2016年3月8日火曜日

【frank】All My Friends Are In Bar Bands Podcast

All My Friends Are In Bar Bands Podcast

取材者:David James Young
翻訳:@postmcrjapan

※取材が始まる前にお知らせなどなどたくさんありますが、割愛させて頂きます。翻訳内容は9:14から。

元Podcastはこちら(エピソード38)

David James Young (以下DJY): やぁみんな!僕はDavid James Youngそして友達はみんなバーのバンドにいる(ポッドキャストの名前)。今日はみんなに新しい友達Frank Ieroをご紹介したいと思います!

Frank (以下F): やぁ元気かい?

DJY: 元気さ、あなた様はどうでしょう?

F: 元気よ、くそ疲れとるけど(笑)

DJY: あちゃー

F: でも元気よ、めっちゃ元気よ

DJY: 1から10をつけるとしたら、何時間寝たのでしょうか?

F: え~っと、たぶんあのぉ、、(笑)どっちかいのぅ?1から10つけるんか、それとも時間を答えるんか?

DJY: どっちでもいいけど―

F: 追加質問せんとのぅ(笑)どうかいのぅ、たぶん、えっと~、、分数でもええんか?

DJY: いいよ、いいと思うよ

F: じゃ8分の7ぐらいっかな~

DJY: う~でもまぁこれぐらいなら平気でしょ―

F:まぁな

DJY: もっとひどい時だってあったでしょ?

F: ほんまにそうよ、その通りじゃ、その通り 

DJY: ワゴン車に乗ってた日々とかさ

F: でものぅ、ホテルに戻ってすぐベッドに倒れ込んだけど、ほら、寝るのは寝るけど今何時なのか分からんけぇ不安になって30分置きに起きちゃうって経験ない?

DJY: あるよ!

F: ほいで俺、時計数台持っとるけど、ひとつはジャージーの時間でもうひとつ現地の時間なんじゃけど、ずっと違う時計見ちゃったし、午前なのか午後なのか分からんかったけぇ、なんか時空を彷徨っとるみたいな感じじゃった

DJY: やれやれ、大変だったね!でもちゃんと着いたからね、それが一番大事なことだ

F: 大事じゃのぅ

DJY: こんなシャレたとこでPodcastをレコーディングするなんて初めて!

F: ここ最高よのぅ!

DJY: 美しきパークロイヤルホテルの―泊まってる階、言っていいよね?(笑)
だって放送される時点でもういないからな!(笑)

F: 16階じゃ(笑)

DJY: ほら16階よ、どうぞどうぞいらっしゃい!フランクがいた部屋の匂いが堪能できるよ(笑)

F: ほうじゃのぅ、25時間ものフライトで着た服の臭いが楽しめるよ

DJY: やだな~(笑)ではでは、オーストラリアは初めてじゃないよね?初めてのrodeo※っていうわけじゃないっすよね?
(※rodeo→カウボーイの競技大会、〝初めてのロデオ〟っていう言い回しがあるんだけど、要するに〝初めての○○〟っていう意味。取材者はオーストラリア人なので、当然オーストラリア訛りがありますが、オーストラリア英語ではrodeoは〝ロゥデェオ〟と発音するが、アメリカ英語では〝ロディオ〟と言う←のちほど出てくるのでw)

F: 君のその発音がええのぅ、〝ロゥデェオ〟

DJY: 〝ロゥデェオ〟

F: なんかシャレた言い方じゃのぅ

DJY: でしょ?僕もそう思うよ―じゃあキミが初めてオーストラリアに来た時について教えてくれる?

F: うわ~ほうじゃのぅ、初めてはのぅ―

DJY: Green Dayとのツアーだったっけ?

F: そう!そうじゃった!―Green Dayと一緒にスタジアムライブやったんじゃ―

DJY: あとJimmy Eat Worldも!

F: でも大ブーイングされたんよ、スタジアムで大ブーイング(笑)セット終わってからスタンド出てきて他のバンド見たりしよったら〝あの最初のバンド、ファッキン最悪じゃったわ〟って人が言いよったのはっきり聴こえたんよ!俺らしょんぼりしちゃったよ―

DJY: 〝思ったぁ、最悪だったよおい〟

F: お前の真後ろにおるって!(笑)
俺も〝お、おう、あいつらくそひどかったよ〟とか言ったような気がする

DJY: 〝あいつらなんてくそ食らえじゃ!〟って言いながらマスカラとか隠しててさ〝やばいよやばいよ!俺の正体をバレたらやばいよ!〟みたいな。
いやぁ~また会えて嬉しいよ、取材をさせてくれて本当にありがとう

F: こちらこそよ、俺はここ大好きじゃ。来るのが大変じゃけどね。複数のフライトがキャンセルされたり―

DJY: ええ

F: とか、そういうことが毎回起こるんよ―

DJY: そうかそうか

F: じゃけぇここは俺のモルドール※じゃ、辿りつくのが不可能に近いんじゃ
※Lord of the Ringsネタ

DJY: いつかアレを火山に投げ捨てるつもりかい?

