亡者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

不満だけど、気分は最高さ
I'm unsatisfied but I feel great inside

そして全てが計画どおりにいけば、
If everything goes according to plan

今夜お前がここに来ることはない
There's gonna be a lot less of you hanging around tonight

俺の目は何も見えてない
My eyes are blinded

拳をしっかりと握ってる
My fists have tightened

鼓動が興奮してる
My pulse excited

狙ったものは外さない
My aim is true

最近はみんな見失ってるって世間が言う
They say these days we've lost all sight

自分ら自身を見失ってるって世間が言う
They say we've lost ourselves

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死亡者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

汗がシャツ染み込んで行く
I feel the sweat drip down my shirt

血をどれぐらい流したらこの乾きは癒される?
How much blood to quench this thirst?

余分の血が地面に溢れていく
The overflow will soak the ground

しかし失われた命は二度と見つかることはない
But these lives we've lost we've never found

チクタク、チクチクチクタク
Tick tock, tick tick tick tock, 

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

お前には時間がもうないぞ
Your time is running out

この血はお前の血、この血は俺の血
This blood is your blood, this blood is my blood

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

2017年2月21日火曜日

【Frank】Kerrang!2月号掲載The Darkest Day

最も暗い一日



Frankが2016年10月のバス事故を語る


記事:Hannah Ewens
翻訳:@frankierojapan

事故当日はどんな日だった?

俺らはシドニーのパークストリートにあるTwitter事務所の前だった。アコースティックのミニライブと生のQ&Aをしてから会場に向かう予定だった。俺と義理の兄Evan(Nestor、ギター)、マネージャーのPaul(Clegg)とドラムのMatt(Olsson)がバンから降りて荷物を降ろすためにハッチバックのトランクを開けた。俺は金属製のペダルボードケースがあって―面白いことは11日間に5つのフライトに乗ったけど、俺は毎回ケースのことが気になって―だって俺の大切なペダルが全部入ってるから―必ずチェックインじゃなくて、機内に持ち込んでたんだ。結局はバスにひかれちゃったけど、中身は無事だったよ。不思議だろう?それでケースをカーブに置いてしゃがんだまま開けた。するとみんなに〝とりあえずチューナーだけ出してあとはおいていくよ〟と言おうとしたけど、〝とりあえずチューナーを…〟までしか言えなかった。その瞬間に何かがぶつけて来た。

その瞬間に何を思った?

一瞬のことだったよ、タックルされたかのように。腕の下のところにぶつけられて、気づいたら二階建ての市営バスのバンパーの下だった。俺の視点からバンとバスのバンパーの間に足が挟まれたEvanが見えた。Paulの叫び声とカッシャンという音も聞こえて。どうなってるか見ようとしたけど、ガラスの破片がぶつけてくるから顔をそむけることに。ガラスの破片が雨のように降ってきた。タイヤの衝突がいつくるかと怯えてた。

どうやって生き延びたの?

砂漠の嵐作戦に使うようなでかいミリタリーリュックを背負ってた。俺っていつも荷物を詰め込みすぎてよくバカにされるけど、あのリュックがカーブの間に挟まれて、俺の腕がバンパーの下に引っかかって、道の溝に引きずられた。バスが衝突してきた時は止まらず、俺らを3メートルぐらい引きずっと。今でもよく頭に浮かぶんだ。音とともに脳裏に焼きついてる。事故自体はほんの数秒の間の出来事だろうけど、俺にとっては20分ぐらいのことのように思えた。自分が何を感じたとか、何を思ったとか、全てのことをはっきりと覚えてる。考えたことを覚えてるよ―〝運転手ってぶつけてきたこと分かってるよね。なんでバスは止まらないんだ?先にやれるのは足か?それとも体ごとひかれるのか?もう終わりだ。〟

バスが止まってからはどうなった?

バスが止まってもガラスの破片は降り続いてた。Mattがどこにいたのか分からなかった。Paulがバンを運転してた豪州のPR担当にバンを前に出すように叫んだの聴こえて、前に出したらPaulとEvanが解放された。Paulがバンの後部に倒れて、そしてEvanが俺の前で道に倒れた。彼が〝足の感覚がない〟って言ったの覚えてる。その時は彼が生きてるって分かったけど、麻痺してるかもと思った。俺はバスの下からなんとか彼の元へ。するとPaulと、Paulの下からどんどん出てくる今まで見たことないほどの鮮やかな赤が見えた。俺はEvanの頭を抱えて、リュックをなんとか下ろして、そして彼の頭の下にジャケットを敷いた。その時にMattが来て、彼も生きてると知った。そこから人だかりが出来た。ヘリコプターが来ると誰かが言った。医者がヘリに乗ってきて、警察も来てて、そのひとりがPaulのケガを処置してた。その警察官が傷にあったとこのズボンを切って、あんなにひどい傷を見たことがない。あんなの見ると、人間がどれほど無力か実感できる。俺、サメに襲われたことないけど、同じような体験だと思うよ。バスの無表情の目だろうが、サメの無表情の目だろうが、何も出来ないまま食いちぎられるんだろうな。そのとてつもない強い力の前では抵抗できないんだ。警察官がPaulの足を縛って出血を止めようとした。それが間違いなく彼の命と足を救ったと思う。すると救急隊員がEvanのケガを処置して、俺らを救急車に乗せて様々な薬を打って病院へ。

事故直後の回復はどれぐらいかかった?

PaulとEvanに手術が必要だったため、俺らは2週間ぐらい入院した。飛行機に乗れるように豪州でリハビリを始めたけど、一番心配だったのが血栓だった。医者は席に座れるように、フライトに耐えるようにまで回復させるのは目的だ。皮肉なことに、次の日に俺らの豪州ビザが切れてさ。だから医療ビザを申し込んだが、却下された。豪州で住所がなかったけん、〝住所が病院だ〟って言って再び申し込んでみることに。そして帰国してから2日が経ったころ、またビザが却下されたっていう通知が届いた。

米国での回復は進んでる?

豪州で軽いリハビリはやったけど、帰国すると週3回の過酷なリハビリが始まった。俺は足の靭帯損傷、そして腕と肩の腱炎、筋断裂を患った。肩はうまく使えない。筋トレはすごく役に立ってて、球関節の位置を保ってる。その違いは確かに実感できる。肩にステロイドの注射をもらってるし、結構いいよ(笑)でも針のサイズが恐ろしい、あんなでかい針見たことないわ。すごくいい先生がついてるから、役に立つ薬物を打ってくれてるといいな!

