2016年3月31日木曜日

【mikey】Kerrang! The Redemption of Mikey Way

Kerrang! The Redemption of Mikey Way

Mikey Wayの贖罪


取材者:Mark Sutherland
翻訳:@postmcrjapan

(ネオン:消えない光だってある)

Mikey Wayが自身初のポストMCRプロジェクトElectric Century(以下:EC)を明かしてくれてから2年。薬物依存のどん底、そして臨死体験からリハビリと贖罪まで、ここで彼が今週のKerrang!に付いてる限定アルバムFor The Night To Controlが出るまでの人生を変える旅をMark Sutherlandに語る。

Mikey Wayが目を覚ますと、雪はまだ降っていた。雪が窓に流れながら彼の頭がズキズキと痛んで、昨夜に何があったのか思い出そうとした。友達に会いに行ったことは覚えてる。大雪が降り始めたことも覚えてる。そしてアルコールとドラッグの〝かなり悪質なカクテル〟のことも。

しかしその後は何も思い出せない。気を失ったことでさえ覚えてない。そしてなぜ背中にある無数の傷から滲み出た血の中で横になってるのかがさっぱり分からない。しかし雪がどんどん積もる黒いアメリカの夜の中、横たわったまま彼がようやく何かに気付いた。ずっと前から気付くべきだったことを。彼は携帯を探し出して兄のGerard WayとバンドメイトのDavid Debiak、そして親しい友人数名に電話をして、同じ三つの言葉をかけた:〝I need help〟(助けて)

あの夜はMikey Wayの救済に繋がる一連の出来事の始まりだった。

そして今日、彼とDavidがカリフォルニアの春の陽気の中でディズニーランドへ向かう中、あの暗い夜が数年前のことではなく、遠い昔のことのようだ。しかしMikeyには分かる。あの夜がなかったら今はない、と。あの夜のことは詳しく話したがらない、教えてくれるのは〝たくさんの危険なケミカル〟を摂取したってこと。しかしこれだけは言う―

〝二度と意識が戻るはずじゃなかったと医者に言われた。俺のしたことは致命的だった。何回も死にかけたのに毎回意識が戻った。やっぱりそれなりの理由があった、俺にはセカンドチャンスをもらった。〟そして初のポストMCRプロジェクトECを明かしてから2年が経った今、Mikeyはそのセカンドチャンスを両手でしっかり掴む準備ができた。

ECが最後にKerrang!に話した2年前に巻き戻そう。当時のMikeyは絶好調に見えた。New London FireとMikeyの好きなバンドSleep StationのアーティストDavidとの新しい作曲パートナーシップができて、Mikeyは開放感と再スタートへの期待でわくわくしてた。ECのデビューアルバムを出きるだけ早く出す、2014年の夏までに必ずと彼が断言した。そして彼が言った:〝唯一のルールはルールなんてない〟と。

しかしKerrang!と話したタイミングでMikeyがペンシルバニア州のリハビリ施設に入ることになる。ルールは結局たくさんあって、そして元MCRベーシストの彼がほとんど全てのルールを破った。でも当時は彼自身もロスの家から東海岸に行くまではリハビリ施設に入ることは知らなかった。彼にはECのデビューアルバムFor The Night To Controlを仕上げるために行くと思った。

空港でDavidが迎えに来た。

〝で、これからスタジオかな?〟とMikeyが尋ねると、〝実はちょっとお知らせが。スタジオには行かないよ。とある場所に行くんだから、そこでこういうことを計画してるから、全てをやってもらわなにとダメなんだ。〟

Davidのインターベンション計画はMikeyのことを心配したご家族や友人と共に考えた。Mikeyは前から自分の問題や悩みについて正直に話してきたが、素直に施設に入らないことはDavidが覚悟した。抵抗するなり怒るなりするだろうと思ったのにMikeyはしなかった。

〝彼はすぐさま"分かった"って。1ミリも抵抗しなかったよ。"その通りだよ、俺に助けが必要だ"って俺に言った。そして俺は彼を施設に連れて行って全てが始まった。〟とDavid。

〝喜んで施設に入ったよ〟とMikeyは告白。〝もっと早く入るべきだったかもしれないけど、自分のミスは自分のペースでやらないとね。〟

そして自分はかなりたくさんのミスをしてきたとMikey本人が認める。彼の重なるOD(過量摂取)がきっかけで施設に入ることになったけど、彼の薬物依存問題は昔からあった。彼曰く、不器用な10代からアルコールやドラッグで〝セルフスース(自己鎮静、自分で自分を落ち着かせること)〟をやってきた。その習慣は国際ロックスターとしてマイケミカルロマンスにいた10数年もの間に続いた。

〝自分で自分をメディケートする(薬で治療する)プラス遊びでやってたことや薬剤的なことだった。俺はかなり前から重度の不安神経症ってみんな知ってた。それいつもオープンに話してたよ〟とMikey。

そう、MCRの2006年アルバムThe Black Paradeのレコーディング中に不安によって心身ともに完全に破綻したことも。子供の頃からロックスターになりたかったにもかかわらず、いざとステージに出るとストレスがどんどん増えていくことを痛感した。

〝ロックンロールバンドに入りたかったし、人に希望を与えたかったよ。その夢は叶ったけど、気持ちを整理するのが難しくて、そして俺の整理方法が間違ってた。自分の不安をどうにかしようとしてた、特にパフォーマンスに出るような不安を。ライブですごく表情が硬いとかガードが硬いとか言われたことがあるけど、あれは恐怖だよ。〟

そしてMikeyはあるモノならその不安を和らぐことができると分かってきた。彼は主にアルコールとVicodin(処方箋が必要な痛みどめの薬)に依存してたが(〝手に入れる方法があったし、いつも入手してた〟とため息をつきながら彼は言う)、ハイになるためならなんでもよかったと彼は認める。彼にとってオフリミットなモノはひとつもなかった、シラフ以外にね。

Mikeyはここまで自分の問題を隠せたのはある意味ですごい。だってMCRのやること全てがいつも眩しいスポットライトの中で世間に晒されたから。しかしMikeyの友人が彼のために動いたきっかけはMikeyが普通に生活ができる大人からほとんど生活ができない廃人になったからだ。

彼の依存について、〝山あり谷ありだった。時にはまったく問題なかったと思ったし、また時にはこれはいけないって心から分かった時も。ずっと前から隠すことが出来たが、ある時全然コントロールすることができなくなった。親しい友人や家族に何が起きてるか全て正直に話してみんなに助けを求めたんだ。〟

そして当時の彼女と別れた時、友達だと思った人たちが少しずつ消えたが(〝パーティーが終わると自分の本当の友達が分かるんだ〟と彼)内輪の仲間のほとんどが一緒にいてくれた。

〝(一緒にいてくれて)本当にありがたかったよ。当時の俺は本当どうかしてたから、友人や家族が一緒にいてくれることが俺のことを諦めない証しだった。捨てようと思えば俺のことを捨てれたのに、捨てる理由なんていくらでもあったのに。〟

リハビリはMikey Wayにきつかったが、ポストリハビリがもっときつかった。施設で元々Alcoholics Anonymous(アルコール依存者更生会)に開発された12段階のプログラムに入った。プログラムには〝大いなる力〟に服従することが決まりで、宗教的な力を選ぶより、Mikeyが自分が間違ったことをすると心の中で聞こえた声(〝大いなる自分〟)を選んだ

依存から脱出したMikeyがプログラムが勧めた90日間に90回のミーティングに参加することにした。彼の〝本当の旅〟はそこから始まった。

〝プログラムを終了した人の多くがこう言うよ:俺は大麻に依存してないからヘロインをやめた今は大麻はやっていい。なんか変な逆ロジックになっちゃうけど、全てやめるか全てをやるかにするしかないよ、グレイゾーンなんてない、本当に。〟

そしてうまくいってるようだ。Mikeyがリハビリ施設に入った2014年の頭以来アルコール一滴も麻薬ひとつも口や鼻、血管などに一切入れていない。

〝リハビリ施設に入ると出ることがフィニッシュラインだと思ったりする。出ることさえすれば俺は大丈夫、みたいな。でも実際はそうじゃない。前は麻薬やアルコールで自分を治そうとしたから、今は感情をプロセスできる新しいツールやメソッドが必要だ。実際に自分の感情と向き合ってみないと〟と彼。

たくさんの元薬物依存者がいうには、禁断症状から来る肉体的トラウマが終わると次に大変なのは普段次のハイを追い求めてる時間を今どう過ごすか問題。Mikeyはその時間を新しい出会い、新しい趣味、そして新しいプロジェクトで過ごすことにした。

リハビリが終わって直後に新しい彼女Kristin Colbyに出会い、2人は去年の3月に婚約。Mikeyは動物園やカリフォルニアのテーマパークに遊べるようになった。そして去年〝より健康で、より幸せで、より仕事が出来る〟ってツイートしたのはRadioheadの影響なんぞじゃなかった。