F: コレ?

DJY: いや、指輪よ

F: あっ指輪か!そうそうそう!って投げるかい!(笑)いや、これが鍛造されたのはのぅ(笑)これは俺の心と一体化しとるけぇできんのんよ

DJY: オフマイクで話したけど、キミを取材するのが今回で3回目で、前回も前々回も新しいアルバムStomachaches、そしてキミのソロプロジェクト〝frnkiero andthe― 〟これの発音ってand the?それともandthe?

F: あっ、うん、and the、andthe、うん、andtheじゃ

DJY: 初めて取材した時も話したけど、お前みんな混乱させちゃって―

F: させたのぅ~ 

DJY: 特にスペルチェックを使う人―

F: じゃろ?スペルミスがないか確認してみるとほら―

DJY: 真っ赤の線が三本、〝こういう綴りじゃねぇよ!〟
でニヤニヤしながら〝よし、これでいこう!〟みたいな

F: そう!そうなんよ!めっちゃおもろいって思ったのに他のみんなが〝全っ然おもろない〟ってさ

DJY: だってお前、めちゃくちゃな名前にしやがって!まぁでもとりあえずソロアーティストとしての第一歩について教えて。ポストMCRメンバーの中で君が初めて踏み出したわけだから結構大きな一歩だったよね。

F: うん、自分でも信じられんよ、因みになんじゃけど、まったくそのつもりじゃなかったんじゃけどね(笑)

例えばもしあんたがデロリアンを持ってて過去の俺にこんなことするよって言ったら、俺はきっと〝何言っとんねん?アホか!するわけねぇし、したくもねぇよ!〟って言ったんじゃろ

自分でもびっくりよ、でも面白い、めちゃくちゃ勉強になった。だってマイケミの解散を経て、自分だけのためのアルバムをレコーディングして、ほいで人がそれを聴いてから突然のレーベル契約もらって、それから再びどうやって色々やってやった方がええか―同時にボーカルとギターのやり方やオーディエンスの前での振る舞い方など―すべて模索しながらやっとった。

正直いうとかなり圧倒されることなんよ。ライブとかが終わると〝これ全然楽しくないもうやりたないわ〟って思った時もあった。でも嫁に約束したんよ、とりあえずトライしてみるって。だって150%努力せんときっといつか後悔することになるって分かっとったけんのぅ。

DJY: それで現在に至るわけか。

F: 現在に至るわけじゃ。

DJY: そしてまだやってるし!

F: なんとかまだやっとるよ!


ほんま信じられんよ。でも続けてみてどれほど嬉しいか、だって楽しい時はとことん楽しいしさ、俺―こういう経験に感謝しかないわい


DJY: 感謝ね
F: ほかと比べ物にならんぐらいの経験なんよ

DJY: 初めて音楽に興味を持った頃の話を聞かせて。音楽ってキミの家庭教育にどんな影響があったのか、そして〝この歌かっこいい!〟がいつ〝こんなのやってみたい、弾いてみたい!〟に変わったか。

F: それほどじゃないけど、親父と祖父が音楽やっとって― 

DJY: そうだったね、ギタリストだったのかい?それとも―

F: いや、ドラマ―

DJY: ドラマーか!

F: そう―

DJY: なるほど

F: じゃけんそれが後で―

DJY: ジャズドラマーとか?

F: あ、うん、祖父はビッグバンドやディキシーランド

DJY: ナイス!

F: ジャズもそういう系のやつね。親父はブルースバンドに入っとった。

DJY: いいね~

F: 親父はしばらくドラマーじゃなくて編集の仕事もしとったし―

DJY: なるほどね、なるほどね

F: じゃけんいつもどっかでライブやっとった、親父なんか年間400日演奏って言ってもええぐらいじゃ

DJY: すげぇな~


F: 祖父も出来るだけライブしとったんよ。週末はだいたい祖父のライブ行っとったし、ほいで母さんの許しが出てたら親父のライブにも遊びに行った。

じゃけん子供のころからずっと親父や祖父のライブと2人のデカイ手帳―こう何本もの輪ゴムでがっちり固定したやつさ―それを見て育ったんよ。もう普通に予定なんか立てれんのんよ、しようと思えばみんなでテーブルに座って手帳を開いて〝あっ俺はこことここでライブじゃけぇ、ここはお前に任せたわい〟とか。それが好きだった、俺どうしてもその輪の中に入りたかったんよ。俺にとって2人はまるでスーパーヒーローじゃった、もう一人の自分がおって、夜になるとどっか行っちゃう、みたいな。俺もそういう生活をしてみたかった。

唯一違っとったのはバンドに入りたかったこと。だって第一、ドラマーになりたくなかったんよ。これは後にややこしいことになるけど、個人的にドラムがまったく理解できんかったわ。好きだったけど、親父や祖父にはかなわんってことはよう分かっとった。あとどうしても作曲もしたかったんよ、じゃけん―

DJY: だってドラマーは作曲なんぞできないからね

F: そう!(笑)いやぁ、それで最初に〝キラキラしとるけんサックスがいい!〟っつってサックス買ってもらったけど、買ったのはええけど〝俺・・・これムリ〟ってなって(笑)

DJY: くそサックスめ!