【Frank】Kerrang! 2月号掲載The Heartbreak of Frank Iero

事故の核心


記事:Hannah Ewens
翻訳:@frankierojapan


今年のバレンタインデーにFrank Ieroが自分のことを誰よりも愛するUKファンのもとに戻る。昨年の10月に恐ろしい事故に遭って辛うじて命を取り留めたFrankがここまで来ることが実に奇跡に近い。ここでFrankが初めてあの日のこと、そして愛と人生、死について語る。


事故があった4ヶ月前から、Frank Ieroはあの日のことをよく考えてしまう。ぶつけてきたバスのことや衝突直後の一連の動作。全員無事生き残ったことも。〝思い出す引き金になることがあって〟とニュージャージーの自宅から話すFrank。〝最初は駐車場にいることだって辛かったよ。周りに自動車の音を聴くことも。車を見てるだけで事故のことが頭を横切る。今は車の運転が出来るまで回復したけど、たまにちょっと危ない運転に遭うとやっぱり辛くなる。しばらくはうまく眠れなくてね。ずっと頭のどこかにあるよ。そればかり考えないようにはしてるし、気にしない日もあるけど、落ち込む日もあるね。〟

昨年の10月13日に豪州でバンドThe Patienceと一緒にツアーバンの荷物を降ろしてる最中にFrankとバンドメイトとクルーが市内バスに追突。その後のニュースがイライラするほど少なく、ファンに渡った唯一の情報が重大事故があって、ケガはしてるけど命に別状はないということだけだった。次に入ったニュースはその後の2016年ツアーの全キャンセル。彼らの新アルバムParachutesが同じ月の後半にリリースされて、本来ならステージで新アルバムの曲をプレイしてるはずのFrankとバンドメイトが長くて辛い回復とリハビリに励んでた。半分は身体的な回復―入院と理学療法でケガを治すこと。しかしそれより大変だったのは心の傷を治すことだった―自分に起こったことを理解して、どう受け止めるかを。

〝事故に遭って、その後平気でいなきゃいけんって不思議なことで〟とFrankが説明する。〝精神的にたくさんの変な考えが次々と出てきて、最初は怒りが沸いてきた。あまりにも理不尽な出来事だったからね。ほかのみんなと比べてあまりケガしてないことを申し訳なく思うところもあるし。そして本当は死ぬはずだったんじゃないという圧倒される気持ちもある。事故を目撃した人はみんな俺たちが死んだと思ったんだ。豪州の医者たちに言われたよ、宝くじを二度と買うな。キミたちはもう一生の運を使い果たしたんだからって。これは俺らの第二の誕生日だ、人生をやり直すチャンスだっていう気持ちになる。俺らはここにいるはずではない、だからこそ俺らは行動すべき、体験すべき、そして世界を変えるべき。だってこんなにも素晴らしい贈り物を頂いたんだから。人が聞きたいのはそういうことだって気づいた。それに気づくって困難を乗り越えて大丈夫だってことだと思う。そう感じる自分もいる。

全てのことに理由があるという。Frankもそう思う、そして事故のことを考えるとそう信じざるを得ない。〝事故までの全てのことが俺らの生存に繋がった〟と彼は思い出す。〝トランクを開けたことによって俺らの頭を守ったことや、ペダルボードを拾うとしてしゃがんだことでバンとバスの間にじゃなくて、バンのバンパーの下に入ったことなど。とにかく全てが奇跡だった。〟

しかし前向きな考えばかりではなかった。形而上学的な一面もあったという。〝俺らって本当に生き残ったん?それとも死ぬとこうなるの?と思ってしまう自分がいる。脳は機能し続けて、もうひとつの現実を作ってるかもって。もしかしたらこれは現実なんかじゃない、死んだ体に脳が活動してるだけかもって。するとこう考え始める:何がともあれ、こんなに時間が経ってるから現実だろうが幻だろうが、これが俺の現実だ。俺はここにいる。だからなんとかしなきゃ。〟

簡単に言うと、Frankがその日に体験したのは臨死体験。FrankはKerrang!に自宅のことを想像してみてと言われる。一度も行ったことがないのに、なんとなく想像はつく―ドアや窓、壁など。彼曰く、彼の自宅が想像できるように、死も想像できる。〝死がどういうことか想像できる。〟しかしその想像はあまりにも漠然としてる。Frankと違って臨死体験をしたことがない我々の想像は間違ってる。

〝その瞬間に全てが信じられないぐらい明確でクリアになった。たくさんのことに気づいた、まだ言葉にできないこともある。命や人間、身体の儚さは驚くべきだ。人生がいかにも壊れやすくて特別なことが一瞬で分かる。瞬く間に残酷に奪われることになるなんて、目からうろこだった。死神に会って握手を交わして、そしていつかはまた会うことになると分かるって怖いことよ。と同時に、言っていいかどうか分からないけど、ちょっとがっかりだ〟と彼は言葉を選びながらゆっくり言う。〝一度だけで終わる人っているけど、俺は2回も経験しなきゃいけないってなんか不思議な気持ち。受け入れるまで時間がかかることだ。まるで未来を見ていて、避けられないことを経験したみたいだ。〟

その避けられないことにFrankが最愛の祖父を亡くしてからまだそんなに時間が経ってない。彼曰く祖父の存在は〝全て〟だった。Parachutesのインスピレーションにもなった。〝いつか自分の愛する人もこれを経験するってことに気づいた。自分はまだここにいることに感謝する自分はいるけど、もう二度とそんな経験しなくていいように、その場で終わって欲しかったっていう自分もいる。悲しい意味でとか、落ち込むような意味じゃなくてさ、ただそれが現実だ。人生に一度であるべきの経験ってあると思う。そしてこれがそんあ経験のひとつだと思う。事故前と同じ人間じゃない気がする。いや、実感できる。〟

Frankの最新サウンドに慣れてきたParachutesの中盤で、静かな音が彼の叫び声に爆発して、激しいギターとディストーションたっぷりのDear Percocet, I Don't Think We Should See Each Other Anymoreは吠える不安満載の2分ちょっと。「まだ死にたくないんだ/ただ覚えられたいだけさ/切望の目でボーっとして人生が過ぎ去っていくの見るなんでごめんだ」とFrankが叫ぶ。これもアルバムもFrankの生と死への執着心を表す。「今に生きたい」と同時に自分のレガシーを考える。アルバムのラスト9-6-15は祖父のために書いた曲、そしていつか我々の時が来ることを思い知らせてくれる。事故直前に書いたアルバムだなんてゾッとする。かろうじて一命を取り留めたためにステージで披露できなかったこのアルバム。そしてアルバムの中の葛藤とライフレッスンを再認識するきっかけになった今回の事故。なんて数奇な運命。