〝今そういう気持ちだもん〟と笑いながら彼は言う。〝リハビリで元気になる前にはドン底の気分を味わえるけど、元気になったら、それは今まで追い求めてきたどのハイよりも何百倍も気持ちがいいよってよく言われるけど、本当なんだ。それを最初に聞くとさ、みんな“んわけないよ”って思うよね。“俺はそういう人間じゃないよ”とか“俺は違うよ、きっとすぐ平気になる”とか。しかし俺みたいな過ちを犯すような人は全員同じことを経験するよ、元気になる前にはどん底だが、それを乗り越えれば本当にすごく元気になる。まるで生まれ変わったような気分になる。〟

今日のポジティブさで溢れるMikeyはMCRにいた頃の青白の顔でジタバタしたMikeyとまったくの別人。しかし彼のポストMCRとポストリハビリの人生を活性化したはもちろん、音楽だ。

ECのアルバムFor The Night To Controlが出るまでかなりの時間かかったけど、待った甲斐があった。Mikeyがいうには自分のリハビリによるアルバムの遅れ、そしてあっちこっち旅するロックスター生活にすぐ戻ることが自分の回復に悪影響を及ぼすという認識も、結局はアルバムにとってはいいことだった。曲を更に練って、アルバムに一体感が産まれた。

しかし同時に簡単ではなかったはず。Mikeyが兄Gerardと元バンドメイトFrank Ieroのソロキャリアが開花することをじかに目撃した。そしてMikeyとのプロジェクトが実現することを長年待っていたDavidもタイミングを待つしかなかった。

〝このプロジェクトを急いで始めようと思わなかった〟とDavidが主張。〝Mikeyをリハビリ施設に連れて行った時、プロジェクトが1~2年ぐらい遅れることになるって分かったけど、それがどうでもよかった。俺に大切なのは彼が必要としてた治療を受けることと、元気になることだった。これをどうしても終わらせなきゃっていう焦りは一度も感じたことがない。一緒に素晴らしいアルバムを作ることがメインだったから。〟

そしてFor The Night To Control―タイトルの由来は自分の人生をコントロールしようとするより、全てを運命に任せようというMikeyの新しい生き方から―は実に素晴らしいアルバムだ。喪失(Live When We Die)、や失恋(Let You Get Away)、有名人としてもプレッシャー(Lately)、そして薬物依存(I Lied)が全てMikeyの過去から来たかのように思えるが、実はほとんどの歌詞はDavidによるものだった。もちろんリスナーが思うような解釈をしても2人はかまわないらしいけど・・・

〝曲を自分のモノにしようするっていうのはその曲が好きだっていう証しだと思う〟とDavid。〝俺らはリスナーに曲をシェアしてるだけだけで、曲に共感した時はもう俺らのモノなんかじゃないよ。彼らのモノだ。〟

〝それこそ全てだ〟と同意するMikey。〝タイトルからカバーの写真まで、人にそれぞれの意味を見い出して欲しかった。〟

そして彼が歌詞の全てを書いたというわけではないにせよ、MCR解散からの彼の経験がECの曲全てに入ってる。曲の全てに圧倒的な再スタート感が出てる。昔の無表情で鈍いMikeyが今、新しいサウンドの追求やKerrang!の付録としてアルバムを出すというまったく新しい方法で自分の音楽をリリースすることなど、自分のポストMCR未来の可能性を開拓しようとしてる。

レコードは気が遠くなるほどの遅いスピードで進んでいた中で、Mikeyがその可能性や生き甲斐を積極的に探すことにした。ドラッグやアルコールという選択肢が消えた今、探す方法は一つだった―自分の音楽の中で。

派手な生活ぶりで有名なロスのロックコミュニティーだが、そのコミュニティーがMikeyを励まして、〝一緒にコーヒーを飲んで人生について語る〟ようなセッションがどんどん音楽的になっていた。元MCRバンドメイトRay Toroが同じ近所に住んでるから2人は定期的に一緒に遊んだり映画みたりする。JoelとBenji Maddenも彼を支えてる。MikeyがGood CharlotteのMakeshift Loveミュージックビデオにも出演。Andy Biersackも自分のソロプロジェクトAndy BlackにMikeyの参加をお願いした。(〝彼は本当にいい人だ〟 とMikey。〝未来に素晴らしいことが待ってると思う、素敵なロックスターだよ。〟)

しかしもっとも影響が大きかったのは依存症経験者Deryck Whibleyが彼にSum41のライブでの共演オファーをしたことだ。Mikeyがツアーライフのプレッシャーや昔の習慣に戻る事を懸念したが、去年の7月のSum41との共演や2015年2月の兄との日本公演を経験して学んだのはこの道は救済、そして破壊へと繋がってることだ。

〝正直いうと、(Sum41と)あの最初のOrange Countyの夜、俺は緊張した〟とMikey。〝だって何かの・・・バッファーなしでやったことなかったから。いきなり本番だった。出る数分前までは怖かったけど、その後はリラックスしてすごく楽しかったよ。そして兄さんと日本での共演も出来て、あの夜は初めて気づいたよ―これが恋しかったんだ、これは俺のやることだ。気持ちが新たになるような、すっきりさせるような体験だった。ステージで完全にシラフだった、本当に久しぶりだったよ。おかげで何百倍も素晴らしい体験だった。〟

Mikeyは今〝自分の問題を受け入れて、ツアーの厳しさとシラフでいることの厳しさに耐えられそう。〟

〝当時は全然準備が出来てなかった。今なら大丈夫だと思う。でももしあの時にやってたら、どうなったか・・・〟Mikeyの声が次第に小さくなる。どうなってたかはあまり考えたくないようだ。それもきっと自分を有名人にしたバンドの名前が言えない理由だ―My Chemical RomanceやMy Chem、MCRではなく、〝俺の前のバンド〟としか呼ばない。そしてそれも間違いなく自滅的な行為をやり続けたらどうなってたか考えたくない理由でもある。

〝どうなっていたか、誰も分からないよ。でも誰かに守られてるような気がする。猫みたいに9つの命があるみたい(※なかなか死なないという意味)。俺はただそばにいてくれたみんなにありがとうって言いたい。辛抱してくれて、信じてくれてありがとう。これからは楽しもうよ。〟

楽しみすぎない程度で、ね。

〝自分を大事にしなきゃ、元気でいなきゃ〟と微笑みながら彼は言う。〝月面に立つ前にはスペースキャンプに行かないとね。〟

しかし今はMikeyとDavidがSpace Mountainに向かう時間だ。(DavidはPirates of the Caribbeanが好きで、Mikeyのお気に入りアトラクションはThe Haunted Mansion―〝めっちゃゴシックなチョイスだよね〟って)2人の日帰りディズニー旅行は始まった。長い行列を期待してるのはこの2人だけだろう。待ってる間にECのこれからをじっくり話す予定だ。Mikeyは運命に全てを任すのは嫌いじゃないけど、チャンスも逃したくないんだ。僕らはさようならすると、Mikeyは自分を〝今までで一番幸せだ〟と言う、そしてDavidは彼の事を〝完全に別人だ。〟という。そして付け加えるように〝彼の成長が見れて嬉しいよ〟と。

〝出来ると思わなかったやり方で人生を楽しんでるって感じだよ〟と微笑むMikey。〝全てを全然違うやり方でやって、すごく充実感がある。〟

だって今はMikeyが目を覚めると暖かい日差しが待ってるし、前の夜のことも覚えてる。2年間の眠りと寝ながらトラブルに一直線だった今までの人生の終わりにMikey WayとECがやっとその眠りから目が覚めた。


2016年3月29日火曜日

【frank】【動画】Joyriding 日本語字幕付き

frnkiero andthe cellabration - joyriding



翻訳:@postmrcjapan
字幕制作:@shelly1904

i’m not sure what they said
あいつらは何を言ったか知らないけど
but if it’s true i’ll bet 
でも本当ならきっと
it’s just one more thing i’ll regret 
ただもうひとつ後悔することになるだけさ
i hate my weaknesses
俺の弱みが嫌いだ
they made me who i am
今の俺を作ったよ

“yea, it’s cool i’ll be ok”
〝うん、気にしないで、俺なら平気〟
as i felt your pain wash over me
お前の痛みが押し寄せてくるの感じた
i dry your eyes and hide my shakes
お前の目を拭いて自分の震えを隠す
cause i hate the look that’s on your face
だってお前のその顔が嫌いだから

these things inside my head
頭の中のことが
they never make much sense
いつも訳分からないことばかり
so i wouldn’t hold my breath
だからあまり期待しない方がいいよ
i hope i die before they save my (wretched) soul
(哀れな)魂が救われる前に俺が死ねといいな

