Kerrang! The Redemption of Mikey Way
Mikey Wayの贖罪
取材者:Mark Sutherland
翻訳:@postmcrjapan
(ネオン:消えない光だってある)
Mikey Wayが自身初のポストMCRプロジェクトElectric Century(以下:EC)を明かしてくれてから2年。薬物依存のどん底、そして臨死体験からリハビリと贖罪まで、ここで彼が今週のKerrang!に付いてる限定アルバムFor The Night To Controlが出るまでの人生を変える旅をMark Sutherlandに語る。
Mikey Wayが目を覚ますと、雪はまだ降っていた。雪が窓に流れながら彼の頭がズキズキと痛んで、昨夜に何があったのか思い出そうとした。友達に会いに行ったことは覚えてる。大雪が降り始めたことも覚えてる。そしてアルコールとドラッグの〝かなり悪質なカクテル〟のことも。
しかしその後は何も思い出せない。気を失ったことでさえ覚えてない。そしてなぜ背中にある無数の傷から滲み出た血の中で横になってるのかがさっぱり分からない。しかし雪がどんどん積もる黒いアメリカの夜の中、横たわったまま彼がようやく何かに気付いた。ずっと前から気付くべきだったことを。彼は携帯を探し出して兄のGerard WayとバンドメイトのDavid Debiak、そして親しい友人数名に電話をして、同じ三つの言葉をかけた:〝I need help〟(助けて)
あの夜はMikey Wayの救済に繋がる一連の出来事の始まりだった。
そして今日、彼とDavidがカリフォルニアの春の陽気の中でディズニーランドへ向かう中、あの暗い夜が数年前のことではなく、遠い昔のことのようだ。しかしMikeyには分かる。あの夜がなかったら今はない、と。あの夜のことは詳しく話したがらない、教えてくれるのは〝たくさんの危険なケミカル〟を摂取したってこと。しかしこれだけは言う―
〝二度と意識が戻るはずじゃなかったと医者に言われた。俺のしたことは致命的だった。何回も死にかけたのに毎回意識が戻った。やっぱりそれなりの理由があった、俺にはセカンドチャンスをもらった。〟そして初のポストMCRプロジェクトECを明かしてから2年が経った今、Mikeyはそのセカンドチャンスを両手でしっかり掴む準備ができた。
ECが最後にKerrang!に話した2年前に巻き戻そう。当時のMikeyは絶好調に見えた。New London FireとMikeyの好きなバンドSleep StationのアーティストDavidとの新しい作曲パートナーシップができて、Mikeyは開放感と再スタートへの期待でわくわくしてた。ECのデビューアルバムを出きるだけ早く出す、2014年の夏までに必ずと彼が断言した。そして彼が言った:〝唯一のルールはルールなんてない〟と。
しかしKerrang!と話したタイミングでMikeyがペンシルバニア州のリハビリ施設に入ることになる。ルールは結局たくさんあって、そして元MCRベーシストの彼がほとんど全てのルールを破った。でも当時は彼自身もロスの家から東海岸に行くまではリハビリ施設に入ることは知らなかった。彼にはECのデビューアルバムFor The Night To Controlを仕上げるために行くと思った。
空港でDavidが迎えに来た。
〝で、これからスタジオかな?〟とMikeyが尋ねると、〝実はちょっとお知らせが。スタジオには行かないよ。とある場所に行くんだから、そこでこういうことを計画してるから、全てをやってもらわなにとダメなんだ。〟
Davidのインターベンション計画はMikeyのことを心配したご家族や友人と共に考えた。Mikeyは前から自分の問題や悩みについて正直に話してきたが、素直に施設に入らないことはDavidが覚悟した。抵抗するなり怒るなりするだろうと思ったのにMikeyはしなかった。
〝彼はすぐさま"分かった"って。1ミリも抵抗しなかったよ。"その通りだよ、俺に助けが必要だ"って俺に言った。そして俺は彼を施設に連れて行って全てが始まった。〟とDavid。
〝喜んで施設に入ったよ〟とMikeyは告白。〝もっと早く入るべきだったかもしれないけど、自分のミスは自分のペースでやらないとね。〟