そう彼に伝えると〝奇妙なことじゃろ?〟と答える。〝バスのタイヤに弾かれることを待ってた瞬間に思った―最後のアルバムはずっと作りたかったアルバムでよかった。なんだかホッとした。〟

Kerrang!が昨年の9月にFrankを取材した時、彼がアルバムタイトルのParachutesをこう説明してくれた―〝愛すること、喜びや幸せを感じさせてくれることが俺らを救ってくれる。〟だったらFrankのパラシュートは何だ?ひとつの答えは妻Jamiaと3人の子供―双子の娘CherryとLily、そして息子Miles。事故を経験して、自分の父親としてのあり方、そして夫としてのあり方を考え直すきっかけになった。

〝本当に大切なのは何だとか気づく時、以前大事だと思ったことがもしかしたらそんなに大事じゃないかもって。回復って不思議な生き物よ。あえて言うとワガママになっちゃいけん時がある。少しは自分の心配をしないと、完全回復できないし、なりたい父親や夫にもなれない。でも家族関係からいうと、言葉にするのは難しいけど、その変化は毎秒感じてる。

豪州で何があったか、まだ子供たちに話してない―まだ幼いからだという。家族の大切さをより一層実感したFrankにとって、ツアー中に家族と離れることが簡単ではないにも関わらずUKとヨーロッパのツアーがどんどん近づいてる。〝子供に言ったらは言ったで余計に怖がらすことだけになる。だから子供たちは俺がツアーに出ることを心配してなくてよかった〟とFrankは言う。〝でも個人的にはまだ(ライブが)できるかどうか知りたかった。この生活しか知らない、やったことない。俺を人間として成長させた。それに好きなことだ。嫌いという気持ちより55%好きなんだ〟と笑う。〝戦いもせずにその人生の一部が奪われるなんてごめんだ。そうはさせないぞ、と。それに今回のアルバムはもっとも誇りに思ってるアルバムだから、アルバムの曲を生で弾かないなんて絶対永遠に後悔するって思って。〟

Taking Back Sundayのサポートとして参加する今回のツアーのUKライブは1年でもっともロマンチックな日、バレンタインデーにスタート。しかしそんな特別な日は家族と一緒に過ごせないことは特に気にしてないみたい。〝1日だけ愛情を表すなんて俺のスタイルじゃない。毎日表すべきだ。〟彼にとって、愛情表現とは〝大切にされてること、愛されてることをどんな時にでも見せてあげること。認めるかどうか別として、人って愛されたいんだ。無条件で本当の自分を受け入れて愛してくれる人を求めてる。〟

Frankは若い頃からそのような無条件な愛を知った。〝俺と妻の場合、運命の人だとかなり早い段階で分かった。若かったから、まだ成長が必要だと分かったし、19才で結婚するわけじゃなかったし。でも同時に、普段人をイライラさせるようなことが俺らの人生に頻繁に起こるって分かり切った。そういうことが起きると「これって別れるほどのことか?」とお互いに聞いた。そうじゃなかったら忘れろ。それが俺らにとって大事なことだった。もちろん俺らも人間だから、色々あったけどさ、でもやっぱり最初から「これだ、これは本物だ」という実感はあった。ベタに聴こえるかもしれないけど、本当のことだからベタなんだ:運命の人に会うとまるで爆発のようですぐに分かるんだ〟と彼は微笑む。〝出会わない人もいるかもしれないし、ずれたタイミングで出会うかもしれない。でもその出会いをしっかりと大切にして難しい時も乗り越えようとしたら、美しくて甲斐のある人生を一緒に作れるよ。〟

そしてもうひとつの愛がある。それは音楽への愛。〝あ~〟と笑うFrank。〝あれはめったに返してくれない愛なんだよね。無条件でロマンチックな愛っていうよりは依存症みたいな愛だと思う。ハイをじっくり味わって、ローを憎む。でもやっぱり音楽の元に戻るんだよね。時には神のような気分にしてくれたり、またある時は精神を破壊する。うまく付き合ってキャリアにできるすごい人はいるけど、依存に溺れて人生を台無しにする人も。他のことと比べ物にならないよ。〟

幸せになるためには両方が必要かと聞かれたら、答えははっきり〝イエス〟だ。〝家族がいなきゃ人生に絶対に満足してないと思う。そしてクリエイティブなことをしてないと人間として満足してないと思うね。〟

Frankに釣り合いがある。しかし障害物もある。家族と離れることだけではない、ギターを弾くことだ。彼はリハビリで今まで何気なくこなした基本中の基本のことを一から学び直すことに。〝ギター的にはプレイスタイルが変わったような気がする、持ち方だって違う〟と告白する。〝できることを最大限にして、感じる痛みを最小限にしようとしてる。〟

練習とフラストレーションと上達の繰り返し。しかしThe Patienceの初ライブまではいけるかどうか分からない。

ニュージャーシーのStarland Ballroom、土曜日。Circa Surviveはライブの準備を着々と進めてる。しかし本番前には見知らぬバンドAerosniffがサポートとして出る。最悪の場合?ローカルなエモバンド。最高の場合?風邪気味のAerosmith。そしてパンクロックを派手に演奏したあと、Aerosniffが正体(Frank Iero and the Patience)を明かす。しかも誰も気にしてない。しかしバンドは違う―だって事故後の初ライブだ。

次の日―最初のKerrang!取材から48時間後―Frankは超ご機嫌。〝どうせ頭の中の悪魔が出るんだから、本番じゃない時に出すがいい〟と笑う。次の週末はみんなが思ったFIATP事故後の初ライブ。ニュージャージーにある小さなMonty Hallでのビッグカムバック。本当はバンドを愛するファンと一緒に汗だくになりながらのウォームアップライブをやりたかったけど、必要だったのは良くも悪くもどうなってもいいような匿名ライブだった。〝俺にとってはすごくワガママなことだった。ギブ・アンド・テイクみたいなライブもある―観客と同じぐらい楽しめるようなライブをね。でも昨日のライブは―失礼な言い方だが―観客はどうでもよかったんだ。ステージに上がった俺ら4人が全てだった。刺激的だったよ。その日がとても不思議でさ。事故についての感情がどれだけ自分の演奏に繋がってるかは昨日まで分からんかった。俺はやっと再びステージに立つことが自分にこんなにも影響してくるなんて気づいてなかった。まさかステージに立つことがこんなにも事故と事故についての気持ちに繋がってるとはね。回復とダウンタイムの終わりを意味した。大変だったし、エモーショナルだったけど、最後の最後には大成功って感じだった。〟