F: ほいであれこれやって、やっとギターに落ち着いて、そして惚れ込んだ。でもミュージシャンじゃなくて、バンドに入りたいって気付いたんよ。それは家族が今までやってきたことと全然違うけぇ、みんなが理解してくれんかったっていうか、お互い分かり合えずにいた

DJY: なろほど、彼らは―

F: 親父と祖父は一匹狼じゃった

DJY: 一匹狼か、そうかそうか―

F: ほいで俺は―

DJY: 彼らはドラムの仕事を色んなとこでやったってわけね

F: そう、ほいで逆に俺は〝こういうのやりたい、友達と一緒に築いていきたい〟って。でもこうやってまた一匹狼になるとは皮肉なもんじゃ。

DJY: 本当ね

F: おかしな話よね

DJY: ギターを習い始めた時は憧れのギタリストっていたの?

F: Thurston Mooore―

DJY: いいじゃん

F: え~Greg GinnやRitchie Havens―彼はフォークのギタリスト兼シンガーソングライターなんじゃけど、Woodstockのオープニングアクトもやったことあってさ、一回親父が彼のライブに連れてってくれたけど、人生変わったわ

DJY: ナイス!

F: ギタリストとして俺にめっちゃ影響与えた、だって彼はリズミカルなギタリストで歌詞や歌い方によってプレースタイルを変える人で、それが俺にとって大きかったっすね。彼はギター1本のオーケストラみたいじゃった。

DJY: そうなんだ~

F: ライブが終わると、彼がハコの後ろでライブに来てくれた全員に握手してさ、それが俺の人生を永遠に変えたんよ。

DJY: 素敵な話じゃない~

F: くそパンクじゃったよ、あんなの見たことない

DJY: それ最高だよね!― そこからはどうなるんです?高校生活っていうか、高校生ぐらいの時からかな?初めてバンド活動に参加したのは

F: ほうじゃね

DJY: 初めてのバンドと初めてのライブについて教えて

F: 初めてのライブはのぅ、高校のジュニア(3年生)リングダンスじゃった

DJY: いいじゃん!

F: じゃろ?ほいで俺は3年生じゃなかったけぇおっちゃいけんかったんよ(笑)

1年生じゃったけぇライブが終わったら〝お前はもう帰れ〟って言われた

DJY: どんなバンドだったかい?

F: バンド名がのぅ、え~っと名前決めてなかったけぇSteve Wile and the Disco Kingsっていう名前にした。Steve Wileってやつがおったんじゃけど、彼全然バンドに入ってなかったけど、名前だけバンドに入ってたらおもろいかなって思ったけぇさ

DJY: 面白いね!

F: くそ下手なパンクロックとか、Nirvanaのカバーもやったかな?まぁそういう感じの

DJY: はいはいはい

F: うん、ってなわけでSteve Wile and the Disco Kingsじゃった

DJY: 素敵だ

高校の頃は色んなバンドに入ったりしてた?

F: もちろん

DJY: そうかい?どんな音楽やってた?

F: ほとんどパンクロックじゃったな、他の人のバンドでプレーしたりしとったし。できるだけたくさんの人とプレーしかったけどのぅ、当時の高校じゃスケーターが4人ぐらいで音楽やっとる人も4人ぐらいじゃったけぇ、結構大変じゃった。自分と同じ趣味の人がおらんかったけぇずっと探しとったんよ。じゃけぇ興味を持ってくれる人を見つけたらそいつに弾き方とか教えようとした

DJY: そうか、なるほど

F:〝少なくともあんたはええ音楽が好き。弾き方とか分からんかもしれんけど大丈夫じゃ、一緒にやってみよう〟って感じ。そればかりやっとった。

DJY: イケてない学生とかはみ出し者の集まりみたいな感じだった?ほらこう〝俺ら5人しかいないからお互い仲良くしようぜ!〟みたいな―

F: まぁ正直―ジャージーシーンはのぅ、めっちゃ深く繋がっとるんよ、時には近親相姦的な感じになるぐらいじゃ

DJY: なるほど、みんながみんなのバンドで活躍してるみたいな

F: ほうよ、例えばさ―じゃけんさ、cellabrationのドラマー、Matt Olssonっていうんじゃけど、彼とプレーすることになった時さ、俺、彼のことがまったく知らんくて、聞いたことするなかったんよ。それが何よりショッキングでさ、だってファッキン20年間も知らない人とプレーしたことがなかったよ、彼が初めてじゃった

DJY: わお!