そして自分はかなりたくさんのミスをしてきたとMikey本人が認める。彼の重なるOD(過量摂取)がきっかけで施設に入ることになったけど、彼の薬物依存問題は昔からあった。彼曰く、不器用な10代からアルコールやドラッグで〝セルフスース(自己鎮静、自分で自分を落ち着かせること)〟をやってきた。その習慣は国際ロックスターとしてマイケミカルロマンスにいた10数年もの間に続いた。
〝自分で自分をメディケートする(薬で治療する)プラス遊びでやってたことや薬剤的なことだった。俺はかなり前から重度の不安神経症ってみんな知ってた。それいつもオープンに話してたよ〟とMikey。
そう、MCRの2006年アルバムThe Black Paradeのレコーディング中に不安によって心身ともに完全に破綻したことも。子供の頃からロックスターになりたかったにもかかわらず、いざとステージに出るとストレスがどんどん増えていくことを痛感した。
〝ロックンロールバンドに入りたかったし、人に希望を与えたかったよ。その夢は叶ったけど、気持ちを整理するのが難しくて、そして俺の整理方法が間違ってた。自分の不安をどうにかしようとしてた、特にパフォーマンスに出るような不安を。ライブですごく表情が硬いとかガードが硬いとか言われたことがあるけど、あれは恐怖だよ。〟
そしてMikeyはあるモノならその不安を和らぐことができると分かってきた。彼は主にアルコールとVicodin(処方箋が必要な痛みどめの薬)に依存してたが(〝手に入れる方法があったし、いつも入手してた〟とため息をつきながら彼は言う)、ハイになるためならなんでもよかったと彼は認める。彼にとってオフリミットなモノはひとつもなかった、シラフ以外にね。
Mikeyはここまで自分の問題を隠せたのはある意味ですごい。だってMCRのやること全てがいつも眩しいスポットライトの中で世間に晒されたから。しかしMikeyの友人が彼のために動いたきっかけはMikeyが普通に生活ができる大人からほとんど生活ができない廃人になったからだ。
彼の依存について、〝山あり谷ありだった。時にはまったく問題なかったと思ったし、また時にはこれはいけないって心から分かった時も。ずっと前から隠すことが出来たが、ある時全然コントロールすることができなくなった。親しい友人や家族に何が起きてるか全て正直に話してみんなに助けを求めたんだ。〟
そして当時の彼女と別れた時、友達だと思った人たちが少しずつ消えたが(〝パーティーが終わると自分の本当の友達が分かるんだ〟と彼)内輪の仲間のほとんどが一緒にいてくれた。
〝(一緒にいてくれて)本当にありがたかったよ。当時の俺は本当どうかしてたから、友人や家族が一緒にいてくれることが俺のことを諦めない証しだった。捨てようと思えば俺のことを捨てれたのに、捨てる理由なんていくらでもあったのに。〟
リハビリはMikey Wayにきつかったが、ポストリハビリがもっときつかった。施設で元々Alcoholics Anonymous(アルコール依存者更生会)に開発された12段階のプログラムに入った。プログラムには〝大いなる力〟に服従することが決まりで、宗教的な力を選ぶより、Mikeyが自分が間違ったことをすると心の中で聞こえた声(〝大いなる自分〟)を選んだ
依存から脱出したMikeyがプログラムが勧めた90日間に90回のミーティングに参加することにした。彼の〝本当の旅〟はそこから始まった。
〝プログラムを終了した人の多くがこう言うよ:俺は大麻に依存してないからヘロインをやめた今は大麻はやっていい。なんか変な逆ロジックになっちゃうけど、全てやめるか全てをやるかにするしかないよ、グレイゾーンなんてない、本当に。〟
そしてうまくいってるようだ。Mikeyがリハビリ施設に入った2014年の頭以来アルコール一滴も麻薬ひとつも口や鼻、血管などに一切入れていない。
〝リハビリ施設に入ると出ることがフィニッシュラインだと思ったりする。出ることさえすれば俺は大丈夫、みたいな。でも実際はそうじゃない。前は麻薬やアルコールで自分を治そうとしたから、今は感情をプロセスできる新しいツールやメソッドが必要だ。実際に自分の感情と向き合ってみないと〟と彼。
