2020年5月21日木曜日

【記事和訳】マイキー・ウェイ:エレクトリック・センチュリーの帰還の内情

元記事:
Kerrang 2020/5/20
Words: Emily Carter
https://www.kerrang.com/features/mikey-way-inside-the-return-of-electric-century/


Electric Centuryが2ndアルバムと付属するグラフィックノベルを発表するにあたり、マイキー・ウェイがその経緯を明らかにした。

マイキー・ウェイは今までで一番 ”ベストな場所” にいると言っている。デヴィッド・デビアクとのElectric Centuryの顔としてデビュー・アルバムをリリースしてから約4年が経ち、ベーシストのマイキー・ウェイは昨年の「Collapser」でコミックの世界に足を踏み入れ、テキサスのスターWaterparksとのツアーに参加し、そして何よりも重要なことに2人の子供の父親になった。彼は最近、自己分析に多くの時間を費やしていて、子供を持つことで「より親切に優しく」なり、より明確に考えることができるようになったことで、子育てから離れた彼のクリエイティブな仕事に大きな恩恵を受けたと考えている。

実際、これらの完璧な融合がなければ、マイキーはこの新しい野心的な事業を成功させるのに苦労していたかもしれない。
Electric Centuryの新作アルバムと、それに付随する同名のグラフィック・ノベルだ。
デヴィッドやZ2コミックスのチームと協力しながら、39歳のマイキーは父親業の合間の空き時間を利用して、音楽と物語が1つになった幻想的な新しい世界を作り上げた。
- その両方が今年の後半にリリースされる。

自宅から『Kerrang!』をキャッチアップしたマイキーは、新しいプロジェクトを控えていることだけでなく、コロナウイルスが大流行している中での予定のない自宅の時間が家族との時間を増やしてくれたことに感謝の気持ちを感じているようだ(「見逃すことになったはずの節目が見れて本当にいい時間を過ごしてるよ!俺の1歳の子が歩き始めたとこなんだ!」)。2つの "エナジーのボール " の掃除から一息ついて、マイキーはElectric Centuryの新譜、グラフィックノベルを作ることになった経緯、そして今後の計画について語った。


Electric Centuryを組んで2016年に『For The Night To Control』をKerrang! と一緒にリリースした時から、セカンド・アルバムを出そうとずっと考えていたのでしょうか?それともその時はもっと1枚だけの予定でしたか?

「このプロジェクトが本当に何になるのか分からなかった。歌がないとだめだし、Electric Centuryのセカンドアルバムは出せるか正直分からなかったんだ。必要ならアルバムを作ったろうけど、今回のプロジェクトのためになって "ああ、これはアルバムなんだな" と思えるような曲が集まった。俺とデイブがiPhoneのボイスメモをお互いに送ってたら、なんだか『これってアルバムなんじゃない?』ってなったんだ。そうやって気に入ったのを時間をかけて集めた。俺って何かを作り続けるかダメになるかなんだけど、__たぶん大抵は音楽関連のものなんだけど、今はコミックをたくさん書いていて、それがいいきっかけになってる。その時の俺にとって夢中になれる大事なことだったんだと思う。それがクリエイティブなものだったから、デイブと一緒にアルバムを組み始めて、たしか2年かけて今日のようなものに成長したんだ。たぶん俺らが(このアルバムを)書き始めたのは2017年だったと思うけど、何曲かはファーストアルバムをレコーディングしてた頃で、まだ完成していなかった曲もあったかもしれない。特に「For The Night To Control」に収録されるはずだった曲があるんだけど、 それは実は今回のニューアルバムの中で一番好きな曲なんだ。その時はまだ完成していなかったから入れなかったんだけど、希望どおりに出来上がって嬉しいよ。」

フルアルバムにできると気づいた時にひらめきの瞬間がありましたか?

ひらめきの瞬間はアルバムプロデュースもしてるレイ(トロ、My Chemical Romanceのギタリスト)と一緒にAliveという曲を作った時だった。俺たちのレコーディングの方法としてデヴィッドがPro Toolsで録音したボイスメモを元に曲の骨格のようなものを送ってきて、それからそのセッションをレイに送ったんだ。レイが俺にAliveのアイディアを送ってくれたことを覚えてるよ。トレーラーで使った曲だ。ピアノのやつ。その時がひらめきの瞬間だった。デモではそういう風には聞こえなかったから、俺はもう「オオ、ワオ」って。この曲がアルバム全体のトーンを決めたような気がする。俺にとってはあの曲が間違いなく要で、全体のアンカーだよ。」

バンドのアカウントは2019年3月にアルバムが「すでにレコーディングされている」とツイートしていました。それは私たちが最終的に聴くことになるものでしたか?それともそれ以降に微調整を加えていますか?