“yea, it’s cool i’ll be ok”
〝うん、気にしないで、俺なら平気〟
as i felt your pain wash over me
お前の痛みが押し寄せてくるの感じた
i dry your eyes and hide my shakes
お前の目を拭いて自分の震えを隠す
cause i hate the look that’s on your face
だってお前のその顔が嫌いだから

don’t hang up 
電話切らないで
because i don’t have anyone left here
だってここには残ってくれる人は誰もいないよ
don’t give up
諦めないで
don’t hang on to anything i’ve said
俺が言ったことあまり信用しないで

i hate my weaknesses
俺の弱みが嫌いだ
they made me who i am
今の俺を作ったよ
it makes no difference
何も変わらないけど
i’m insignificant
俺だってどうでもいいだろ

“yea, it’s cool i’ll be ok”
〝うん、気にしないで、俺なら平気〟
as i felt your pain wash over me
お前の痛みが押し寄せてくるの感じた
i dry your eyes and hide my shakes
お前の目を拭いて自分の震えを隠す
cause i hate the look that’s on your face
だってお前のその顔が嫌いだから

this is not the end for us
これは俺らの終わりなんかじゃないよ



【frank】【動画】She's The Prettiest Girl At The Party...

frnkiero andthe cellabration - she's the prettiest girl at the party (and she can prove it with a solid right hook)


動画:Moshcam TV
翻訳:@postmcrjapan
字幕制作:@shelly1904 

got my bags all packed and i'm ready to go
荷物まとめたし、そろそろ行くよ
standing outside of your figurative door
お前の比喩的なドアの前で立ってるけど
ready for the flight or the fall off a cliff
フライトの覚悟、それとも崖からのフォールの覚悟もできてる
but if it's alright with you, i'd rather not miss out on us
でももしよかったら、俺は俺らのことを諦めたくないんだ
cause your face is all i need to stay sane
だって正気を保つにはお前の顔しかいらない
spent my life getting in my own way
自分の人生でずっと自分が自分の邪魔をしてきたよ
so i could use something good,
だから俺には何かいいことがなきゃ
i really need this to work out
これがどうしてもうまくいかないと
cause the way things are going, it might be smarter to just cash out
このままキャッシュアウトした方が賢いかも
but you're on my mind
でもお前のこと想ってるよ
the things that you say hurt me most of the time but
お前の言うことに傷つくことがほとんどだけど
i'm sinking fast, it's all right
どんどん沈んでるよ、心配しないで

i tied my stomach in knots and i'm ready to know
自分で腹をキリキリさせて知る覚悟ができた
put it all on the line if you would just give it a go
お前がやってみるなら俺だって命かけるよ
cause i wanna be the only one to hold you so close and so tight
だって俺は唯一お前をぎゅっと抱きしめる人になりたい
and if it's cool with you, yeah i'd love to the spend the night
そしてもしよかったら、うん、今夜は泊まりたい
you say you never wanna be saved, 
救われたくないってお前は言うけど、
well that's okay cause i wouldn't know how
それでいいんだ、どうせ俺には出来ないから
just know that the best that i'll ever be 
これだけ知ってほしい、1番ベストな俺は
is whatever you make me and wherever you are
お前が作る俺でお前がいる場所

you're on my mind
お前のこと想ってるよ
the things that you say hurt me most of the time
お前の言うことに傷つくことがほとんどだけど
i'm on your side
お前の味方だよ
cause i know i'm not easy to deal with sometimes
だってたまに俺が面倒なことになるって知ってるから
but i'm sinking fast, it's alright
でもどんどん沈んでるよ、心配しないで
all we wanted is what we were
俺らが欲しかった全ては過去の俺らでいること
and what we were was young and naive
そして過去の俺らが若くて考えが甘かった
i found my place in this world
自分の居場所を見つけたよ
it's in your wake, in your wake, in your wake
お前の足跡の中で、中で、中で
you're on my mind
お前のこと想ってるよ
the things that you say hurt me most of the time
お前の言うことに傷つくことがほとんどだけど
but i'm on your side
でもずっと味方だよ
cause i know i'm not easy to deal with sometimes
だってたまに俺が面倒なことになるって知ってるから
but once in awhile
でもたまにだけど
i wish you would show me that you if you even care
たまに俺のことを少しでも気にしてるか見せてほしい
i'm sinking fast,
どんどん沈んでるよ
sinking fast
沈んでいってるよ
i need you, i need you, i need you, i need you, i need you, i need you to know
お前が必要だ、必要だ、必要だ、必要だ、必要だ、知ってほしいのは
i'm alright
俺は大丈夫

2016年3月16日水曜日

【frank】【動画】Behind the Music Interview (Moshcam)

Behind the Music Interview

取材者:Moshcam TV
翻訳:ポストMCR Japan
字幕制作:あゆ(@shelly1904)

 


最初は父親の影響が大きくて、
彼は色んなブルースバンドに入っとったし、
色んなファンクバンドとかでも一緒にプレーしとったんよ
じゃけん覚えとるのがアーリーブルースとか、
たくさんのBB King、たくさんのBuddy Guy、えーっと
Freddy King―もうKing全般よ(笑)Albert Kingとか(笑)

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ギターをプレーするきっかけは?
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3歳の時に親父がめっちゃ俺にドラムやってほしかったんよ
父親自身も祖父もドラムやったけぇ、2人は俺を絶対ドラマーにすると
でも俺、散歩しとっても転ばずにはいられんほどのドジで
リズムも、なんじゃろ、得意じゃないっていうか
でも俺は作曲したかったっていう想いが大きかった、それだけは絶対じゃった
でそっからはしばらくピアノやっとって―
ほいで親が〝じゃキミの楽器は何じゃ?どんなのやりたい?〟って
で俺なんとなくギターって言った
 そしてある年の誕生日に父親からFernandez Stratのコピーをもらったんよ
でかいフレットが付いとるやつでさ、なんか当時入っとったバンドのギタリストがちょうどギターを手放しとったらしくてのぅ
素晴らしいギターで、だってまだ持っとるもん、
で覚えとるのは最初の6ヶ月は
ギターを肩にかけて鏡の前でNirvanaの曲とか弾くふりしよったんよ
弾いたりはせずに弾くふりをしながら口パクしよった。

しばらくはそんなのしてからやっと〝ほんまに弾けたらかっこいいんじゃろのぅ~〟って思うようになった
で、どうやって弾くか覚えようとしたけど、
まだ―まだ完全惚れたっていうわけじゃなかった。曲を弾こうとした時は―
いや、本当にギターにハマったのはのぅ―ソングブックとか買って、曲をどうやって弾くかとか、
どんな音を弾いとるか考えて、例えば―そうじゃのぅ―
例えば〝About A Girl〟だったら(ギターを弾く)
でEマイナーを覚えて、Gも覚えて〝よし!〟みたいな
そっからまた別の曲に挑戦して、〝あ~ここにDが入るんか~〟って
ほいでここからはハマったとこなんじゃけどよ、この知っとる3つのコードで
もうギターをマスターしたんじゃ!だって3つものコード知っとるで?もうギターの全てが分かった!って
自分で曲を書き始めた。曲の全てがその知っとる3つのコードのバリエーションでのぅ
でまぁ数日後にまた新しいコードを覚えるんよ、こう―
で〝よっしゃーAマイナーもマスターしたぜ!それで世界でいっちゃんええ曲書けるわい!〟
〝ほらこうしてAマイナーからのEマイナー、ほら!〟(笑)

♪the things that you say hurt me most of the time but
お前が言うことに傷つけられることがほとんどだけど
i'm on your side
俺はお前の見方だ
cause i know i'm not easy to deal with sometimes but
だってたまに俺って面倒くさいって分かっとるけど
i'm sinking fast, it's alright
俺はどんどん沈んでいくよ、心配しないで
all we wanted was what we were--
俺らが欲しかったのは過去の俺たちでいることだった―

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パーティーでギターを弾いてるやつになりたいと思う?
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絶っ対に嫌じゃ(笑)
あんのぅ、俺はのぅ、
ギターをプレーするのが好き、ずっとバンドに入りたかったんよ
ずっと昔から俺はライブやりたかったし、
ツアーに行きたかったし、もうとにかくバンドに入りたかった
しかし俺は決して、いや絶対、絶っ対パーティーの隅っこでアコギーを弾いとるやつなんかにファッキンなりたくなかったんよ

♪all i want is you
欲しいのはYou
all i want is you
欲しいのはYou

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バンドの解散を経て、アルバムを作り始めてさ―
で自分の頭や心から来たものしかアルバムに入らないって
めっちゃ大変なんじゃけど、ちょっとだけ自信になるっていうか?
もちろん手伝ってくれる人がおったらええなーとか、
フィードバックをくれる人がおったらええなーって思う時もあるけど、
たまにはその孤独感や、その沈黙がすごくありがたく感じ時もある。
アイディアを永遠に追求しようと思えばできるよ
無論それには落とし穴もある
例えばずっと追求し続けとったのに、結局は何にも繋がることなく終わるとか、
でも仮にそうなったとしても、学ぶことはあると思う
バンドの中でアイディア追求にタイムリミットを設けることがよくある、ありすぎる
でもすぐに浮かんでこないものだってあるけぇさ

♪all we are is a memory
俺らは思い出だけさ
i used to have a best friend
親友だったのに
just one more enemy
今じゃもう一人の敵

and all i want is nothing
欲しいのはNothing
all i want is what i can't have
欲しいのは手に入らないことばかり