痛みという問題もあった。ちゃんと弾けるかどうか、納得できるような弾き方ができるかどうか分からなかったという。〝痛かったけど、まだ我慢できるほどだった。もうできないことってあるんだなって実感したこともあった。それが今後どうなることやら。ツアーに出るってことは毎晩プレイしなきゃいけないけど、体の調子は2日目や3日目でやっと実感できるからちょっと不安よね。でも今は前向きに考えてる。完全によくにはならないかもしれんけど、ちょっと変わるだけって考えればいいんだ。やってみないと分からんからね。〟

ツアーというのは新譜の曲をやっとライブで披露するということでもある。〝ライブセットをWorld Destroyerでスタートすることを毎晩のように想像してた。観客の前ではどう変わるか、とか。だからやっと披露することができて最高だよ。実現できたって素晴らしい気分だ。〟

しかし2017年の予定はまだ完全に決めていない。〝ギター弾けなくて、そして弾いてみると痛いし、無理だと思ってた。やっと帰国した時、音楽の世界がとつもなく遠く感じてて、だからどうなるか分からない。〟彼の作曲作詞は相変わらず続いてるけど、事故や事故の影響について書くことにまだ違和感を感じるという。〝アートやアルバムを作り終わるとその作品のコントロールを譲ることになる〟とFrankが説明。〝アルバムが成長して独立する―世界の中で生きていく。少しは話せるようになったけど、とりあえず今は事故のことがまだ俺の頭の中に閉じ込まれてる。完全に俺のもので、俺が完全にコントロールしてる。でも事故について曲やアルバムを書いたり歌ったりするとそのコントロールを失うことになるから怖いんだ。〟

とりあえずKerrang!は初めてのシークレットライブが大成功したことを嬉しく思ってる。〝俺も!〟とFrankが笑う。〝じゃなきゃ落ち込んでたんだろうな。うまくいかなかったらなんてひどいオチなんだ―最悪だった!もう二度とやりたくない!なんてね。〟

Parachutesのリリース直後にFrankがこんなことをブログにアップした―〝人生もそう。俺らはみんなやがてやってくる最期へと落下している、あるいは急降下している。しかし家族の愛情と音楽やアートが作れることがずっと俺のパラシュートになってくれた…このアルバムは俺のパラシュートのひとつだ。〟楽しみにしてたこのアルバムを楽しくプレイして、シェアするべきこのアルバムをやっとシェアして、そしてアルバムに潜んでた悪魔を追い払うことで無事の着地に必要な最後のパラシュートが開いたのかもしれません。

2017年1月6日金曜日

【Frank】MTV.com掲載〝Frank Ieroは生きてる〟

英文はこちら

マイケミカルロマンスのFrank Ieroは生きてる

    エモアイドルが豪州に遭った重大事故を始めて語る

記事:Maria Sherman
翻訳:@frankierojapan

Frank Ieroは最近よく死について考えてる。別に今に始まったことではありません。10年以上ギタリストとして勤めたバンドMy Chemical Romanceのテーマのひとつだった。そして最近のソロプロジェクトにも死のテーマが。昨年の秋、新アルバムParachutesのリリース直前に起こった重大事故に巻き込まれ九死に一生を得たIero。MTV Newsが事故後初のインタビューでギタリストと話した。〝こんなことは今までしたことないよ〟と彼が言う。〝こんなにパーソナルなことをしたことない。〟