「俺たちはまだまだ微調整をしてる - 昨夜も微調整をしたよ(笑)。まだ作業中だけど、今は仕上げの作業をしているところだ。ちょうどレイから俺に何かが送られてきたんだけど、それがすごく刺激的だったんだ。」

今回、Electric Centuryのコミックとアルバムのどちらが先に思いついたのでしょうか?

「アルバムだった。少し話を戻すと、2014年、覚えているように『For The Night To Control』のプレスが始まって、僕はリハビリに入った。きみたちもリハビリ中にインタビューに来たよな。それからリハビリ施設を出る頃時には、その時の自分の精神状態や断酒に不安でツアーには行きたくないと思ってたから、このプロジェクトに対してすごく違和感を感じたんだ。ちょっと間をおいて『このプロジェクトって何なんだろう』と思ってた。『好きなんだけど、今はどうしたらいいのかわからない』って。『もしかしたらこれは架空のバンドなのかもしれない』と頭の中で考えてた。Gorillaz とかDaft Punkみたいな架空の世界に沿って考えれば、このバンドが生きている世界を作れるんじゃないかと思ったんだ。その思いを留めて知られているようにKerrangを通じてアルバムをリリースしたんだけど、それがすごいことになって多くの人がCDプレイヤーを探しに行くきっかけになったんだよね(笑)」

「そうした後もまだツアーをする気持ちにはなれなかった。でもある時点で『なあ、そろそろ動き出す時なんじゃないか』って思った。今は日付が分からないんだけど、2018年の終わり頃にZ2から連絡があった。俺の古い友人が彼らと一緒に仕事をしていて、彼は音楽活動のためのグラフィックノベルを制作していて、その2つをカップリングするというのは素晴らしいアイデアだと思うんだ。70年代からかなり長い間、音楽とコミックを一緒にするっていうのは人々が取り組んできたことなんだよ。 電話で紳士の一人が『なあ、私はこのバンドにはGorillazっぽいものを感じるんだ...』って言った。それで俺は ”そういうことだったんだ!” っていう別のひらめきの瞬間を得た。 ”これがアルバムで、これがツアーだから...” っていう伝統的なことじゃない何か違うことをしたかったんだ。そうじゃなかったんだ。でも、何か楽しいものにしたかったし、楽しませたかった。だから彼が電話でそう言った時、俺はすぐにこう返答した。『あなたがそんなこと言うなんて信じられない。俺が2014年から考えてたことですよ!』」

「俺たちはみんな同じページにいて、彼は俺にそのストーリーを考えろと言った。でも俺は『そんなの変だろ、だってアルバムはもうできてるのに』ってなった。普通は逆にグラフィックノベルを先に作って、それを中心にアルバムを書くんだよ。だから俺は『よし、俺はこの曲のある世界を創るんだ』っていうふうに考えることにした。だから、曲を何度も何度も聴いて、ずっと考えた。そしてデイブの中で際立った彼の中のニュージャージーが聴こえてきた(笑)。彼は歌がうまいし、彼の主題として俺にはすごくスプリングスティーンが感じられる。俺もニュージャージーで育ったから、記憶が蘇ってくるんだ。すぐにアトランティックシティのことが思い浮んだ。アトランティックシティは俺の子供時代のすごく重要な場所で、俺と家族はそこで何日も過ごして、夏にもよく遊びに行った。当時から何十年も行ってなかったけど、俺の頭の中にはあそこの遊歩道のビジョンが浮かんでいて、そこには至る所にきれいなネオンがあるんだ。それは俺にノスタルジアについて考えさせた。それで、俺たちはどうやってこういう記憶を懐かしく思い返すのか、でももし俺たちが今そこにいけたら、それは記憶の中みたいに素晴らしいものじゃないかもしれない。そして『もし実際にその思い出の中に戻れる方法があるとしたらどうだろう』と考えた。そこから物語の発端が生まれたんだ。」

アルバムとグラフィックノベルを融合させるのは大変でしたか?すごく自然にできたように聞こえますが...