----------------------------------- ギターの悲劇ってあった?
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あったわ
ほらこう―その場の勢いに流されてさ、
事件が起こっちゃうわけじゃ
で覚えとるのがまだ若い時じゃったけど、ギターがあって、
あれは初めて自分で貯金して買っためっちゃ高級ギターで
マルーン色っていうかワイン色のSG、Gibson SGでさ、
あいつはたくさんの戦いを見てきたわい
当時のギターテック、Matt Cortezがギターをフランケンシュタインして
ほいで友人でギターテックのEddyがプレートをはめてさ、
でもジャックがギター本体にだんだん沈んでって、
本体の木材をどんどんすり減らしとったけぇ俺らは最終的に
こういうシャレにならん巨大ジャックプレートをはめることした
もうこんぐらいの大きいやつをさ―

でもまぁ次は応力亀裂が入ってて、
で多分これは俺のせいじゃないんじゃけどさ、俺ちょっと急に曲がりすぎてて―
これは多分SyracuseとかAlbany, NYでの出来事なんじゃけど、
そこでステージの横で変な手すりみたいなのがあって
で俺が急に曲がりすぎて手すりにぶつかって
そしてギターに横断するような亀裂がダァーって入って中身がどばっと飛び出したんよ
ほら侍映画に人が真っ二つに斬られるかのように
俺、もうガチで泣きそうになったわい
でもその悲劇からいいこともあったよ。義理のお父さんがそのギターのために
本物の棺を作ってあげたんよ
本当すごいよ、中に絹を敷いてて、で今は
棺型ローテーブルとして
俺の地下室スタジオで置いてあるんよ
〝彼女〟にちゃんとした墓場があってよかったわい

♪1 2 3
1 2 3
want me, i want you, to want me and never leave,
俺は、お前が俺のことが欲しいと、離れて欲しくないと
i want you to want me, you, never leave
俺は、お前が俺のことが欲しいと、絶対離れない

いいね、本当すごくいいよ!

ありがとう

2016年3月9日水曜日

【frank】【動画】Purevolume Frank Q&A Part 2

動画はコチラ。 

取材者:ファンの方々
翻訳:@postmcrjapan 
字幕制作:あゆさん(@shelly1904)

 

どうも、Frank Ieroです。Purevolume Q&Aへようこそ。

Madi Corlから、「新しい音楽を書いてどんな気持ちですか?ファンに何を伝えようとしていますか?」




毎日毎日新しい音楽を書かないと、何かクリエイティブなことせんといけんような人間だ。そうするとなんとなく正気を保てる。作ってないとか、ワクワクするようなプロジェクトがないとほんましんどいわ。それに加えて体調が悪くなると耐えきれなくなる。だからこうして新しい音楽書いたり、クリエイティブなことしたりしてるって本当嬉しい!神が降りてきたような曲を書くとね、「うわ、これすげーよ!!」ってなんかハイになって、その気持ちが何日かすっと続くんよ。えーっとファンに伝えようとしていることは・・・なんじゃろ?もちろんエンジョイしてほしいけど、何かを伝えるために、というよりは全部出し切るために作ったんで、そうじゃの・・・俺と俺みたいちょっと変わったやつが受け入れられればいいなーって思った。




Destiny Uhrichから、「音楽的に一番大きな成果は何だと思いますか?」 




曲を書いて、そしてレコーディングしてみると「ワオ」みたいな曲があるんよ。そういう自分がどれほど成長してきたか実感できるような曲は宝石みたいで、ほんま素晴らしいし、なんか自分でも驚くよ。音楽をやる、人の前でプレーするというのは俺の夢だった。それしかやりたくなかった、あっいや、まあ、音楽以外にやりたかったこともあったね。怪獣映画を作りたかったけど、メインじゃなかった。ほんまに何よりもやりたかったのはバンドだったけ、その夢が叶って、そして音楽に通じてたくさんの人と繋がることが出来たっていうのは一番大きな成果だな。 




Helena Vila Killjoy・・・本名じゃぁないだろな、こりゃ・・・「frnkiero andthe cellabrationはバンドとして何が一番ワクワクしてますか?」 




 たぶん一番楽しみにしてるのは実際にツアーしてライブをやること。前の自分で曲作りとレコーディングについての質問にも関係しているけど、今回のアルバムの曲は俺にとって今まで本物の曲じゃなかった。バンドメンバーだった頃は曲を書いて、どっかの部屋で23時ぐらいに仲間と100回ぐらいプレーして、そんで一通りプレーしたらやっとレコーディング作業に入るけど、今回の曲はすべて自分一人でやったけ、ライブの環境で試すチャンスが一度もなかった。ライブでやると毎回曲は変化するか、アルバムも変化していくと思うけど、それが一番楽しみかな。




こちらはBritnye Dawn Huntから、「Frankは大の犬好きだから、ASPCA(アメリカ動物虐待防止協会)など動物に関する団体のためのチャリティーイベントはやりたいですか?」




おう、もちろん!えーっとアレ?マイケミがライブやったよね、1回か2回ぐらい・・・だいぶ前だったけどね。色んなバンドと一緒にやって、ほんま良かったよ!ASPCAは素晴らしい団体でね、俺は犬も他の動物もめっちゃ好きじゃけ、動物関連のチャリティーライブはぜひやりたい!




Zykirah Dorseyから「ツアー中にお子さんや奥さんがいない寂しさはどう対処するの?」



うわ、いい質問やね。えーっとずっと家にいないことがたぶん一番辛い。辛いし、しんどいし、もうほんま最悪なんよ。今一番嫌なのは子供が大きくなってるから俺がいないってことがちゃんと理解できるようになってる。ちょっとしたことであっちこっち行っとった時、「おうちに帰ってきて」って言われてさ、でも帰れないけ、ほんまめっちゃ辛かったわ。なんで、どう対処してるかつったら、ハガキとか、Skypeとか、バカ高い電話代とか、まぁ乗り越えるためになんでもするね。ライブはもちろん最高で、それがある程度で救いになるけど、それでもやっぱり心の穴まで埋めれるかつったら、できないけぇね。難しいわ。どう対処してるか?わかんねーや(笑)なんとか乗り越えるしかないな。





ほいじゃ、質問ほんまありがとうな!たくさん送ってくれて、みんなやさしいわ。全部全部答えられなくてごめんのぅ。これらがそん中のベストだったけぇね、ありがとう!



2016年3月8日火曜日

【frank】All My Friends Are In Bar Bands Podcast

All My Friends Are In Bar Bands Podcast

取材者:David James Young
翻訳:@postmcrjapan

※取材が始まる前にお知らせなどなどたくさんありますが、割愛させて頂きます。翻訳内容は9:14から。

元Podcastはこちら(エピソード38)

David James Young (以下DJY): やぁみんな!僕はDavid James Youngそして友達はみんなバーのバンドにいる(ポッドキャストの名前)。今日はみんなに新しい友達Frank Ieroをご紹介したいと思います!

Frank (以下F): やぁ元気かい?

DJY: 元気さ、あなた様はどうでしょう?

F: 元気よ、くそ疲れとるけど(笑)

DJY: あちゃー

F: でも元気よ、めっちゃ元気よ

DJY: 1から10をつけるとしたら、何時間寝たのでしょうか?

F: え~っと、たぶんあのぉ、、(笑)どっちかいのぅ?1から10つけるんか、それとも時間を答えるんか?

DJY: どっちでもいいけど―

F: 追加質問せんとのぅ(笑)どうかいのぅ、たぶん、えっと~、、分数でもええんか?

DJY: いいよ、いいと思うよ

F: じゃ8分の7ぐらいっかな~

DJY: う~でもまぁこれぐらいなら平気でしょ―

F:まぁな

DJY: もっとひどい時だってあったでしょ?

F: ほんまにそうよ、その通りじゃ、その通り 

DJY: ワゴン車に乗ってた日々とかさ

F: でものぅ、ホテルに戻ってすぐベッドに倒れ込んだけど、ほら、寝るのは寝るけど今何時なのか分からんけぇ不安になって30分置きに起きちゃうって経験ない?

DJY: あるよ!

F: ほいで俺、時計数台持っとるけど、ひとつはジャージーの時間でもうひとつ現地の時間なんじゃけど、ずっと違う時計見ちゃったし、午前なのか午後なのか分からんかったけぇ、なんか時空を彷徨っとるみたいな感じじゃった

DJY: やれやれ、大変だったね!でもちゃんと着いたからね、それが一番大事なことだ

F: 大事じゃのぅ

DJY: こんなシャレたとこでPodcastをレコーディングするなんて初めて!

F: ここ最高よのぅ!