F: それがなんかすごくてのぅ、でもまぁ、みんながみんなでお互いのバンドでやったりしとったし、共通友達もいっぱいおったし、違うバンドで違う人とやったりしとったけぇ面白かったんよ

DJY: みたいだね。じゃあさ、マイケミの前にいたバンドってどうだったの?売れそうなバンドとかあった?例えばライブ何回かして〝これだ、これなら一生食っていけるぜ!〟みたいなバンドあった?

F: いやぁ、俺らのシーンはのぅ、シーンで活躍したみんながみんなで売れるやつなんかおらんじゃろって思ったんよ。今やっとる音楽は誰も好きじゃないし、好きにならんわって感じじゃった。

DJY: そうか

F: 死んでから人が〝あいつら最高じゃった!〟って覚えてくれたらラッキーなぐらいじゃった

DJY:〝あいつら覚えてるかい??〟

F: そうそう、だってMisfitsが解散するまで全然人気なかったけぇね

DJY: 本当だよ

F: そういうもんじゃ、パンクロックってそういう生き物じゃ、だってみんな(バンド名が聞きとれなかった、すみません!)の再結成を願っとるじゃろ?そういうもんさ。じゃけぇそういう売れる感じはまったくなかった。最初にレーベルと契約したり、何かレコーディングしてそして出す―部屋なんかに置いたりとかじゃなくてよ―ちゃんとアルバムを出すのが結構大ごとじゃったよね

DJY: うんうん

F: あと州外でライブやるのも大ごとじゃったわい。覚えとるよ、マイケミが初めて結成した時、俺が〝I Am A Graveyard〟(俺は墓場だ)っていうバンドにおって―

DJY: かっこいいバンド名だな、おい

F:  ありがとう!(笑)

DJY: やべぇよ、まじかっこいい

F: 俺らには練習ができるスタジオがあってのぅ、そこでロックアウトやったんよ。あれは変なロックアウトじゃったわ―バンドが真面目じゃったらロックアウトが必要不可欠じゃったよ、分かるかな?

ロックアウトっていうのはとにかく何もない部屋なんよ。そこで思いっきり音出してええし、ほいでそこにおる人みんなワヤするんよ、そういうとこじゃ。

で、覚えとるのは、ニュージャージーのバンドThe Bannerもおったし、Thursdayもおったし、ほいでRunner By Deathもおったと思う。とにかく当時Eyeballと契約しとったバンドみんながあのスタジオに辿りついとったけぇそうやってみんなと仲良くなったんよ。

深夜で時間だけ持て余してさ、だってすることないし、お金もロックアウトで全部使っちゃったし、それかビールかドラッグか、でもそれしかなかったんよ!じゃけん部屋に入って〝まぁこれもあるし、あと誰か弦も買ってきたけん音楽やるか、それとも別の何かやるか〟―そんな感じじゃった。

DJY: ええ

F: ほいでダメなヤツはすぐ消えたよ

DJY: 最強のヤツのみ生き残る!みたいな

F: それドアに書いてあったよ!

DJY: まじで?

F:〝生き残るのは誰?そしてそんな中で最後まで残るのは誰?〟ってドアに書いてあったよ、スプレーで

DJY: えっまじで??やべぇじゃん!

F: じゃろ?

DJY: それまじでヤバいよ

F: 残酷じゃったよ、あの部屋に入った時のあの雰囲気がのぅ、やばかったわ

DJY: だろうね。じゃあ初めてのマイケミライブについて教えて―いつだった?まだジャージーだったかな?

F: まだジャージーじゃったね、そして俺はまだメンバーじゃなかった。俺の従兄Patrickが―俺の家族はもともとサウスジャージーからで、子供の頃に両親が、いや、俺が産まれる前に両親がノースジャージーに引っ越してから俺が産まれたけぇそうやってノースジャージーに育てられてそこのシーンに入ったんじゃけど、俺の従兄はパンクロックとかが好きでさ、俺よりちょっと年下じゃったけど、俺が近くでショーやり始めたら彼も一度俺のショーでプレーしとってから〝僕もショーやりたい!〟って言ってきたけぇ俺はやり方を教えたんよ。ほいで彼がEwing,NJの米国在郷軍人会のホールでショーやったんよ。彼のバンドとあそこらへんのバンドたち、俺のバンド―あれはI Am A GraveyardかPencey Prepじゃったかな?―

DJY: また素晴らしいバンド名だな

F: ありがとう!そしてマイケミもな、マイケミもやったよ。ほいで覚えとるわい!俺はグッズ売り場におったの覚えとる、そこからマイケミのセットを見た。バンドに入る前に彼らのライブ全部行ったんよ、たぶん9つか11個のライブじゃったかな?

DJY: じゃあ曲も当然知ってたのね?