「自然にできたけど、どうやったのかわからない(笑)。どうやってこんなに早く思いついたのか分からないけど__でも思いついたんだ。まるで『このバンドが生きるための世界を創ろう』みたいな大きなチャレンジだった。ニュージャージーじゃなくちゃってのは分かってたけど、もしかしたらアトランティック・ストーリーを伝えたいと思っていたのかもしれない-。脳の奥底にそこを舞台にした ファンタジーの物語が 欲しいという欲求があるんだ!だからこそ、この作品がすぐに俺の中に飛び込んできたのかも。」

今回のアルバムでは、どのようなジャンルの曲をプレイしていますか?For The Night To Controlは80年代の雰囲気がありましたが、このアルバムで音楽的に影響を受けたものが他にありますか?

「この2つのアルバムには共通点があるような気がするんだけど、このプロジェクトではいつも俺が惹かれてる80年代の音楽的傾向がある。80年代のニューウェーブやブリティッシュ・ロックが大好きなんだ...あの時代の音楽は希望に満ちていて、人々が歌っていたクールな憧れのものがある。クールな時代で、まだ無邪気さが残っていたんだ。音楽にこういう無邪気さを持っていた最後の時代だったのかもしれないと思ってるよ。それで、Electric Centuryと一緒に「今の時代のレンズを通して80年代のバンドの中にいるとしたらどうだろう?」っていう探求をした。80年代のニューウェーブを現代的なレンズで表現しているんだ。純粋なノスタルジーじゃない、現代のオーディエンスにも受け入れられるような、Electric Centuryが舵取りをして住んでるものにしたいんだ。」

ミュージシャンとして、アルバムの間にはどのくらいの変化がありましたか?デビュー・アルバム以降、Waterparksと仕事をしたり、Good Charlotteと一緒にUKツアーをしたりしていましたね。そういった経験は影響を与えましたか?

「本当に影響されたよ。Waterparksのツアーに参加できたことはおもしろいアドベンチャーだった。責任を感じずにすむところでやったことがなかったから。純粋に友達と遊ぶだけだったし、宣伝とかそういうことをする必要もなかったし。My Chemical Romanceとしてツアーをしていた時はいつもすごく忙しくてできなかったことだけど、訪れた街を探検するチャンスもあった。俺はWaterparksが大好きだよ。あいつら本当にいい奴らで、素晴らしい仕事観とビジョンを持って、曲の中にある全てのことを本当に大切にしていることが伝わってくる。同じ志を持った人たちと一緒にプレイするのはとてもクールなことだ。世界でお気に入りの場所の一つがイギリスだから、あいつらと一緒にツアーをすることができたのは本当に特別なことだった。My Chemical Romanceとしての忙しさとは明らかに違う経験で、Waterparksとのツアーはもっとゆったりとした冒険だった。」

Electric Centuryではコミックとアルバムを超えた活動を予定していますか?活動が再開したらライブをしたいとは思いますか?

「いつでも考えてるよ!何度かはElectric Centuryのライヴをやれそうなこともあったんだけど、いつかは必ず実現すると信じてる。やってみたいね。でもちょうど今は伝統的なライブができなくて、おもしろいプレイの方法をするにいい時期なんだ。僕とデイヴは住んでるところが離れててるからこそこのプロジェクトにちょうどいいんじゃないかと思う。今では広く受け入れられているから、俺たちでもできることがあるかもしれない。それ次第でElectric Centuryのショーが開催される可能性が高まるね!」


2020年5月20日水曜日

【記事和訳】My Chemical Romanceのマイキー:ロックダウンは「ただの一時停止ボタンだよ」

元記事:https://www.bbc.com/news/newsbeat-52647188
By Will Chalk






2020年5月1日金曜日

【記事和訳】Frank Ieroが逆襲する

元記事:https://www.theaquarian.com/2019/06/18/frank-iero-strikes-back/
Frank Iero Strikes Back
The Aquarian Weekly
記者:Vinny Cecolini 
2019/6/18