DJY: 美しきパークロイヤルホテルの―泊まってる階、言っていいよね?(笑)
だって放送される時点でもういないからな!(笑)

F: 16階じゃ(笑)

DJY: ほら16階よ、どうぞどうぞいらっしゃい!フランクがいた部屋の匂いが堪能できるよ(笑)

F: ほうじゃのぅ、25時間ものフライトで着た服の臭いが楽しめるよ

DJY: やだな~(笑)ではでは、オーストラリアは初めてじゃないよね?初めてのrodeo※っていうわけじゃないっすよね?
(※rodeo→カウボーイの競技大会、〝初めてのロデオ〟っていう言い回しがあるんだけど、要するに〝初めての○○〟っていう意味。取材者はオーストラリア人なので、当然オーストラリア訛りがありますが、オーストラリア英語ではrodeoは〝ロゥデェオ〟と発音するが、アメリカ英語では〝ロディオ〟と言う←のちほど出てくるのでw)

F: 君のその発音がええのぅ、〝ロゥデェオ〟

DJY: 〝ロゥデェオ〟

F: なんかシャレた言い方じゃのぅ

DJY: でしょ?僕もそう思うよ―じゃあキミが初めてオーストラリアに来た時について教えてくれる?

F: うわ~ほうじゃのぅ、初めてはのぅ―

DJY: Green Dayとのツアーだったっけ?

F: そう!そうじゃった!―Green Dayと一緒にスタジアムライブやったんじゃ―

DJY: あとJimmy Eat Worldも!

F: でも大ブーイングされたんよ、スタジアムで大ブーイング(笑)セット終わってからスタンド出てきて他のバンド見たりしよったら〝あの最初のバンド、ファッキン最悪じゃったわ〟って人が言いよったのはっきり聴こえたんよ!俺らしょんぼりしちゃったよ―

DJY: 〝思ったぁ、最悪だったよおい〟

F: お前の真後ろにおるって!(笑)
俺も〝お、おう、あいつらくそひどかったよ〟とか言ったような気がする

DJY: 〝あいつらなんてくそ食らえじゃ!〟って言いながらマスカラとか隠しててさ〝やばいよやばいよ!俺の正体をバレたらやばいよ!〟みたいな。
いやぁ~また会えて嬉しいよ、取材をさせてくれて本当にありがとう

F: こちらこそよ、俺はここ大好きじゃ。来るのが大変じゃけどね。複数のフライトがキャンセルされたり―

DJY: ええ

F: とか、そういうことが毎回起こるんよ―

DJY: そうかそうか

F: じゃけぇここは俺のモルドール※じゃ、辿りつくのが不可能に近いんじゃ
※Lord of the Ringsネタ

DJY: いつかアレを火山に投げ捨てるつもりかい?

F: コレ?

DJY: いや、指輪よ

F: あっ指輪か!そうそうそう!って投げるかい!(笑)いや、これが鍛造されたのはのぅ(笑)これは俺の心と一体化しとるけぇできんのんよ

DJY: オフマイクで話したけど、キミを取材するのが今回で3回目で、前回も前々回も新しいアルバムStomachaches、そしてキミのソロプロジェクト〝frnkiero andthe― 〟これの発音ってand the?それともandthe?

F: あっ、うん、and the、andthe、うん、andtheじゃ

DJY: 初めて取材した時も話したけど、お前みんな混乱させちゃって―

F: させたのぅ~ 

DJY: 特にスペルチェックを使う人―

F: じゃろ?スペルミスがないか確認してみるとほら―

DJY: 真っ赤の線が三本、〝こういう綴りじゃねぇよ!〟
でニヤニヤしながら〝よし、これでいこう!〟みたいな

F: そう!そうなんよ!めっちゃおもろいって思ったのに他のみんなが〝全っ然おもろない〟ってさ

DJY: だってお前、めちゃくちゃな名前にしやがって!まぁでもとりあえずソロアーティストとしての第一歩について教えて。ポストMCRメンバーの中で君が初めて踏み出したわけだから結構大きな一歩だったよね。

F: うん、自分でも信じられんよ、因みになんじゃけど、まったくそのつもりじゃなかったんじゃけどね(笑)

例えばもしあんたがデロリアンを持ってて過去の俺にこんなことするよって言ったら、俺はきっと〝何言っとんねん?アホか!するわけねぇし、したくもねぇよ!〟って言ったんじゃろ

自分でもびっくりよ、でも面白い、めちゃくちゃ勉強になった。だってマイケミの解散を経て、自分だけのためのアルバムをレコーディングして、ほいで人がそれを聴いてから突然のレーベル契約もらって、それから再びどうやって色々やってやった方がええか―同時にボーカルとギターのやり方やオーディエンスの前での振る舞い方など―すべて模索しながらやっとった。

正直いうとかなり圧倒されることなんよ。ライブとかが終わると〝これ全然楽しくないもうやりたないわ〟って思った時もあった。でも嫁に約束したんよ、とりあえずトライしてみるって。だって150%努力せんときっといつか後悔することになるって分かっとったけんのぅ。

DJY: それで現在に至るわけか。

F: 現在に至るわけじゃ。

DJY: そしてまだやってるし!

F: なんとかまだやっとるよ!


ほんま信じられんよ。でも続けてみてどれほど嬉しいか、だって楽しい時はとことん楽しいしさ、俺―こういう経験に感謝しかないわい


DJY: 感謝ね
F: ほかと比べ物にならんぐらいの経験なんよ

DJY: 初めて音楽に興味を持った頃の話を聞かせて。音楽ってキミの家庭教育にどんな影響があったのか、そして〝この歌かっこいい!〟がいつ〝こんなのやってみたい、弾いてみたい!〟に変わったか。

F: それほどじゃないけど、親父と祖父が音楽やっとって― 

DJY: そうだったね、ギタリストだったのかい?それとも―

F: いや、ドラマ―

DJY: ドラマーか!

F: そう―

DJY: なるほど

F: じゃけんそれが後で―

DJY: ジャズドラマーとか?

F: あ、うん、祖父はビッグバンドやディキシーランド

DJY: ナイス!

F: ジャズもそういう系のやつね。親父はブルースバンドに入っとった。

DJY: いいね~

F: 親父はしばらくドラマーじゃなくて編集の仕事もしとったし―

DJY: なるほどね、なるほどね

F: じゃけんいつもどっかでライブやっとった、親父なんか年間400日演奏って言ってもええぐらいじゃ

DJY: すげぇな~


F: 祖父も出来るだけライブしとったんよ。週末はだいたい祖父のライブ行っとったし、ほいで母さんの許しが出てたら親父のライブにも遊びに行った。

じゃけん子供のころからずっと親父や祖父のライブと2人のデカイ手帳―こう何本もの輪ゴムでがっちり固定したやつさ―それを見て育ったんよ。もう普通に予定なんか立てれんのんよ、しようと思えばみんなでテーブルに座って手帳を開いて〝あっ俺はこことここでライブじゃけぇ、ここはお前に任せたわい〟とか。それが好きだった、俺どうしてもその輪の中に入りたかったんよ。俺にとって2人はまるでスーパーヒーローじゃった、もう一人の自分がおって、夜になるとどっか行っちゃう、みたいな。俺もそういう生活をしてみたかった。

唯一違っとったのはバンドに入りたかったこと。だって第一、ドラマーになりたくなかったんよ。これは後にややこしいことになるけど、個人的にドラムがまったく理解できんかったわ。好きだったけど、親父や祖父にはかなわんってことはよう分かっとった。あとどうしても作曲もしたかったんよ、じゃけん―

DJY: だってドラマーは作曲なんぞできないからね

F: そう!(笑)いやぁ、それで最初に〝キラキラしとるけんサックスがいい!〟っつってサックス買ってもらったけど、買ったのはええけど〝俺・・・これムリ〟ってなって(笑)

DJY: くそサックスめ!

F: ほいであれこれやって、やっとギターに落ち着いて、そして惚れ込んだ。でもミュージシャンじゃなくて、バンドに入りたいって気付いたんよ。それは家族が今までやってきたことと全然違うけぇ、みんなが理解してくれんかったっていうか、お互い分かり合えずにいた

DJY: なろほど、彼らは―

F: 親父と祖父は一匹狼じゃった

DJY: 一匹狼か、そうかそうか―

F: ほいで俺は―

DJY: 彼らはドラムの仕事を色んなとこでやったってわけね

F: そう、ほいで逆に俺は〝こういうのやりたい、友達と一緒に築いていきたい〟って。でもこうやってまた一匹狼になるとは皮肉なもんじゃ。

DJY: 本当ね

F: おかしな話よね

DJY: ギターを習い始めた時は憧れのギタリストっていたの?

F: Thurston Mooore―

DJY: いいじゃん

F: え~Greg GinnやRitchie Havens―彼はフォークのギタリスト兼シンガーソングライターなんじゃけど、Woodstockのオープニングアクトもやったことあってさ、一回親父が彼のライブに連れてってくれたけど、人生変わったわ

DJY: ナイス!