たくさんの元薬物依存者がいうには、禁断症状から来る肉体的トラウマが終わると次に大変なのは普段次のハイを追い求めてる時間を今どう過ごすか問題。Mikeyはその時間を新しい出会い、新しい趣味、そして新しいプロジェクトで過ごすことにした。
リハビリが終わって直後に新しい彼女Kristin Colbyに出会い、2人は去年の3月に婚約。Mikeyは動物園やカリフォルニアのテーマパークに遊べるようになった。そして去年〝より健康で、より幸せで、より仕事が出来る〟ってツイートしたのはRadioheadの影響なんぞじゃなかった。
〝今そういう気持ちだもん〟と笑いながら彼は言う。〝リハビリで元気になる前にはドン底の気分を味わえるけど、元気になったら、それは今まで追い求めてきたどのハイよりも何百倍も気持ちがいいよってよく言われるけど、本当なんだ。それを最初に聞くとさ、みんな“んわけないよ”って思うよね。“俺はそういう人間じゃないよ”とか“俺は違うよ、きっとすぐ平気になる”とか。しかし俺みたいな過ちを犯すような人は全員同じことを経験するよ、元気になる前にはどん底だが、それを乗り越えれば本当にすごく元気になる。まるで生まれ変わったような気分になる。〟
今日のポジティブさで溢れるMikeyはMCRにいた頃の青白の顔でジタバタしたMikeyとまったくの別人。しかし彼のポストMCRとポストリハビリの人生を活性化したはもちろん、音楽だ。
ECのアルバムFor The Night To Controlが出るまでかなりの時間かかったけど、待った甲斐があった。Mikeyがいうには自分のリハビリによるアルバムの遅れ、そしてあっちこっち旅するロックスター生活にすぐ戻ることが自分の回復に悪影響を及ぼすという認識も、結局はアルバムにとってはいいことだった。曲を更に練って、アルバムに一体感が産まれた。
しかし同時に簡単ではなかったはず。Mikeyが兄Gerardと元バンドメイトFrank Ieroのソロキャリアが開花することをじかに目撃した。そしてMikeyとのプロジェクトが実現することを長年待っていたDavidもタイミングを待つしかなかった。
〝このプロジェクトを急いで始めようと思わなかった〟とDavidが主張。〝Mikeyをリハビリ施設に連れて行った時、プロジェクトが1~2年ぐらい遅れることになるって分かったけど、それがどうでもよかった。俺に大切なのは彼が必要としてた治療を受けることと、元気になることだった。これをどうしても終わらせなきゃっていう焦りは一度も感じたことがない。一緒に素晴らしいアルバムを作ることがメインだったから。〟
そしてFor The Night To Control―タイトルの由来は自分の人生をコントロールしようとするより、全てを運命に任せようというMikeyの新しい生き方から―は実に素晴らしいアルバムだ。喪失(Live When We Die)、や失恋(Let You Get Away)、有名人としてもプレッシャー(Lately)、そして薬物依存(I Lied)が全てMikeyの過去から来たかのように思えるが、実はほとんどの歌詞はDavidによるものだった。もちろんリスナーが思うような解釈をしても2人はかまわないらしいけど・・・
〝曲を自分のモノにしようするっていうのはその曲が好きだっていう証しだと思う〟とDavid。〝俺らはリスナーに曲をシェアしてるだけだけで、曲に共感した時はもう俺らのモノなんかじゃないよ。彼らのモノだ。〟
〝それこそ全てだ〟と同意するMikey。〝タイトルからカバーの写真まで、人にそれぞれの意味を見い出して欲しかった。〟
そして彼が歌詞の全てを書いたというわけではないにせよ、MCR解散からの彼の経験がECの曲全てに入ってる。曲の全てに圧倒的な再スタート感が出てる。昔の無表情で鈍いMikeyが今、新しいサウンドの追求やKerrang!の付録としてアルバムを出すというまったく新しい方法で自分の音楽をリリースすることなど、自分のポストMCR未来の可能性を開拓しようとしてる。
レコードは気が遠くなるほどの遅いスピードで進んでいた中で、Mikeyがその可能性や生き甲斐を積極的に探すことにした。ドラッグやアルコールという選択肢が消えた今、探す方法は一つだった―自分の音楽の中で。