毎晩、フランク・アイエロは子供たちに絵本か歌のどちらかを選ばせている。子供たちが本を選ぶことはほとんどなく、"Best Friends Forever (But Not Now) "で始まる歌を一緒に歌うことを選ぶ。9歳になる娘のリリーが双子の妹チェリーにからかわれた時の仕返しとして作ったこの曲は、シンガーソングライターのアイエロがギターを手にして双子と7歳になる息子のマイルズと一緒に作り上げた。アイエロの自宅スタジオでレコーディングし、家族でミュージックビデオも撮影した。子供たちのトリオは、ベッドタイムの歌だけでは満足できないというジレンマを抱え始めていた。アイエロのソロアルバム『Stomachaches』(2014年、Workhorse Music Group)や『Parachutes』(2016年、BMG/Vagrant)に収録されている曲は、彼らの年齢にはまだ早かったからだ。彼が解決策とした "A New Day's Coming "は、新たにリリースする3枚目のソロアルバム『Barriers』(UNFD)の、高揚感と希望に満ちたスピリチュアルなオープニング・トラックだ。

アイエロの新しいバンドThe Future Violentsとレコーディングされたこのアルバムは、いわゆるハッピーアンセムを集めたものではない。このアルバムの14曲のトラックを通して、アイエロは様々なエモーションのパレットからだけでなく、彼の数十年に渡る音楽キャリアで得た様々な音楽スタイルからもインスピレーションを受けている。生々しく、内省的で、懺悔的で、セラピー的なこのアルバムは、コンセプトアルバムではないものの、各トラックは壁を打ち砕き、破るという共通のテーマを持っている。

フィラデルフィアのFoundryのバックステージで、アイエロは複雑な気持ちでいた。1ヶ月に及ぶヘッドライン・ツアーが始まり、いよいよ『Barriers』がリリースされるというのに、彼は家族と離れているのだ。彼は子供たちを学校に見送ってからツアーに出てきたが、次に子供たちに会うのは数日後になるだろう。幸いなことにこのツアーは最初の5回のショーの後、ニュージャージーの自宅の近くで子供たちとオフの日を過ごすことができるようにルートが組まれている。子供たちは、なぜ父親がしばらく留守にしなければならないのか疑問を持ち始めている。彼らはアイエロが担っている職業に感銘を受けるにはまだ幼すぎるかもしれない。それでも彼らは、学校へ行く前に家にやってきた大きなピカピカのツアーバスには興奮していた。

「息子は、なんで近所のパパたちはみんなツアーバスで出勤しないの?と不思議がってるよ。家族と離れるのは嫌だけど、9時から5時までの普通の仕事をして通勤時間も含めたら、毎日家族と一緒にいる時間は限られていただろうな。ツアーの合間は、俺には一日中子供たちと一緒に過ごせる時間があるんだ」とアイエロは笑った。

アイエロの最も知られているバンド、My Chemical Romanceが2013年に解散したとき、彼はソロ活動については考えていなかった。別のバンドでギタリストになりたいと思っていただけだった。Rob Hughesと結成したポストハードコアバンドLeathermouthでは一時期それが実現したが、そのバンドはたった1枚のリリースで解散し、終止符を打った。

「興味を持てないソロプロジェクトになっちゃったんだ」と彼は説明する。

アイエロは人に聞かせるためではなく曲を作ったり、レコーディングしたりもしていた。そのテープを友人がレコード会社に送った時、それは変わった。その最初の曲をまとめたものはStomachachesとしてレコーディングされリリースされ、"Frnkiero andthe Cellabration "とクレジットされた。2ndアルバム『Parachutes』はFrank Iero and The Patienceとされている。BarriersはFrank Iero and the Future Violentsによって製作されている。名前の変更は一種の内部ジョークなのと、バンドメンバーの変更も表している。彼の現在の "ドリーム バンド"は、ギタリストのエヴァン・ネスター、ドラマーのタッカー・ルール(Thursday)、ベーシストのマット・アームストロング、キーボードのケイリー・ゴールドスワーシーをフィーチャーしている。The Future Violentsというバンド名は、実はオーストラリアのシドニーに向かう飛行機の中でのある勘違いから思いついたという。

「セレンディピティ(*偶然の産物)だったんだ。客室乗務員にバンドをやってるんですか?と聞かれて『はい』と答えた。バンド名を聞かれたので俺は『Frank Iero and The Patience』と答えた。彼は『フューチャー・ヴァイオレンツ?変わった名前ですね』って。この二つを間違えるなんてあると思うか?でもこういうのは宇宙が与えてくれるものだって信じてるから、ちゃんと聞いてなかったら気づかなかっただろうな。意味があるか分からなかったけど、名前をメモしておいた。2016年に経験した事故のことを考えだした時、それは俺のすべてを変えた残酷で強烈な出来事だった。まるで湖に岩を投げて、そこから生じる波紋を見てるみたいだった。俺の人生は変わった。もう何も同じようにはいかない...The Future Violentsがしっくりきた。」アイエロは笑った。