F: ギタリストとして俺にめっちゃ影響与えた、だって彼はリズミカルなギタリストで歌詞や歌い方によってプレースタイルを変える人で、それが俺にとって大きかったっすね。彼はギター1本のオーケストラみたいじゃった。

DJY: そうなんだ~

F: ライブが終わると、彼がハコの後ろでライブに来てくれた全員に握手してさ、それが俺の人生を永遠に変えたんよ。

DJY: 素敵な話じゃない~

F: くそパンクじゃったよ、あんなの見たことない

DJY: それ最高だよね!― そこからはどうなるんです?高校生活っていうか、高校生ぐらいの時からかな?初めてバンド活動に参加したのは

F: ほうじゃね

DJY: 初めてのバンドと初めてのライブについて教えて

F: 初めてのライブはのぅ、高校のジュニア(3年生)リングダンスじゃった

DJY: いいじゃん!

F: じゃろ?ほいで俺は3年生じゃなかったけぇおっちゃいけんかったんよ(笑)

1年生じゃったけぇライブが終わったら〝お前はもう帰れ〟って言われた

DJY: どんなバンドだったかい?

F: バンド名がのぅ、え~っと名前決めてなかったけぇSteve Wile and the Disco Kingsっていう名前にした。Steve Wileってやつがおったんじゃけど、彼全然バンドに入ってなかったけど、名前だけバンドに入ってたらおもろいかなって思ったけぇさ

DJY: 面白いね!

F: くそ下手なパンクロックとか、Nirvanaのカバーもやったかな?まぁそういう感じの

DJY: はいはいはい

F: うん、ってなわけでSteve Wile and the Disco Kingsじゃった

DJY: 素敵だ

高校の頃は色んなバンドに入ったりしてた?

F: もちろん

DJY: そうかい?どんな音楽やってた?

F: ほとんどパンクロックじゃったな、他の人のバンドでプレーしたりしとったし。できるだけたくさんの人とプレーしかったけどのぅ、当時の高校じゃスケーターが4人ぐらいで音楽やっとる人も4人ぐらいじゃったけぇ、結構大変じゃった。自分と同じ趣味の人がおらんかったけぇずっと探しとったんよ。じゃけぇ興味を持ってくれる人を見つけたらそいつに弾き方とか教えようとした

DJY: そうか、なるほど

F:〝少なくともあんたはええ音楽が好き。弾き方とか分からんかもしれんけど大丈夫じゃ、一緒にやってみよう〟って感じ。そればかりやっとった。

DJY: イケてない学生とかはみ出し者の集まりみたいな感じだった?ほらこう〝俺ら5人しかいないからお互い仲良くしようぜ!〟みたいな―

F: まぁ正直―ジャージーシーンはのぅ、めっちゃ深く繋がっとるんよ、時には近親相姦的な感じになるぐらいじゃ

DJY: なるほど、みんながみんなのバンドで活躍してるみたいな

F: ほうよ、例えばさ―じゃけんさ、cellabrationのドラマー、Matt Olssonっていうんじゃけど、彼とプレーすることになった時さ、俺、彼のことがまったく知らんくて、聞いたことするなかったんよ。それが何よりショッキングでさ、だってファッキン20年間も知らない人とプレーしたことがなかったよ、彼が初めてじゃった

DJY: わお!

F: それがなんかすごくてのぅ、でもまぁ、みんながみんなでお互いのバンドでやったりしとったし、共通友達もいっぱいおったし、違うバンドで違う人とやったりしとったけぇ面白かったんよ

DJY: みたいだね。じゃあさ、マイケミの前にいたバンドってどうだったの?売れそうなバンドとかあった?例えばライブ何回かして〝これだ、これなら一生食っていけるぜ!〟みたいなバンドあった?

F: いやぁ、俺らのシーンはのぅ、シーンで活躍したみんながみんなで売れるやつなんかおらんじゃろって思ったんよ。今やっとる音楽は誰も好きじゃないし、好きにならんわって感じじゃった。

DJY: そうか

F: 死んでから人が〝あいつら最高じゃった!〟って覚えてくれたらラッキーなぐらいじゃった

DJY:〝あいつら覚えてるかい??〟

F: そうそう、だってMisfitsが解散するまで全然人気なかったけぇね

DJY: 本当だよ

F: そういうもんじゃ、パンクロックってそういう生き物じゃ、だってみんな(バンド名が聞きとれなかった、すみません!)の再結成を願っとるじゃろ?そういうもんさ。じゃけぇそういう売れる感じはまったくなかった。最初にレーベルと契約したり、何かレコーディングしてそして出す―部屋なんかに置いたりとかじゃなくてよ―ちゃんとアルバムを出すのが結構大ごとじゃったよね

DJY: うんうん

F: あと州外でライブやるのも大ごとじゃったわい。覚えとるよ、マイケミが初めて結成した時、俺が〝I Am A Graveyard〟(俺は墓場だ)っていうバンドにおって―

DJY: かっこいいバンド名だな、おい

F:  ありがとう!(笑)

DJY: やべぇよ、まじかっこいい

F: 俺らには練習ができるスタジオがあってのぅ、そこでロックアウトやったんよ。あれは変なロックアウトじゃったわ―バンドが真面目じゃったらロックアウトが必要不可欠じゃったよ、分かるかな?

ロックアウトっていうのはとにかく何もない部屋なんよ。そこで思いっきり音出してええし、ほいでそこにおる人みんなワヤするんよ、そういうとこじゃ。

で、覚えとるのは、ニュージャージーのバンドThe Bannerもおったし、Thursdayもおったし、ほいでRunner By Deathもおったと思う。とにかく当時Eyeballと契約しとったバンドみんながあのスタジオに辿りついとったけぇそうやってみんなと仲良くなったんよ。

深夜で時間だけ持て余してさ、だってすることないし、お金もロックアウトで全部使っちゃったし、それかビールかドラッグか、でもそれしかなかったんよ!じゃけん部屋に入って〝まぁこれもあるし、あと誰か弦も買ってきたけん音楽やるか、それとも別の何かやるか〟―そんな感じじゃった。

DJY: ええ

F: ほいでダメなヤツはすぐ消えたよ

DJY: 最強のヤツのみ生き残る!みたいな

F: それドアに書いてあったよ!

DJY: まじで?

F:〝生き残るのは誰?そしてそんな中で最後まで残るのは誰?〟ってドアに書いてあったよ、スプレーで

DJY: えっまじで??やべぇじゃん!

F: じゃろ?

DJY: それまじでヤバいよ

F: 残酷じゃったよ、あの部屋に入った時のあの雰囲気がのぅ、やばかったわ

DJY: だろうね。じゃあ初めてのマイケミライブについて教えて―いつだった?まだジャージーだったかな?

F: まだジャージーじゃったね、そして俺はまだメンバーじゃなかった。俺の従兄Patrickが―俺の家族はもともとサウスジャージーからで、子供の頃に両親が、いや、俺が産まれる前に両親がノースジャージーに引っ越してから俺が産まれたけぇそうやってノースジャージーに育てられてそこのシーンに入ったんじゃけど、俺の従兄はパンクロックとかが好きでさ、俺よりちょっと年下じゃったけど、俺が近くでショーやり始めたら彼も一度俺のショーでプレーしとってから〝僕もショーやりたい!〟って言ってきたけぇ俺はやり方を教えたんよ。ほいで彼がEwing,NJの米国在郷軍人会のホールでショーやったんよ。彼のバンドとあそこらへんのバンドたち、俺のバンド―あれはI Am A GraveyardかPencey Prepじゃったかな?―

DJY: また素晴らしいバンド名だな

F: ありがとう!そしてマイケミもな、マイケミもやったよ。ほいで覚えとるわい!俺はグッズ売り場におったの覚えとる、そこからマイケミのセットを見た。バンドに入る前に彼らのライブ全部行ったんよ、たぶん9つか11個のライブじゃったかな?

DJY: じゃあ曲も当然知ってたのね?

F: そう―

DJY:〝俺なら任せて!〟

F: 正直いうと、バンド結成から俺の加入まで数ヶ月しか経ってなかった。不思議じゃったっていうか、なんか変じゃった―こう、バンドに入ってない人なのにずっと一緒におるって

DJY: ええ、ええ、ええ、ええ

F: じゃけんなんか合理的じゃったっていうか

DJY: そうだね。で、初めて一緒にやったライブというのは―

F: 初めて一緒にやったライブはのぅ、Club Chromeっていうとこで、あれはSayerville,NJじゃったかな・・・?覚えてないんじゃけど、もうなくなったし、うん、Club Chromeってとこじゃった。

DJY: 始まる前はどんな気持ちだった?

F: 最悪じゃった!

DJY: えっ本当?

F: うん、ほんま最悪じゃった

DJY: うわ・・・

F: 覚えとるよ、あれ―

DJY: えっ初期マイケミのライブってみんなあんなんだった?

F: いや、ただ行き当たりばったりじゃった

DJY: その夜はハズレだったってこと?