My Chemical Romanceの2013年解散後、IeroがソロアルバムStomachachesをfrnkiero andthe cellabrationというバンド名でデビュー。彼はソロプロジェクトのことを愛情を込めて〝即席ホームアートプロジェクト〟と呼ぶ。
Parachutesは新バンド名Frank Iero and the Patienceと共にリリースされ、まるで日記を読んでるような歌詞とポストハードコアなサウンドがダイレクトに感情を伝える。錯乱したパワーパンクアンサムVeins! Veins!! Veins!!!、そして爆発的哀歌Dear Perocet, I Don't Think We Should See Each Other Anymoreで家族歴の一部である依存と依存症との格闘を歌う。〝真のどん底の直前までしか経験してない俺はラッキーなんだ〟と彼。〝やろうと思えばとてつもなく深い闇に落ちてしまうことは簡単にできる。〟
アルバムのもうひとつのハイライトI'm A Messはその正反対。表面では自暴自棄を称賛する曲だが、Ieroにとっては欠点を誇りとして思う曲だ。アルバムラスト9-6-15の名前の由来はIeroの祖父の命日。〝アルバムをParachutesと名づけた理由だが、まずは人生について考え始めて。俺らはみんな産まれたくて産まれたわけじゃない。まるで飛行機から押し出されたみたいなんだ。やがて来る最期に向かって急降下。ものすごいスピードで落下してあっという間に終わる人がいるし、パラシュートとして機能する喜びを感じさせる人やモノに出会って楽しく、ゆっくりと落ちていく人もいる。〟
2016年10月13日、事故の日。Frank Iero and the Patienceがシドニーで短い豪州ツアー最後のライブの準備をした。バンドは朝起きて、インタビュー受けて、そして夕方のライブ前にシドニーのTwitter社で数曲のアコースティックライブを撮影するため乗用バンに乗り込んだ。Iero、ギタリストと義理の兄Evan Nestor、ドラマーMatt Olsson、マネージャーPaul Clegg、そしてバンドのPR担当がTwitter社の前で荷物を降ろしてる最中に公共バスに追突された。
〝その次の瞬間に起こったことがHDクオリティで脳に焼き付いてる〟と彼がいう。〝全ての行動や音まで毎秒はっきりと覚えてる。あっちこっちに持ち歩いてたカバン型ペダルボードがあったけど、それを一旦置いてから振り向いてEvanとPaulに「とりあえずここでチューナー出そうかな」と言おうとしたけど、「ここで―」が口から出たか出てないかぐらいだった。〟衝突の瞬間を子供の頃に遭った痛い思い出に例える。〝高校に上がる直前に友達と公園で誰でも参加していいようなフットボール試合をやってた。その日公園で遊んでたのが身長バカ高い高校生しかいなくて、俺らをボコボコにしたくて試合に参加した。後ろからタックルされたことを覚えてるけど、事故の衝撃と同じだった。〟
一瞬の混乱が終わると、バスに追突されたことが分かったという。〝気づいたら巨大乗り物のバンパーの下にいた。俺の視点からEvanしか見れなくて、そしてPaulの声が聴こえた。見えない人や声が聴こえない人は絶対死んでる、まだ死んでなければ俺ら全員はじきに死ぬんだと思った。〟
Iero曰く、彼が生き残ったのは当時背負った〝巨大リュック〟のおかげだ。〝あれは間違いなく俺を救ってくれた。衝突された角度からしたら、リュックがバンパーに引っかかって、俺をカーブとバスの間に挟んだ。〟バスが止まるまでIeroを3メートルも引きずってた。バンドのPR担当がバンを前に引っ張ってIero、Nestor、そしてCleggを解放。〝Paulがトランクに倒れた。Evanが地面に倒れて「足の感覚がない!」と。俺がリュックを下ろして、Evanの頭の下にそれとコートを枕にして体を抱きしめた。その時Paulのケガから滲み出てた血の血の海を見た。あんな真っ赤な赤は初めて見た。どこから出ていたのか分からなかった。〟
10秒の出来事が10分のように長かったという。最悪のことを簡単に想像できるぐらいのゆっくりとした時間だった。幸い、自転車に乗った近くの警察官が事故の全てを目撃して、Cleggの足を縛って出血を止めた(おかげで一命を取り留めた)。Iero、Nestor、そしてCleggはすぐにシドニーの病院に搬送されて2週間治療を受けてからアメリカに帰国して更なる治療を。
事故後の数ヶ月でIeroとバンドメイトらが当時のことを頭で繰り返し再生した。〝開いたままのトランクドアを考えてしまう。ドアが追突されてからアコーディオンのようにくしゃとなって(NestorとClegg)の頭や腰にスペースを作った。衝突を和らげてくれた。あれがなかったらどうなってたか。俺らがまだ生きてることが不思議なぐらいだ。あの事故を目撃した人はみんな死んだと思った。〟
死にかけた経験をまだ理解しようとしてるという。〝神のような存在が影で色々操ってるなんてちょっと信じられないけど、俺が思うにはどんな最悪なことでも、全てのことに理由がある。あんなことを体験すると、考え方が3つに分かれる。1つ目は「これは俺らの誕生日だ。もらうはずのない人生のセカンドチャンスだ。これは何のため?なんで救われたの?このもらうはずのない時間でどうすればいいの?」〟
2つ目は〝一つ目ほどポジティブではない。死を直面して、人間の真の儚さと死の真の恐ろしさを直接に感じた。そしてこれはもう一度経験しないといけないことだと思い知る。恐ろしいことよ、またあんなの経験するなんて。終わればよかったと思う自分がいる。〟
〝3つ目は奇妙だ〟と続く彼。〝もしかしたら本当は死んだ、そしてこれは妄想にすぎないじゃないかなと考えてしまう。死ぬ時にこうなるかも―脳が生き続けて妄想の架空の世界を作る。PaulとEvanと話すまでは頭がおかしくなったんじゃないかと思った。でも彼らも同じ気持ちだった。その考え方から抜け出せないと。これが現実なら、自分の現実だからどうにかしなきゃ。
Frank Iero and the Patienceはあのシドニーライブに到着しなかった。事故後は2016年の残りのツアーを全てキャンセルして、次どうするか考えるためにニュージャージーに帰った。〝悲惨なことだったけど、俺はまだここにいるから今となってはポジティブなことになった、と言いたいけどね。Parachutesみたいなアルバムを書いてからこんな目に遭うなんて、冗談じゃない。出来すぎよ。〟
とりあえずFIATPは2017年のツアーを楽しみにしてる。〝時間が経つと落ち着くと思う〟とIero。〝とりあえず今は生きてる。あの時は想像すらできなかったことだ。〟

2016年11月28日月曜日

【Frank】Upset Magazine November 2016


Upset Magazine: Have A Little Patience


記事:Ali Shutler
翻訳:@frankierojapan

英文はこちら


〝俺は音楽のジャンルに対して決して一途というわけではない。バラエティーが必要だ。その変化が必要だ〟とFrank Ieroがまず言う。彼が手首にある今までリリースしてきたアルバムを記念に彫ったタトゥーを数えてる。自分が参加したバンドの数がよく分からなくても、その手首にある8本の線がアルバムの数をしっかりと示してる。しかし2本足りない。Death Spellsのデビューアルバムが9枚目でセカンドソロアルバムParachutesが10。彼は一瞬動きを止めてその事実を考えてから満面の笑みを浮かべる。〝信じられんじゃろ?〟と誰かに聞いてるわけでもないのに彼がいう。
子供の頃にFrankの父親が音楽をやめろうと。〝お願いだからやめろ。音楽だけはやめろ〟と必死で訴えたけど時すでに遅し。Frankはもう決心した。父親も祖父もライブをやっていた家庭で育てられたから仕方がなかったかもしれない。〝2人が俺にとって神だったけん、ライブやってるの見てたら俺もやりたくなった。スポーツとか他の事はどうでもよかった。俺はバンドに入りたかった。2人にはでかい手帳があって、ページをめくりながらライブとか、あっちこっちへドライブしたりしてた話をした。秘密結社みたいでくそかっこよかった、ユニークで。誰に聞いてもみんな口を揃えて言う―かっこいいけん音楽やりたいんじゃ。人ってバックステージに行きたい、そこには何もなくてつまらんのに、やっぱり未知の世界じゃけんね。ステージで初めてプレイした時、そしてそれが人にどんな影響を与えるか間近で見たらさ―終わったよ、夢中になった。もう後戻りができんみたいな。〟あれ以来彼は止まることなく前へ前へと。全てのプロジェクトに通じて変化のレガシーを築き上げた。しかしソロプロジェクトの二つ目の生まれ変わりThe Patienceとして、彼はやっと自分の声を見つけた。〝俺にこんなにも重大なアルバムがまさかこのタイミングで出会えると思わなかった。じゃけん自分の全てをぶつけたい、それほど大切で俺の全てに値するんじゃ。〟

Frank Ieroは曲のことを運命の人のように話すミュージシャンだ。アイディアを決して捨てない、そして音楽の自決を尊重する。全ての曲にストーリーあるべき、全てのアルバムに始まり、中間、そして終わりあるべき。自分も周りの人も意識しながら全身全霊でプロジェクトにのめり込む。音楽の救う力だけじゃなくて、写真家が撮影中にマネキンを使いたがってることまで分かるんだ(気にしないで、長い話だ―Edより)。自分でマネキンを取りに行くぐらいだ。ひとつのジャンルへの献身はなくても音楽への愛は絶対だ。