F: そう―

DJY:〝俺なら任せて!〟

F: 正直いうと、バンド結成から俺の加入まで数ヶ月しか経ってなかった。不思議じゃったっていうか、なんか変じゃった―こう、バンドに入ってない人なのにずっと一緒におるって

DJY: ええ、ええ、ええ、ええ

F: じゃけんなんか合理的じゃったっていうか

DJY: そうだね。で、初めて一緒にやったライブというのは―

F: 初めて一緒にやったライブはのぅ、Club Chromeっていうとこで、あれはSayerville,NJじゃったかな・・・?覚えてないんじゃけど、もうなくなったし、うん、Club Chromeってとこじゃった。

DJY: 始まる前はどんな気持ちだった?

F: 最悪じゃった!

DJY: えっ本当?

F: うん、ほんま最悪じゃった

DJY: うわ・・・

F: 覚えとるよ、あれ―

DJY: えっ初期マイケミのライブってみんなあんなんだった?

F: いや、ただ行き当たりばったりじゃった

DJY: その夜はハズレだったってこと?

F: ううん、行き当たりばったりだけじゃった。12回目のライブということもあったし、俺と初めてのライブというのもあったけんね、終わったらレーベルの責任者が〝ん~もっとうまくいくと思ったのにな〟って俺に言った(笑)

DJY:〝おかげさまでなんとかなりました〟

F:〝なんか、ん~もっとうまくいくと思ったのにな・・・〟でその後は〝まぁいっか〟っつってどっか行ったんよ

DJY: マイケミっていうバンドはね、当時の美学から離れてたし、キミたちの次にPanic!とかそういうバンドが出てきてエモに火がついちゃったけど、キミたちって本当ツアーこそ全てだったと思う。

常にツアーに出てて、そして小さいハコライブからBlack Paradeのまるでステージショーみたいなくそでかいアリーナツアーまで成長して、とにかく派手にでかいことに挑戦してきたバンドだった。パフォーマーとして、ライブが大きくなる度に自分もそれに合わせて進化をしなきゃ!とか思ったの?それとも、もっと〝俺らは妥協なんかしねぇよ!〟みたいな感じだった?ほら、その時はまだ20代で自信満々だったから―

F: んなことないよ―

DJY: んなことあるっしょ!

F: ないよ

DJY: だってさ、いるでしょ?そういう〝俺ら若いし、ファッキンクールだし、愛されてるバンドにいるし!全てが思い通りだぜ!〟みたいな人。でいつかはそういう考え方のせいで全てが壊れてって。僕そういうのいっぱい見てきたよ。

F: それは分かるけど、20才の時はのぅ、自分がなんでも知っとる。ほいで25才になるとヤバイ!俺何も分かっとらんって頭がおかしくなるんよ―

DJY: 僕25才だから、それよく分かるよ(笑)

F: 俺的に25才の時にほんまに頭おかしくなって、そして30才で自分は何も分からんけどそれでいいって気づく。そっから色々学び始めると思うんよ。ほいで35才になると〝やべぇ俺、35なのにまだ全然勉強が足りん!〟ってなると思うんじゃけど、俺はまだなってないけぇ、来年また報告するわ。

でもまぁ!20ん時は何でも知っとるって思いこんじゃっとるけど、世間やメディアの目にさらされとる人はのぅ―20代で世間の目に常にさらされると、なんでも知っとる、しっかりしとるふりをせんといけんのんよ。ほいで世間にはやっぱりタチが悪いクズ野郎もおるわけで―

DJY: 下手したらそれよりもっとひどい奴らも―


F: そう、しょうがないことなんじゃけど、おるよ。じゃけど世間の目にさらされとる人ら、しっかりしとるふりはするtっちゃするけど、絶対にしっかりしとらんし何に分かっとらん。

じゃけぇ難しいよ、特に物事がどんどん大きくなっていくのに自分自身がどういう人間なのかまだ分からん、ありのままの自分が好きかどうかすら分からん。それは分かるまですごく時間がかかることよ、なのにそれを世間の前でやらんといけんだなんて―特にソーシャルメディアとかで言いたい言われたい放題の今の時代でそういうやって成長せんといけんみんながかわいそうじゃと思うよ。

失敗なんぞできんよ。産まれてからしっかり自分のことを把握しとる数少ない人間じゃない限り、ムリなんじゃ。

DJY: その通りだよ

F: もうチャンスすらないよ。ほいで自分の失敗に永遠に付きまとわれちゃうよ、ほんま残念でならんわい。

でもライブとかについて、俺が思うのはどんなライブやっても、誰にプレーしててもライブは毎回まったくと言っていいほど違う。こぢんまりしたライブが大好きなんじゃけど、でかいライブと同じようにはできんし、でかいライブもこぢんまりしたライブと同じようにもできん。あれみたいじゃ、段ボールで絵を描くのとキャンバスで描くのと、まったく違うじゃろ?そういうことじゃ、描けるっちゃ描けるけど、ベストな方法とは限らんし、うまくいくとも限らん。

じゃけぇ毎回のライブは違う、違う人や違う国、違う州でもその場に合わせてやり方を変えんといけんのんよ。それは経験で学んでいくことなんじゃけど、長年学んできたことがたくさんあるし、うまくやったことと、そうでもないこともあったけど、全部が勉強になったわい。

DYJ:〝今の何??〟みたいな瞬間ってありました?