F: ううん、行き当たりばったりだけじゃった。12回目のライブということもあったし、俺と初めてのライブというのもあったけんね、終わったらレーベルの責任者が〝ん~もっとうまくいくと思ったのにな〟って俺に言った(笑)

DJY:〝おかげさまでなんとかなりました〟

F:〝なんか、ん~もっとうまくいくと思ったのにな・・・〟でその後は〝まぁいっか〟っつってどっか行ったんよ

DJY: マイケミっていうバンドはね、当時の美学から離れてたし、キミたちの次にPanic!とかそういうバンドが出てきてエモに火がついちゃったけど、キミたちって本当ツアーこそ全てだったと思う。

常にツアーに出てて、そして小さいハコライブからBlack Paradeのまるでステージショーみたいなくそでかいアリーナツアーまで成長して、とにかく派手にでかいことに挑戦してきたバンドだった。パフォーマーとして、ライブが大きくなる度に自分もそれに合わせて進化をしなきゃ!とか思ったの?それとも、もっと〝俺らは妥協なんかしねぇよ!〟みたいな感じだった?ほら、その時はまだ20代で自信満々だったから―

F: んなことないよ―

DJY: んなことあるっしょ!

F: ないよ

DJY: だってさ、いるでしょ?そういう〝俺ら若いし、ファッキンクールだし、愛されてるバンドにいるし!全てが思い通りだぜ!〟みたいな人。でいつかはそういう考え方のせいで全てが壊れてって。僕そういうのいっぱい見てきたよ。

F: それは分かるけど、20才の時はのぅ、自分がなんでも知っとる。ほいで25才になるとヤバイ!俺何も分かっとらんって頭がおかしくなるんよ―

DJY: 僕25才だから、それよく分かるよ(笑)

F: 俺的に25才の時にほんまに頭おかしくなって、そして30才で自分は何も分からんけどそれでいいって気づく。そっから色々学び始めると思うんよ。ほいで35才になると〝やべぇ俺、35なのにまだ全然勉強が足りん!〟ってなると思うんじゃけど、俺はまだなってないけぇ、来年また報告するわ。

でもまぁ!20ん時は何でも知っとるって思いこんじゃっとるけど、世間やメディアの目にさらされとる人はのぅ―20代で世間の目に常にさらされると、なんでも知っとる、しっかりしとるふりをせんといけんのんよ。ほいで世間にはやっぱりタチが悪いクズ野郎もおるわけで―

DJY: 下手したらそれよりもっとひどい奴らも―


F: そう、しょうがないことなんじゃけど、おるよ。じゃけど世間の目にさらされとる人ら、しっかりしとるふりはするtっちゃするけど、絶対にしっかりしとらんし何に分かっとらん。

じゃけぇ難しいよ、特に物事がどんどん大きくなっていくのに自分自身がどういう人間なのかまだ分からん、ありのままの自分が好きかどうかすら分からん。それは分かるまですごく時間がかかることよ、なのにそれを世間の前でやらんといけんだなんて―特にソーシャルメディアとかで言いたい言われたい放題の今の時代でそういうやって成長せんといけんみんながかわいそうじゃと思うよ。

失敗なんぞできんよ。産まれてからしっかり自分のことを把握しとる数少ない人間じゃない限り、ムリなんじゃ。

DJY: その通りだよ

F: もうチャンスすらないよ。ほいで自分の失敗に永遠に付きまとわれちゃうよ、ほんま残念でならんわい。

でもライブとかについて、俺が思うのはどんなライブやっても、誰にプレーしててもライブは毎回まったくと言っていいほど違う。こぢんまりしたライブが大好きなんじゃけど、でかいライブと同じようにはできんし、でかいライブもこぢんまりしたライブと同じようにもできん。あれみたいじゃ、段ボールで絵を描くのとキャンバスで描くのと、まったく違うじゃろ?そういうことじゃ、描けるっちゃ描けるけど、ベストな方法とは限らんし、うまくいくとも限らん。

じゃけぇ毎回のライブは違う、違う人や違う国、違う州でもその場に合わせてやり方を変えんといけんのんよ。それは経験で学んでいくことなんじゃけど、長年学んできたことがたくさんあるし、うまくやったことと、そうでもないこともあったけど、全部が勉強になったわい。

DYJ:〝今の何??〟みたいな瞬間ってありました?

F: もちろんよ!もちろんあったよ!

DJY: アリーナツアーとかでかいライブをやった時でも?

F: もちろんよ、もちろん!だってさ、外科医だってやらかす時があるよ(笑)

DJY: そうだね(笑)

F: 仕方ないんよ。でもやらかした時、バレずに立ち直れるか、それともパニくるかはできる大人の差じゃと思うんよ。とはいえ、俺の大失敗を語るわけにはいかんわい(笑)

DJY: アルバムが全てを語ってくれるよね。でもどうかな、失敗って主観的だと思うよ。だってたまにさライブの終りに僕がバンドの人に〝すっげぇよかったよ!〟っていうと、〝いやいや音外してたし〟とか〝なんか納得できない演奏だった〟とか言う時もあるよ。だから自分が〝うわ~あのリフ全然ダメだった!〟とか〝ソロでやっちゃったぁ〟とか〝あれ間違った〟とか思っててもライブが終わると人生で一番最高のライブだった!って言われるかもよ?

F: それなんよ、自分は観客のライブ体験を無駄にするような立場じゃないけぇのぅ、そういうのやっちゃいけんよ。

DJY: そう!

F: どういうライブだったかは自分が知っとるわけ、うまくいかんかったとこも、うまくいったことも。失敗から学んで次の日がもっとうまくいくようにするのが大事なんじゃけど、最も大事なのはのぅ―ほら、ライブの5つのルールってあるじゃん?第一はチューナーを買うこと、でも第2はやらかしても誰も分からんし、誰にも分からんようにすること、あれが二番目に大事じゃよ?じゃけぇ言わんよ―もちろんやらかしたことあるけど、詳しくは勘弁して(笑)

DJY: マイケミ、そしてご自分がマイケミと一緒に過ごした時間の中でたくさんの面白い出来事があったよね。初めてここに来たはリベンジ時代でどんどん人気出ちゃって、そして次がブラパレ時代の二つのツアーで、その時点でキミたちが世界で一番熱いバンドといっても過言ではなかった。それで最後に来たのがDDのアルバムでそれっきりで会うことはなかった。当時のキミたちはそれが分からなかったと思うんだけど、あれが僕たちからしたら最後になっちゃったよね。バンドの最後の方や、最後の方のライブとかでバンドが終わりを迎えてることってどこか分かった?ライブに反映された?

F: 答えることが難しい質問じゃのぅ、何を言ったって後知恵というフィルターを通してのことじゃけんのぅ―

DJY: 確かに

F: 今考えるともしかして分かっとったかもしれんけど、当時の行動からしたら、全然分からんかったね。時代の終わりには必ず何かしらのシフトが起こるじゃろ?ほら、地殻みたいにさ、俺らは何をやっても動くし、予兆もあるんじゃけど、何をしてても動くものは動く。抵抗してもええけど、抵抗したら大地震が起こるのみ。それとも何もしないことにして、放っておく。当時の俺らにはそれが一番ベストだと、人生を成り行きに任せたよ。あのツアーは確かBig Day Outじゃった。2010年じゃったっけ?

DJY: 2012年

F: 2011年とか?

DJY: そうだね、2012年の年明けだったから、君たちがここに来たのが2012年の1月だったね。

F: ほうじゃ、じゃけぇあの時はまだ早かったような気がする

DJY: そうね

F: うん、、うん

DJY: まぁ難しいよね、〝4年前は何考えてたんだろう?〟みたいな

F: うん―毎日Bronx見たの覚えとるけど

DJY: やばいなおい!

F: Mariachiもやったし、彼らダブルセットやったんよ、2つや3つのダブルセットやったわ、ほんま最高じゃった

DJY: マイケミ解散後始めて自分の名前でライブしたことについて教えて

F: ほうじゃのぅ―初めてのライブがのぅ―

DJY: Cellabrationとしてだったの?それとも―

F: そう、うん~まぁ、一回Barion Electric(聞き間違いかもしれない、すみません)ってとこでライブやったよ、試しにのぅ。期待されずにプレーできるように名前も変えたよ

DJY: なるほど、シークレットネームでね

F: そうそう。Aerosnifftって名づけたんよ

DJY: 素晴らしい!(笑)

F: それにほんまにええライブじゃった、めっちゃ楽しくてのぅ。その後はめっちゃ呑んだんよ、あまりにもモヤモヤしとったけん。もうめっちゃ緊張してさ、でもほんまええライブじゃった。友人のバンドScience、あとThis Good Robotってバンドと一緒にやったけど、両方すごいええバンドで俺らにオープニングアクトをやらせてくれてさ、うまくいくかどうか試させてくれたんよ。ほいでその数日後俺らがヘッドラインをやることになって、2つのヘッドラインライブしてからTaking Back SundayとThe Usedと一緒にツアーに出た。

DJY: わお、しかも旧友でしょ?