〝俺は長い間、日常生活の俺がおって、そして音楽やアートをやっとる自分は別人だと思い込んでた。その2つの自分が相互に関連し合ってることが分かるまでくそ時間かかった。音楽が俺のDNAに組み込まれすぎてただの趣味とかじゃなくて、自分自身なんだ。つらいけんその真実とずっと戦ってきた。胸が張り裂けそうなほど、えぐられるようなほどつらいと同時に素晴らしいことだ。〟Frankは音楽のために生きてる、そして彼曰くいつかその音楽が自分を死に追いやることになるでしょう。

2年前FrankがThe Cellabrationと共にデビューソロアルバムをリリース。切れ切れに裂いた、プライベートに覗かせるようなこのアルバムは地下室で書いた。リリースするつもりじゃなかったアルバムでFrankがフラストレーションを発散した。その次の年にはFrankがフロントマンとしても新しい役割に慣れつつあって、勢いがどんどんついてきた。しかしプロジェクトの将来について聞かれたら、彼はいつも分からないと返した。まるでプロジェクトが一時的なものだけ、しぶしぶやってるだけみたいだった。2015年のReading FestivalのバックステージでFrankがセカンドアルバムのことを真剣に考えてたにもかかわらず、まだ決定というわけじゃなかった。しかし変わるものですね。Parachutesに永遠を感じる。受け止めるFrank Ieroを見せてくれる。特別感があるのなら、それは特別だからだ。

〝このアルバムは自分の全てを注ぐあまり、作るのに発狂寸前まで追い込まれるアルバムだった〟とFrankが説明。〝終わった瞬間、何をやったか分からんほど消耗し切っててさ。〟Ross Robinsonとの17日間レコーディングセッションが終わったら、〝人生の傑作になるか、彼(Ross)に捨てられるか、そのどっちかになると思った。どっちになるか分からんかったけど、どっち道平気だった―彼のプロセスが俺の人間としての成長に大切だったけん。〟作品から離れてやっとその結果が分かったという。〝正直、ちょっとばかげてると思うかもしれんけど、アルバムは俺の作ったモノの中で最も誇りに思っとるかも。全ての新作に対してはそう思うかもしれんけど、なんか違うよような気がする。すごく特別感がある。マイケミとBlack Paradeを作った時も、すごく特別なアルバムを作ってるって気がした。なんでそう感じたか、なんで特別なのか分からんかったけど、偉大なるものを作ってるって気が。そしてなぜか分からんけど、今もまた同じ気持ちじゃ。〟

Frank Ieroのアルバムに設計図なんかありません。焼き直すような人間ではない。しかし変化に満ちた歴史の持ち主としてもParachutesが〝変化〟を新しく感じさせてくれる。そのスタンスは意図的だという。〝そうでなきゃダメ。Stomachachesみたいなアルバムを再び作るなんて無理じゃ。もうそういう心理常態じゃないし、新アルバムは丸っきり違うし。Stomachachesと違うことと、Stomachachesと強烈にずば抜けて違うことという差が微妙でちょっと不安だった。人に痛烈な一撃をかましたくなかったけど、同時に今回の曲にパワーが必要だった。〟Parachutesにある〝仕上げ済み〟曲のBPMはレコーディングされる前のBPMに比べて少なくても10BPM早くなった。スタジオでそれぐらいの激しさの方がしっくりきたという。〝その場のノリに任せるしかない。逆らえたりしちゃいけん。〟

アルバムのスケールがFoo FightersやBiffy Clyroなど連想させるが、そのスケールが注意をそらすためでも、隠れるためでもない。彼のあの正直さと地下室ハートの底から来る告白が更にパワーアップした。〝全然別人になったって実感するようなプロセスに関わったことが今までなかった。個人的にすごく成長したし、感謝してる。アルバムはそういう体験についてのアルバムなんだ〟と始まるFrank。アルバムで人生を変える(もしくは破壊する)ような会話がリアルタイムで行われていて、世界観も常に疑問視されて考え直された。World Destroyerの絶対的オープニングでさえ変わったという。〝ボーカルの録音の途中で気づいたことが。人とどう接するこそ、人に与えるモノこそ自分の真の持ち物なんだってことさ。自分に起こることは、本当は自分のために起こるんだ。自分はそういう出来事の奴隷じゃない、むしろそういう出来事が自分をよくしてくれる。〟

その体験と共に〝自分の弱みって本当は自分の長所だとか、愛と生産された愛の定義の違いは何だとか、愛と憎しみって本当は同じ感情を逆さまにしただけなのか〟という質問が。こういう質問は今でもアルバムのねじられた心の中にある。対立と混乱はあえてむき出しに。〝旅が大切じゃけん。その旅がなければ結果なんて無意味だ。印象に残らん。ここまで来れたのに理由があるはず、ここまで来るために乗り越えたことにもきっと理由があるはず。結果と同じぐらい大切なのさ。〟

〝要するにさ―Rossのプロセスにも関係あるけど―嘘をつけることができん。彼は包み隠すことなんか許さない人だ。とりあえずことの核心を突く。深く掘り下げたくないなら彼はどうにかして心を開けさせるんだ、しかもみんなの前で。自分がかつてないほど弱くなると同時に強くなる。あんだけ正直に話すって力になってくれる。彼はこれをメンタル手術って呼ぶんだけど、ほんまにそうなんよ。俺らは17日間スタジオにいて、その間に12曲をレコーディングした。毎日が胸をえぐられるようなくそつらい体験で、自分や自分が書いたものについて新しいことたくさん気づいて号泣して、そしてまわりのみんなも今まで知らんかったことを告白したりしよるし。あんなこと体験して正直なアルバムができんかったらおかしい話よ。くそ大変だったよ、でも簡単だったらきっとみんなやっとるじゃろね。〟

〝若い頃はさ〟と言い出すFrankが〝関係あるよ、約束じゃ〟と付け加えてから続く。〝若い頃にさ、バンドに入ってた時はボーカルオウームアップなんかせんかったよ。そんなのばかばかしいって思ってた。でも後からそのオウームアップの大切さに気づいた。上達したいかい?ならやれと。でもなんか恥ずかしくて影で隠れながらやってた。今じゃみんなの前でやっても平気。これは俺の仕事じゃ、俺の芸なんじゃ。おかしいって思うなら消えろ。タクシーの中だってどこだってやるよ。歌詞を正直に書くことも同じじゃ。最初は自分の想いをあんだけ詰め込むなんてばかばかしいって思うけど、だんだん想いを詰め込みたくなる。正直で誠実でいい歌詞になってほしいから。若い時は響きがかっこいいならそれでいい、意味なんで二の次だ。でもだんだん意味を持ててほしいと思うようになる。するとあまり意味を持たせちゃいけんって思うように。人に自分をそこまで晒したくないけん。でもやがては気づく。自分が正直でいられないなら、他の人も正直であることを期待しちゃいけん。ダサくならん程度正直で書くことを頑張るしかない。〟