F: もちろんよ!もちろんあったよ!

DJY: アリーナツアーとかでかいライブをやった時でも?

F: もちろんよ、もちろん!だってさ、外科医だってやらかす時があるよ(笑)

DJY: そうだね(笑)

F: 仕方ないんよ。でもやらかした時、バレずに立ち直れるか、それともパニくるかはできる大人の差じゃと思うんよ。とはいえ、俺の大失敗を語るわけにはいかんわい(笑)

DJY: アルバムが全てを語ってくれるよね。でもどうかな、失敗って主観的だと思うよ。だってたまにさライブの終りに僕がバンドの人に〝すっげぇよかったよ!〟っていうと、〝いやいや音外してたし〟とか〝なんか納得できない演奏だった〟とか言う時もあるよ。だから自分が〝うわ~あのリフ全然ダメだった!〟とか〝ソロでやっちゃったぁ〟とか〝あれ間違った〟とか思っててもライブが終わると人生で一番最高のライブだった!って言われるかもよ?

F: それなんよ、自分は観客のライブ体験を無駄にするような立場じゃないけぇのぅ、そういうのやっちゃいけんよ。

DJY: そう!

F: どういうライブだったかは自分が知っとるわけ、うまくいかんかったとこも、うまくいったことも。失敗から学んで次の日がもっとうまくいくようにするのが大事なんじゃけど、最も大事なのはのぅ―ほら、ライブの5つのルールってあるじゃん?第一はチューナーを買うこと、でも第2はやらかしても誰も分からんし、誰にも分からんようにすること、あれが二番目に大事じゃよ?じゃけぇ言わんよ―もちろんやらかしたことあるけど、詳しくは勘弁して(笑)

DJY: マイケミ、そしてご自分がマイケミと一緒に過ごした時間の中でたくさんの面白い出来事があったよね。初めてここに来たはリベンジ時代でどんどん人気出ちゃって、そして次がブラパレ時代の二つのツアーで、その時点でキミたちが世界で一番熱いバンドといっても過言ではなかった。それで最後に来たのがDDのアルバムでそれっきりで会うことはなかった。当時のキミたちはそれが分からなかったと思うんだけど、あれが僕たちからしたら最後になっちゃったよね。バンドの最後の方や、最後の方のライブとかでバンドが終わりを迎えてることってどこか分かった?ライブに反映された?

F: 答えることが難しい質問じゃのぅ、何を言ったって後知恵というフィルターを通してのことじゃけんのぅ―

DJY: 確かに

F: 今考えるともしかして分かっとったかもしれんけど、当時の行動からしたら、全然分からんかったね。時代の終わりには必ず何かしらのシフトが起こるじゃろ?ほら、地殻みたいにさ、俺らは何をやっても動くし、予兆もあるんじゃけど、何をしてても動くものは動く。抵抗してもええけど、抵抗したら大地震が起こるのみ。それとも何もしないことにして、放っておく。当時の俺らにはそれが一番ベストだと、人生を成り行きに任せたよ。あのツアーは確かBig Day Outじゃった。2010年じゃったっけ?

DJY: 2012年

F: 2011年とか?

DJY: そうだね、2012年の年明けだったから、君たちがここに来たのが2012年の1月だったね。

F: ほうじゃ、じゃけぇあの時はまだ早かったような気がする

DJY: そうね

F: うん、、うん

DJY: まぁ難しいよね、〝4年前は何考えてたんだろう?〟みたいな

F: うん―毎日Bronx見たの覚えとるけど

DJY: やばいなおい!

F: Mariachiもやったし、彼らダブルセットやったんよ、2つや3つのダブルセットやったわ、ほんま最高じゃった

DJY: マイケミ解散後始めて自分の名前でライブしたことについて教えて

F: ほうじゃのぅ―初めてのライブがのぅ―

DJY: Cellabrationとしてだったの?それとも―

F: そう、うん~まぁ、一回Barion Electric(聞き間違いかもしれない、すみません)ってとこでライブやったよ、試しにのぅ。期待されずにプレーできるように名前も変えたよ

DJY: なるほど、シークレットネームでね

F: そうそう。Aerosnifftって名づけたんよ

DJY: 素晴らしい!(笑)

F: それにほんまにええライブじゃった、めっちゃ楽しくてのぅ。その後はめっちゃ呑んだんよ、あまりにもモヤモヤしとったけん。もうめっちゃ緊張してさ、でもほんまええライブじゃった。友人のバンドScience、あとThis Good Robotってバンドと一緒にやったけど、両方すごいええバンドで俺らにオープニングアクトをやらせてくれてさ、うまくいくかどうか試させてくれたんよ。ほいでその数日後俺らがヘッドラインをやることになって、2つのヘッドラインライブしてからTaking Back SundayとThe Usedと一緒にツアーに出た。

DJY: わお、しかも旧友でしょ?