F: そうなんよ。つまりアルバム出してて、ほいで俺らが〝ツアーしたい〟っつって、でこういうツアーが今回っとるけどみたいな話になってから彼ら(TBS、The Used)が〝一緒にツアーしない?〟って誘ってくれた。優しかったよ、優しすぎて断りかけたんよ。だって初めてのツアーなのに―

DJY: 楽したくなかった?

F: そう、楽なツアーで人に優しくてされるなんて(笑)水やらなんやらもらったりとか―

DJY: ワゴン車でぎゅぎゅ詰めで―

F: そう、そういうのやりたかったんよ

DJY: 20分のセットとか―

F: そうそう、だって人に優しくされたらさ―

DJY: 電源も切られたりとか―

F: 人に優しくされたらいけるかどうか判断できんじゃろが!でもまぁ、そうやって力になってくれる人がおってくれて感謝じゃわ。嬉しかったよ、〝一緒にやろう、俺らのキッズなら受け入れてくれるし、真剣に聴いてくれるじゃろうけん、やってみ。毎晩1500、2000人の観客の前でやってみ!〟って言ってくれる人がおってくれて。ほんまよかった。

DJY: 僕からしたら、君はマイケミで長い間脇役やってきたけど、その脇役から突然センターになっちゃったから結構大変っていうか―

F: おう、あれね、最悪じゃった。

DJY: 演奏にも影響がありそうだけど、どうだった?こう―バックボーカルが入らないからあれ?ってなった

F: それよりはライブの全てが自分の体調次第ってことを思い知っ。調子が悪いとか、そんなの許されんよね。あれが一番しんどいよ、だって俺ってよう調子悪くなるけぇ(笑)

DJY: あるだろうね

F: 調子が悪くてもバレんようにせんと。じゃけぇバンドのフロントマンやボーカルがバンドで一番大変じゃと思うんよ。自分が実際にやることになるまでは全然気付いてなかったんじゃけど。あ、でも、どうかな、二番目に難しいかも。一番難しいのはドラマーかな。

DJY: お前またドラマーのことを!


F: いややや、真剣に言っとるよ。バンドで一番難しいよ、だって第一、全てのペースを担うことになるじゃろ?バンドの大黒柱で間違ったらみんなにバレるし、それに片付ける時は誰も手伝ってくれんのんよ(笑)じゃけん最低なんよ。

DJY:〝お前一人で大丈夫よね?よし!じゃあな!頑張れよ!〟

F: そう、じゃけん最低なんじゃけど、でも二番目は絶対ボーカルじゃ。ほいで信じてくれん人がおったらこうするがええ、ベースのアンプが壊れちゃって、直しとる間の3分間をトークでつないでみ?まったく関心のない観客がいっぱいおるハコで。

DJY:〝えーっと、楽しいっすね・・・〟

F: ほら!そうなっちゃうじゃろ?

DJY: 今のプロジェクトで満足してる?FIATCとしてやり続けたいと思います?それとも他のプロジェクトをやってみたい?これからは音楽的にどうしていきたい?

F: 正直言うと今言ったこと全部じゃ。このプロジェクトはまだ終わってないよ。考えるとめっちゃ不思議でのぅ、始まった時は始まるつもりじゃなかったのに、1年半が経った今は次のステージを考えてるわけじゃ。不思議なのは不思議じゃけど、逆にそれがええんよ。まだ新鮮じゃし、まだ言いたいことがたくさんあるし、じゃけぇこれからどうなるか楽しみにしとる。

特に次のアルバムは人が聴くこと前提で作っとるけぇのぅ―だから最初は違和感があったと思うんよ。だってアルバム作ったのはええけど、人がそれを聴くと思わんかったし、フロントマン兼ボーカル兼ギタリストという新しい役割に戸惑っとるだけじゃなくて、やっとる曲も誰にも聴いて欲しくなかった曲じゃったけん違和感あったよね。あれみたいじゃ、生々しい刺し傷をみんなに見せるような感じじゃったわい。

DJY: そうよね

F: じゃけぇ今回はそういうことがプロジェクトの本質じゃって分かっとるけぇ、受け入れることが出来る

DJY: なんていいこという!

F: ありがとう!

DJY: 本当名言ですな~そろそろ終わりますけど、最後に―これは全てのゲストにお願いすることなんだけど―

F: はいはい

DJY: そして今はキミの版なんだけど―

F: なんか心配んなってきたわい

DJY: 僕が知りたいのはキミの今までの最高と最悪ライブの思い出

F: わお、えーっと―

DJY: どっちからスタートしてもいいよ、例えば―

F: あれ?どっちか選ぶってことなん?

DJY: 例えばポジティブに終わるか、みんなへこまして終わるか―

F: ならへこませようじゃ(笑)

DJY: 最高から最悪の人も、最悪から最高の人もいるけど―

F: じゃ俺は最高から最悪にいくわ、だって最高は簡単じゃもん。俺らがライブやっとったけど、俺の大好きなバンドのひとつAgainst Me!とツアーすることになった時じゃった―

DJY: おう!いいね!すっげぇいいバンドよね!

F: おう、あともうひとつのバンド、Annie Girl and the Flightもおって―

DJY: いいじゃんいいじゃん、それで?

F: サンフランシスコのバンドなんじゃけど、あいつらがオープニングアクトで俺らがその次じゃったけど、その夜はSayerville, NJのStarland Ballroomでやっとって、あそこがホームグラウンドみたいな場所になっとるんよ、色んなバンドでそこでライブやったことあるし、スタッフも素晴らしいし、でもあの夜は初めて俺の子供達がライブに来てくれて、まぁ息子のマイルズにとって俺のプレーしとる姿を見るのが初めてじゃったよ

DJY: すごいな

F: でも娘たちが今色々分かってきた年齢でステージの袖で大興奮しとって、ほいでセットの終盤にチラッと娘たち見たらリリーがめっちゃ悲しい顔しとったけぇ彼女のとこ行って〝これから最後の曲やるんじゃけどどうしたん?〟そしたら彼女が〝うちらもバンドに入ると思ったのに!〟って。そっか!って思って、〝じゃそうしよ!〟ってなって子供達をステージに連れてって一緒に歌ったんよ。あいつらは好きな曲歌ったりして、人生で最高の3分間じゃったよ、一生忘れん思い出になったわい

DJY: いやぁ~素晴らしいよ、それにバックボーカルも見つけたな!

F: じゃろ?ほんま楽しそうじゃった、俺にとっては至福のひと時じゃった。YouTubeにその時の動画がアップあれとると思うんじゃけど

DYJ: それ本当最高だな

F: で最悪のライブといえば、、まぁこれが最も最悪かどうか分からんけどかなりひどいやつよ。ストリートフェア(近所のちっちゃなお祭りみたいなイベント)でライブやったことあるけど、Hybridっていうバンドで。で、貼り紙で俺らのバンド名がHybirdになってて―

DJY: なかなか良いスタートだな

F: じゃろ?ほいで平台トレーラーの荷台でのライブじゃったよ

DJY: おっと、大好きだよ、そういうの

F: そうじゃろ?好きじゃろ?

DJY: いやぁ、僕もあれでライブやったことあるよ、何回か

F: じゃろ?

DJY: 楽しいよね、ありゃ

F: じゃ分かるよね?

DJY: ああ、残念ながら

F: 平台トレーラーでライブってかっこよく聞こえちゃうのにのぅ―
まぁとりあえず何曲かやってから友人が曲を歌うことになってトレーラーに上がったけど、歌いだすとさ、なんかGirl Biscuitsのカバーかなんかじゃと思うんじゃけど、歌いだすと突然知らんばあちゃんが出てきてさ〝NO NO NO NO NO NO NO NO!〟っつって俺らの電源落としたんよ!それでライブが強制的に終わったわい

DJY: えっなんか関係者だったの?それとも独断で決めたの??

F: 分からんよ!関係者なのか関係者の知り合いだったのか分からんけど、みんながあのばあちゃんを見て〝あら、ライブ終わったのね!〟って納得してさ、ほいでおばあちゃんが〝いけんいけん、十分じゃ、もう十分じゃ〟ってさ。そして俺らの電源が落とされてHybirdは二度とライブをやることはなかった。以上。

DJY: まぁたまにはね、そういうばあちゃんが必要かな―

F: んなわけねぇよ、no、no、絶対にNO、少しもいらんわい

DJY: 彼女が繰り返して登場するような人だったら面白いと思わない?毎回キミのライブに来てて―

F: おいふざけんなや、ちっともおもろないわい。ほら明日は絶対来るけん、あのばあちゃん

DJY: 感じるのよ、あのばあちゃんがここまで飛んできてんよ、お前狙ってるぞ、気を付けろよ

F: きっと待っとんじゃろ、ちくしょー

DJY: アルバムはStomachachesでちゃんとしてるレコード屋ならきっとストックしてるからぜひお買い求めください!最後に言いたいことはありますでしょうか?

F: No, no, no, no, no! (笑)

DJY: もう終わりだ(笑)フランク、時間を作ってくれて本当にありがとうね!

F: こちらこそありがとう!

DJY: 俺がDavid James Young、そして友達はみんなバーバンドにいる