Frank Ieroはずっと昔から色んなバンドに入ってたが、その肌に刻まれた全てのアルバムには彼がただバンドの一員として参加した。しかしParachutesの場合、彼はセンターでリーダーだ。彼らが作り出す秘密結社へと導くギャングメンタリティーはまだ残ってるけど、リーダーが誰なのかはっきりしてる。〝今回のアルバムはStomachachesに比べて一体感、バンド感が増しとると思う。生き生きしとる。〟ギタリストEvan Nestor、ドラマーMatt Olsson、そしてFrankがこの数年The Cellabrationとしてずっと一緒にいたからこそその一体感が生まれたという。〝練習スタジオで曲を練りに練って過ごした何十時間がアルバムに出てる。曲を一緒にプレイしてること、一緒にやっとることを信じてくれとることが深い絆になった。〟

音楽の奥にある物語を知るとより熱心に。 そこでRossのプロセスが再び役に立てたという。〝彼がああやって俺らの脳を切り開いて、お互いの前で何もかもシェアさせることがすごく重要だった。そうすると、曲の本当の意味と自分にとっての意味を頭に浮かべながらプレイできる。他のバンドや他のプロデューサーの場合、自分の分をやってからボーカルが入って、どういう曲なのか説明をしてから歌うのが普通だった。事前に曲のことについては知らなかった。でも今回のプロセスをやってみて納得したっていうか、なんでこんなやり方でやらんのん?なんで最初からみんながプロセスに参加せんのん?って逆に思った。おかしいけど、やってみるまでは考えてもみなかった。〟

自分が出来ることを知り、そして他のメンバーも精一杯頑張ることを信じることでParachutesをまったく違う領域に押し出すことができた。仕事は〝鬼のようにくそ頑張った。曲の重大さが分かったけん、人に託すことも妥協することもできんかった。曲は完璧でなきゃ。しっくりくる時は分かるんだ。曲は人と同じで、運命の人に出会うとすぐ分かるんだ。逆に何かおかしいなって時もすぐに分かる。四角い杭を丸い穴に無理やりに押し込めないように曲にも無理やりはできん。

〝じゃけん俺はスタジオぢで自分を追い込んだ。〟幸いのこと、彼は一人じゃなかった。〝他のメンバーがいついい加減にしろ!って言ってもおかしくないなって思った。〟でも彼らは言わなかった。毎日曲が変わってもThe Patienceが辛抱した。〝毎日スタジオに来てくれて曲をやり直してくれてほんま助かった。おかげで偉大さを追うことができた。心の底から感謝してる。〟

Paracutesに小さな閃きがちりばめてる。あちらこちらに出てくる言葉やフレーズがリスナーを新しいところへと導く。Dear Percocet, I Don't Think We Should See Each Other Anymoreの"This life is yours, if you want it"(この人生はお前のモノだ、望むのなら)がひとことでアルバムをまとめてくれる。分かる時は分かる。

〝あの曲は物事の明確さを求めること、ドラッグでもなんでも使って自分をセルフメディケートして何も感じなくなるように出来ることを意識することについてだ。勇気と強い心を持ってちゃんと今に生きることを目指して、今を大切にすること、愛するモノの全てにいい意味で跡を残すことだ。ぼーっと座ってあ~できたらいいな~って考えるんじゃくて、本当に足跡を残すことだ。俺らってそういうのよくするじゃん。パソコンの前でセルフメディケートして、「誰かに覚えられたいな」と泣き喚く。「意味のあることをやりたいな」って。〟しかしFrankには願い事をする暇がない。〝大切なひと時のために生きたい、与えられた時間を生かしたい、でなきゃ何やっとん?それがなきゃ自慰でしかないよ。〟

Viva Indifferenceの終わりにある恋人たちのコール&レスポンスは自分を受け入れることを呼びかける。"I love myself and it's all your fault, I love my life and it's all your fault"(自分を愛してるのは全てお前のせいさ、自分の人生が好きなのは全てお前のせいさ)をはっきりと吐き出して、スタジオで行われた会話とその中で気づいた塞ぎ込んだ悟りを思い出させてくれる。〝何もかもがどうでもよかったなら人生ってどんだけ楽になる?という気持ちから始まった。めっちゃ楽になるよね。喪失を感じない、痛みも感じない。しかし曲が進んでいくと、曲の中のカップルは関心がないとその他のいいこともなくなるって気づく。痛みや苦しみは愛や幸せ、喜びと同じぐらいいいことだ。一緒に人生を経験すると、自分がやっと自分の悪いところもいいところも全て受け入れることが出来たと気づく、そしてそのいいとこ悪いとこを教えてくれたのはお前だ、じゃけん全てがお前のせいだ。ありがとうな、全てを台無しにして。今までは何もかも無関心だったのに今や関心を持ちすぎて痛みも全て経験していくんだ。気づかせてくれてありがとう、おかげで歩いてる死人みたいにさまようことなく人生をちゃんと経験できる。〟

Parachutesの暗闇の中から光を見つけ出すというテーマに意味がある。去年の9月に祖父が病死するまでFrankがセカンドアルバムを出す決意はしてなかったという。〝別のことをするって分かったのはその時だった。それがきっかけだった。どん底まで突き落とされたけど、同時に―なんじゃろ?―物事をよりクリアにしてくれた。〟その日付がアルバムのラストとして不滅になった。心が痛む力強くて直接的な頌歌だ。〝あの曲はただ書くしかなかった曲だ。正直いうと、書けないと思った。あの曲は何よりも、俺が今まで経験したことの中で最高の経験に敬意を表してるし、もっとも最悪な経験にも敬意を表してるんだ。〟