シンガーソングライターが死に直面したのは、2016年10月13日木曜日の午後のことだった。アイエロ、ギタリストのエヴァン・ネスター、ドラマーのマット・オルソン、マネージャーのポール・クレッグ、そしてアイエロの広報担当は、シドニーのツイッター社の前に到着した。彼らがバンから荷物を降ろしていた時、突然バスが彼らに追突した。アイエロはバスのフロントバンパーの下で止まるまで9フィート(*約3m弱)引きずられた。ネスターが「足の感覚がない」と叫び、クレッグの足から大量の血が広がった。幸いなことに、事故を目撃していた警察官が駆けつけてクレッグの足に止血帯を巻いてくれたので、彼は足と命を取り留めた。アイエロ、ネスター、クレッグの3人は重体で病院に緊急搬送され、2週間入院してから更なる治療のために帰国した。誰も誰も死なず、全員が退院はしたが、アイエロは自分が生き残ったことへの後悔の念を持っているかもしれないと認めている。

「トラウマになるような出来事を経験した時、人には3つのことが起こるんだ」とアイエロは説明する。「1つは、その話を伝えるために生き残ったってことにショックを受ける。2つ目は、だいたいの人が一度は死にたくなる。俺はもう死に直面したってのに、もう一度そうなることを望んでる。すごく最悪だ。3つ目に、何が現実なのか考え始めた。俺は生き残ったのか、それともこれは俺の潜在意識が見せてるだけなのか。自分にとっての現実を具現化しなきゃなんだ。持ってる手でベストを尽くさなくちゃなんだ」

アイエロの人生は一変させられた。セラピーや彼の感情を揺さぶり魂を探す音楽のセラピー効果でさえも。

「ああいうことから戻ってきたとき、『よし、このことを曲に書くぞ』なんて言えない」と彼は続けた。「そうはいかないんだ。新しい方法を考えなくちゃならない。俺は今でも創作ができてラッキーだよ。プロセスは良くも悪くもないな。物事の考え方が違う。すべてのものの味が違う。まだ家族と過ごす時間があるのは良かった。 長い間、俺の人生の重要な部分を担ってきたことを今も続けている。でも決まっていた運命から騙されてるように感じることもある」

ソロアーティストとして、アイエロは本質からやり直した。Barriersのリリースとツアー開始までの数週間は、目まぐるしく動いた。メディアへの出演、インタビュー、写真撮影、その他様々なプロモーションは果てしなく続くかのようだった。それは焦点を当てられ、注目されたことの結果だった。

「このレコードのカバーは俺の顔なんだけど、これは今までやったことなかったんだ 」と彼は言う。「このレコードは自分の壁を打ち崩すことをテーマにしてるから、そうする必要があったんだ。マネージャーと相談しててカバーをどうするかと聞かれたから、俺は自分のアイデアを伝えた。マネージャーは「お前の顔じゃなきゃだめだって分かってるだろ」と言った。俺は「ああ、くそ」って答えたよ。でも、彼の言う通りだった。自分の携帯で撮った自撮りなんだ。一番怖くてやりたくなかったんだけど、出来上がったものは気に入ってるよ」

Barriersは、かつてNirvanaやPixiesなどの作品を担当した変わり者スティーブ・アルビニがレコーディングとミックスを担当したアイエロのセカンドアルバムだ。

「驚いたことは、彼が制作するんじゃなくて彼が自分にプロデューサーになることを強制することだった」とアイエロは説明する。「責任と最終的な自信の両方がのしかかってくるよ。お前の音楽をお前以上に理解できる者はいないって考え方なんだ。スタジオで逃れられない質問を受けて、他の人を見てみるとその人はまた違う人を見てて、そいつはスティーブを見てる。それでも彼は何も教えてくれない。そしてこう言う。『私は知らないよ?お前はどう思うんだ?』」