派手な生活ぶりで有名なロスのロックコミュニティーだが、そのコミュニティーがMikeyを励まして、〝一緒にコーヒーを飲んで人生について語る〟ようなセッションがどんどん音楽的になっていた。元MCRバンドメイトRay Toroが同じ近所に住んでるから2人は定期的に一緒に遊んだり映画みたりする。JoelとBenji Maddenも彼を支えてる。MikeyがGood CharlotteのMakeshift Loveミュージックビデオにも出演。Andy Biersackも自分のソロプロジェクトAndy BlackにMikeyの参加をお願いした。(〝彼は本当にいい人だ〟 とMikey。〝未来に素晴らしいことが待ってると思う、素敵なロックスターだよ。〟)
しかしもっとも影響が大きかったのは依存症経験者Deryck Whibleyが彼にSum41のライブでの共演オファーをしたことだ。Mikeyがツアーライフのプレッシャーや昔の習慣に戻る事を懸念したが、去年の7月のSum41との共演や2015年2月の兄との日本公演を経験して学んだのはこの道は救済、そして破壊へと繋がってることだ。
〝正直いうと、(Sum41と)あの最初のOrange Countyの夜、俺は緊張した〟とMikey。〝だって何かの・・・バッファーなしでやったことなかったから。いきなり本番だった。出る数分前までは怖かったけど、その後はリラックスしてすごく楽しかったよ。そして兄さんと日本での共演も出来て、あの夜は初めて気づいたよ―これが恋しかったんだ、これは俺のやることだ。気持ちが新たになるような、すっきりさせるような体験だった。ステージで完全にシラフだった、本当に久しぶりだったよ。おかげで何百倍も素晴らしい体験だった。〟
Mikeyは今〝自分の問題を受け入れて、ツアーの厳しさとシラフでいることの厳しさに耐えられそう。〟
〝当時は全然準備が出来てなかった。今なら大丈夫だと思う。でももしあの時にやってたら、どうなったか・・・〟Mikeyの声が次第に小さくなる。どうなってたかはあまり考えたくないようだ。それもきっと自分を有名人にしたバンドの名前が言えない理由だ―My Chemical RomanceやMy Chem、MCRではなく、〝俺の前のバンド〟としか呼ばない。そしてそれも間違いなく自滅的な行為をやり続けたらどうなってたか考えたくない理由でもある。
〝どうなっていたか、誰も分からないよ。でも誰かに守られてるような気がする。猫みたいに9つの命があるみたい(※なかなか死なないという意味)。俺はただそばにいてくれたみんなにありがとうって言いたい。辛抱してくれて、信じてくれてありがとう。これからは楽しもうよ。〟
楽しみすぎない程度で、ね。
〝自分を大事にしなきゃ、元気でいなきゃ〟と微笑みながら彼は言う。〝月面に立つ前にはスペースキャンプに行かないとね。〟
しかし今はMikeyとDavidがSpace Mountainに向かう時間だ。(DavidはPirates of the Caribbeanが好きで、Mikeyのお気に入りアトラクションはThe Haunted Mansion―〝めっちゃゴシックなチョイスだよね〟って)2人の日帰りディズニー旅行は始まった。長い行列を期待してるのはこの2人だけだろう。待ってる間にECのこれからをじっくり話す予定だ。Mikeyは運命に全てを任すのは嫌いじゃないけど、チャンスも逃したくないんだ。僕らはさようならすると、Mikeyは自分を〝今までで一番幸せだ〟と言う、そしてDavidは彼の事を〝完全に別人だ。〟という。そして付け加えるように〝彼の成長が見れて嬉しいよ〟と。
〝出来ると思わなかったやり方で人生を楽しんでるって感じだよ〟と微笑むMikey。〝全てを全然違うやり方でやって、すごく充実感がある。〟
だって今はMikeyが目を覚めると暖かい日差しが待ってるし、前の夜のことも覚えてる。2年間の眠りと寝ながらトラブルに一直線だった今までの人生の終わりにMikey WayとECがやっとその眠りから目が覚めた。
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