F: そうなんよ。つまりアルバム出してて、ほいで俺らが〝ツアーしたい〟っつって、でこういうツアーが今回っとるけどみたいな話になってから彼ら(TBS、The Used)が〝一緒にツアーしない?〟って誘ってくれた。優しかったよ、優しすぎて断りかけたんよ。だって初めてのツアーなのに―

DJY: 楽したくなかった?

F: そう、楽なツアーで人に優しくてされるなんて(笑)水やらなんやらもらったりとか―

DJY: ワゴン車でぎゅぎゅ詰めで―

F: そう、そういうのやりたかったんよ

DJY: 20分のセットとか―

F: そうそう、だって人に優しくされたらさ―

DJY: 電源も切られたりとか―

F: 人に優しくされたらいけるかどうか判断できんじゃろが!でもまぁ、そうやって力になってくれる人がおってくれて感謝じゃわ。嬉しかったよ、〝一緒にやろう、俺らのキッズなら受け入れてくれるし、真剣に聴いてくれるじゃろうけん、やってみ。毎晩1500、2000人の観客の前でやってみ!〟って言ってくれる人がおってくれて。ほんまよかった。

DJY: 僕からしたら、君はマイケミで長い間脇役やってきたけど、その脇役から突然センターになっちゃったから結構大変っていうか―

F: おう、あれね、最悪じゃった。

DJY: 演奏にも影響がありそうだけど、どうだった?こう―バックボーカルが入らないからあれ?ってなった

F: それよりはライブの全てが自分の体調次第ってことを思い知っ。調子が悪いとか、そんなの許されんよね。あれが一番しんどいよ、だって俺ってよう調子悪くなるけぇ(笑)

DJY: あるだろうね

F: 調子が悪くてもバレんようにせんと。じゃけぇバンドのフロントマンやボーカルがバンドで一番大変じゃと思うんよ。自分が実際にやることになるまでは全然気付いてなかったんじゃけど。あ、でも、どうかな、二番目に難しいかも。一番難しいのはドラマーかな。

DJY: お前またドラマーのことを!


F: いややや、真剣に言っとるよ。バンドで一番難しいよ、だって第一、全てのペースを担うことになるじゃろ?バンドの大黒柱で間違ったらみんなにバレるし、それに片付ける時は誰も手伝ってくれんのんよ(笑)じゃけん最低なんよ。

DJY:〝お前一人で大丈夫よね?よし!じゃあな!頑張れよ!〟

F: そう、じゃけん最低なんじゃけど、でも二番目は絶対ボーカルじゃ。ほいで信じてくれん人がおったらこうするがええ、ベースのアンプが壊れちゃって、直しとる間の3分間をトークでつないでみ?まったく関心のない観客がいっぱいおるハコで。

DJY:〝えーっと、楽しいっすね・・・〟

F: ほら!そうなっちゃうじゃろ?

DJY: 今のプロジェクトで満足してる?FIATCとしてやり続けたいと思います?それとも他のプロジェクトをやってみたい?これからは音楽的にどうしていきたい?

F: 正直言うと今言ったこと全部じゃ。このプロジェクトはまだ終わってないよ。考えるとめっちゃ不思議でのぅ、始まった時は始まるつもりじゃなかったのに、1年半が経った今は次のステージを考えてるわけじゃ。不思議なのは不思議じゃけど、逆にそれがええんよ。まだ新鮮じゃし、まだ言いたいことがたくさんあるし、じゃけぇこれからどうなるか楽しみにしとる。

特に次のアルバムは人が聴くこと前提で作っとるけぇのぅ―だから最初は違和感があったと思うんよ。だってアルバム作ったのはええけど、人がそれを聴くと思わんかったし、フロントマン兼ボーカル兼ギタリストという新しい役割に戸惑っとるだけじゃなくて、やっとる曲も誰にも聴いて欲しくなかった曲じゃったけん違和感あったよね。あれみたいじゃ、生々しい刺し傷をみんなに見せるような感じじゃったわい。

DJY: そうよね

F: じゃけぇ今回はそういうことがプロジェクトの本質じゃって分かっとるけぇ、受け入れることが出来る

DJY: なんていいこという!

F: ありがとう!

DJY: 本当名言ですな~そろそろ終わりますけど、最後に―これは全てのゲストにお願いすることなんだけど―

F: はいはい

DJY: そして今はキミの版なんだけど―

F: なんか心配んなってきたわい

DJY: 僕が知りたいのはキミの今までの最高と最悪ライブの思い出

F: わお、えーっと―

DJY: どっちからスタートしてもいいよ、例えば―

F: あれ?どっちか選ぶってことなん?