アルビニは精神科医や大学教授に似ていて、質問には決して直接答えを出さない。

「イライラすることもあるけど、それは必要なことだった」とシンガーソングライターは続ける。「Barriersでは、自分が決めた条件の中で作品を作って完成させなきゃならないことが分かってた。そのためには、天才的な才能を持っていて、俺がそこに投げ込んだものを何でも取り込んでくれることができる人が必要だったんだ。」

「俺は音楽を色で聞いていて、その歌が頭の中でどう聞こえるか分かってる。だからもし俺が何かを参考にするのを止めて音楽を追いたいなら、それには誰か能力のある人が必要なんだ」

アルバムには事故や自身の以前のバンドへの言及も含まれていて、既にヒットシングルとミュージックビデオ「Young and Doomed」を産み出している。

「アーティストがレコードを書くときには、そのアーティストがどこに向かっているのか、そしてどこを辿ってきたのかを示す曲が少なくとも2曲は入る」と彼は説明する。「Young and Doomed "はその架け橋となる曲だ。俺が今までやってきたことと結びついている。急な変化じゃないけど何か違うことが起きていることに触れているんだ。」

『Barriers』は、幅広いジャンルのヘヴィ・ミュージックをフォーカスしてるインディペンデントレーベルUNFDからのアイエロの初リリースとなる。アイエロの他にもNorthlane、Tonight Alive、Hands Like Houses、In Hearts Wakeなどが所属している。

「俺はこれを悪い経験にはしたくない」とアイエロは微笑む。「今までいろんなレーベルと素晴らしい経験や散々な経験をしてきた。でも、俺のこれまでの経験の中では最高だったし、レコードはまだ出てもいないんだ」

夜の公演のサウンドチェックまであと数分になり、シンガーはシングルとして検討されている "Basement Eyes "と "The Host "について語った。

「Basement Eyes はすぐにまとまった曲の一つだった。すべてが一度に出てきた。歌って恋愛みたいなものなんだ。努力しなければならないものもあれば、助けになるのと同じくらい傷つくものもあるし、完全なパッケージになっているものもある。Basement Eyesをバンドに見せたとき、全員が『ああ、何をすればいいかわかった』と言ってくれたんだ」

「The Host は義理の弟のエヴァンのリフからスタートした。彼は『これ弾いてるけど、すごくクールだね。でもこの曲が何の話なのか全然分からないんだ』って。スタジオでやるまではうまくまとめられてなかったんだけど、それ以来この曲はレコードの中で好きな曲の1つになったよ。」

アイエロはバンドメンバーの一員になる準備をして自分が乗り越えてきたすべての障害について考えるうちに、ソングライティングとパフォーマンスが自分の血筋であることに気づく。

「これが唯一の理由だな」と彼は言う。「この業界は、自分のすべての愛と時間と金...血と汗と涙を注ぎ込んでも、決して愛してくれはしない。俺にとっては当たり前のことだ」

Barriersは11月に完成したものの、リリースまでに春の終わりまでかかってしまった。

"レコードを書いて録音を終えると、アルバムが出て人が聞いてくれるまでの間は奇妙な煉獄にいるみたいになる。今はツアーが始まってレコードも出るところだから、興奮してるよ。音楽に注ぎ込んだすべての作業を終えて、やっとシェアすることができる。それを信じてるけど、自分がおかしかったのかどうかを知りたいとも思ってるよ」

ハードコアなファンのためにFrank Iero and The Violentsは "ネバーエンダー・エクスペリエンス "を提供している。パッケージには、限定Tシャツ、Neverenderのラミネートカード、サイン入りFuture Violentsのセットリスト、各会場への早期入場、グッズスタンドへの早期入場、バンドとの写真撮影、ライヴ中には演奏されない曲のミニセットが含まれている。

「俺たちが3枚のアルバムの中から選んだ曲の中から自分が演奏したい曲のウィッシュリストを作ったんだ。どの会場でも演奏できる曲よりもずっと長いやつだ。俺たちは全曲を練習したよ。ライヴが始まる前にやれないセットをやったり、実験的に色々な方法で音楽を紹介できたらクールだと思う。それを試してみたいんだ。」

Frank Iero and The Violentsのサウンドチェックが始まる時には、既に2ダース以上のファンが会場の外に並んでいる。開場まで4時間以上あるにもかかわらず、チケットを持っている人たちはその場にいることに興奮している。何とも言えない特別な雰囲気が漂っていて、それをできるだけステージの前で体験したいと思っているのだ。