Parachutesにある混乱と激怒、恐怖と苦労のあと、9-6-15は平静で溢れてる。アルバムの釣り合いを取るようなラストだ。〝曲の単純さが気に入ってる。俺に必要だったと思う。余計に複雑にしたら全てを混乱させただけだと思う。I Will Let You DownにSeptemberの一部が入ってるけど、それが全てをまとまってくれた。この曲って書かなきゃって思ったし、アルバム的にも重要な曲、ひょっとしたら一番重要な曲だと分かったけど、二度とできないかもしれない。つらいよ。出せないと思ったことはないけど、それよりは本当にできるか?って感じだった。アルバムを終わらすことが出来るかどうかさえ分からなかったよ。どうしてもアルバムに入れたかったけん、祖父のために。ライブで再現できるかどうか分からない。俺らは練習してみたけど、いまだにつらい。最後まで歌いきれない。歌詞カードは泣かずには読めない。つらいことだ。

Parachutesに過去と現在の戦いは続いてるが、その戦いに勝算あり。その勝算はバンドの改名が表現してるという。〝The Cellabrationの時はフロントマンに向いてない自分から注意をそらすような何かを連れて行かんと、と思った。お祝いムードの何かを。今回忍耐という美徳が俺に必要だった。一歩離れて今をエンジョイして、今に生きる必要が。子供たちが生まれて少しずつ個性が出るようになって―今月はみんな獣医師になりたい―子供たちと離れてるのは仕方のないことだって気づいた。でも家にいる時は100%いたい。何が起こってるか100%理解したいし、意識したい。何も逃したくない。頭が別のことでいっぱいとか、仕事のことを考えるとか、大人が悩むようなことに悩むとかは当たり前だけど、今を意識する、今に生きるってかけがえのないことだ。だってあっという間にとか、そういうこと言うじゃろ?あれには理由があっていうもん。本当のことじゃけん。大切な瞬間は儚いよ。気づかずにいると、つかまえたりしないともう二度と戻ってこない。あっという間に何千万の逃した瞬間が消えちゃう。人生ってひと時のコレクションでしかないよ。そのために生きたいんじゃ。月末の支払いのためとかじゃなくてさ。〟

そのつかまえろう姿勢がParachutesの全体に行き渡ってる。消えない光だけどこれほど眩しく輝くことは二度とないかもしれない。〝俺は光対影、生対死、善対悪に夢中なんだ。全てのネガティブにポジティブがあるはず。でなきゃ人生じゃない。俺らはみんなその間で揺れてる。悲しみと暗闇ばかりのアルバムじゃなくて、逆にすごくポジティブなアルバムだと思う。今までやってきたこと以上に希望がネガティブに勝ってる。幸せな曲を書く日が来ると思わなかったけど、自分なりにポジティブに書いたつもりだよ。〟

Frankは未来のことを考えてないというわけではない。レガシーということ、覚えられるということがParachutesの暗闇の中から顔をのぞかせてくれる。Miss Meでは〝傲慢という罪についてだ。子供たちに最善を尽くしたい、幸せでいて欲しい。でもその中にわがままが出る。知りたいんじゃ。変な妄想じゃけど、自分の葬式が見たい。みんなの反応が気になる。子供たちに苦しみを経験して欲しくないけど、深く印象に残るような親になりたい。なれたら最高だ。〟

永遠に〝あのバンドの元ギタリスト〟として知られるについては〝気にしてるかどうかは別にどうでもいいと思う。仕方ないことじゃ。今の俺にはやってることをやり続くしかない。今後どうなるかは分からないよね?今となってはやったことが多すぎて「あ~たくさんのバンドの人ね」みたいな感じになってる。Wikipediaもくそ長くなりすぎだ。〟

Frankは音楽で表現したいことが尽きないだろうという。お願いだからやめてと必死で願ってる人がいることも意識しつつ、彼は屈しない。〝未来は誰だって分からない〟と彼はいう。とりあえずは今日のことを。〝もしかしてこれが俺なりのセラピーで最後に自分はもう大丈夫、やり尽くしたと気づくいて終わるかも。未来は誰だって分からない〟と繰り返す。〝明日は世界が終わるかもしれんけど、とりあえず俺はまだ伝えたいことがある。ソロのいいところは自分はいつだって自分だ。じゃけん何をしたってそれがフォローアップだ。これなら持続できるし、色んな形にもなれる〟と詩や写真について話す前いう。〝バンドという形、アルバムという形じゃなくてもいい。何にでもなれるっていう可能性がすごく刺激的だ。〟

アルバムの救命道具にちなんだタイトルを説明すると:〝生きるということは時にランダムで、時に不思議なことである。人生は醜いと同時に美しい、そして唯一絶対的なのは俺らはいつか地面に衝突することだ。すさまじい速さで急降下してあっという間に終わっちゃう人はいるが、救われて景色をしばらく楽しむことができる人もいる。このアルバムは俺のパラシュートのひとつだ〟そしてもしかしたらほかの人の助けにもなれるかもしれない。〝そういうことだ。最初から音楽が俺にとってそういう存在だった。人の音楽やバンドが俺を救ってくれた。その音楽のために生きてた。そして俺もそういうのやりたいって気づいた。そのために生きてた、音楽作りのために。もし、もしも人の助けになるような曲や元気付けるような曲、本当に大切に思うような曲が書けたらそれ以上は望めない。あのバンドが俺の励みになってくれたように、人の励みになることが素晴らしいよ。〟

Frank Ieroはバラエティー豊かなキャリアの持ち主で、珍しいことにそのバリエーションに無理を感じない。アイディアが尽きるというよりは新しい扉を自ら開く。まだやりたいことが山ほどあるという。〝まだはっきりしてないけど、俺は挑戦が好きじゃけん。伝えたいことがもうない、やり尽くしたとか、インスピレーションを感じないと思うまではやり続けたい。壁にぶち当たることはそんなにないからこそ色んなバンドやジャンルで活躍しとるかも。壁に当たると落ち込みすぎて全然違うことをやりたくなって、それがまた別の扉を開いてくれてまた別のことに挑戦する。それがまた以前閉まってた扉のカギとなったりして。何もしないのがイヤじゃけんあれこれに手をつける。〟

〝俺はたくさんの音楽ジャンルが好き。同じようなアルバムを何度も何度も作ったりはしない、そんなの意味ない。せっかく違うことやるんだったら、抜本的に違うことやりゃいいんだ。全てを体験したい。そういうリスクが好きならきっと俺のやることが好きだと思う。ひとつだけ言いたいのはこのリスクの旅を俺と一緒に付いてきてくれるなら、俺は絶対嘘をつかない。人はそれを評価してくれると思う。俺の作品が好きでも嫌いでも、俺の心の底から来た作品であることは誰も否定できん。俺の心は最低だと思うかもしれんけど、作品は間違いなく俺の心の底からだ。〟