DJY: 例えばポジティブに終わるか、みんなへこまして終わるか―

F: ならへこませようじゃ(笑)

DJY: 最高から最悪の人も、最悪から最高の人もいるけど―

F: じゃ俺は最高から最悪にいくわ、だって最高は簡単じゃもん。俺らがライブやっとったけど、俺の大好きなバンドのひとつAgainst Me!とツアーすることになった時じゃった―

DJY: おう!いいね!すっげぇいいバンドよね!

F: おう、あともうひとつのバンド、Annie Girl and the Flightもおって―

DJY: いいじゃんいいじゃん、それで?

F: サンフランシスコのバンドなんじゃけど、あいつらがオープニングアクトで俺らがその次じゃったけど、その夜はSayerville, NJのStarland Ballroomでやっとって、あそこがホームグラウンドみたいな場所になっとるんよ、色んなバンドでそこでライブやったことあるし、スタッフも素晴らしいし、でもあの夜は初めて俺の子供達がライブに来てくれて、まぁ息子のマイルズにとって俺のプレーしとる姿を見るのが初めてじゃったよ

DJY: すごいな

F: でも娘たちが今色々分かってきた年齢でステージの袖で大興奮しとって、ほいでセットの終盤にチラッと娘たち見たらリリーがめっちゃ悲しい顔しとったけぇ彼女のとこ行って〝これから最後の曲やるんじゃけどどうしたん?〟そしたら彼女が〝うちらもバンドに入ると思ったのに!〟って。そっか!って思って、〝じゃそうしよ!〟ってなって子供達をステージに連れてって一緒に歌ったんよ。あいつらは好きな曲歌ったりして、人生で最高の3分間じゃったよ、一生忘れん思い出になったわい

DJY: いやぁ~素晴らしいよ、それにバックボーカルも見つけたな!

F: じゃろ?ほんま楽しそうじゃった、俺にとっては至福のひと時じゃった。YouTubeにその時の動画がアップあれとると思うんじゃけど

DYJ: それ本当最高だな

F: で最悪のライブといえば、、まぁこれが最も最悪かどうか分からんけどかなりひどいやつよ。ストリートフェア(近所のちっちゃなお祭りみたいなイベント)でライブやったことあるけど、Hybridっていうバンドで。で、貼り紙で俺らのバンド名がHybirdになってて―

DJY: なかなか良いスタートだな

F: じゃろ?ほいで平台トレーラーの荷台でのライブじゃったよ

DJY: おっと、大好きだよ、そういうの

F: そうじゃろ?好きじゃろ?

DJY: いやぁ、僕もあれでライブやったことあるよ、何回か

F: じゃろ?

DJY: 楽しいよね、ありゃ

F: じゃ分かるよね?

DJY: ああ、残念ながら

F: 平台トレーラーでライブってかっこよく聞こえちゃうのにのぅ―
まぁとりあえず何曲かやってから友人が曲を歌うことになってトレーラーに上がったけど、歌いだすとさ、なんかGirl Biscuitsのカバーかなんかじゃと思うんじゃけど、歌いだすと突然知らんばあちゃんが出てきてさ〝NO NO NO NO NO NO NO NO!〟っつって俺らの電源落としたんよ!それでライブが強制的に終わったわい

DJY: えっなんか関係者だったの?それとも独断で決めたの??

F: 分からんよ!関係者なのか関係者の知り合いだったのか分からんけど、みんながあのばあちゃんを見て〝あら、ライブ終わったのね!〟って納得してさ、ほいでおばあちゃんが〝いけんいけん、十分じゃ、もう十分じゃ〟ってさ。そして俺らの電源が落とされてHybirdは二度とライブをやることはなかった。以上。

DJY: まぁたまにはね、そういうばあちゃんが必要かな―

F: んなわけねぇよ、no、no、絶対にNO、少しもいらんわい

DJY: 彼女が繰り返して登場するような人だったら面白いと思わない?毎回キミのライブに来てて―

F: おいふざけんなや、ちっともおもろないわい。ほら明日は絶対来るけん、あのばあちゃん

DJY: 感じるのよ、あのばあちゃんがここまで飛んできてんよ、お前狙ってるぞ、気を付けろよ

F: きっと待っとんじゃろ、ちくしょー

DJY: アルバムはStomachachesでちゃんとしてるレコード屋ならきっとストックしてるからぜひお買い求めください!最後に言いたいことはありますでしょうか?

F: No, no, no, no, no! (笑)

DJY: もう終わりだ(笑)フランク、時間を作ってくれて本当にありがとうね!

F: こちらこそありがとう!

DJY: 俺がDavid James Young、そして友達はみんなバーバンドにいる

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