2017年2月21日火曜日

【Frank】Kerrang!2月号掲載The Darkest Day

最も暗い一日



Frankが2016年10月のバス事故を語る


記事:Hannah Ewens
翻訳:@frankierojapan

事故当日はどんな日だった?

俺らはシドニーのパークストリートにあるTwitter事務所の前だった。アコースティックのミニライブと生のQ&Aをしてから会場に向かう予定だった。俺と義理の兄Evan(Nestor、ギター)、マネージャーのPaul(Clegg)とドラムのMatt(Olsson)がバンから降りて荷物を降ろすためにハッチバックのトランクを開けた。俺は金属製のペダルボードケースがあって―面白いことは11日間に5つのフライトに乗ったけど、俺は毎回ケースのことが気になって―だって俺の大切なペダルが全部入ってるから―必ずチェックインじゃなくて、機内に持ち込んでたんだ。結局はバスにひかれちゃったけど、中身は無事だったよ。不思議だろう?それでケースをカーブに置いてしゃがんだまま開けた。するとみんなに〝とりあえずチューナーだけ出してあとはおいていくよ〟と言おうとしたけど、〝とりあえずチューナーを…〟までしか言えなかった。その瞬間に何かがぶつけて来た。

その瞬間に何を思った?

一瞬のことだったよ、タックルされたかのように。腕の下のところにぶつけられて、気づいたら二階建ての市営バスのバンパーの下だった。俺の視点からバンとバスのバンパーの間に足が挟まれたEvanが見えた。Paulの叫び声とカッシャンという音も聞こえて。どうなってるか見ようとしたけど、ガラスの破片がぶつけてくるから顔をそむけることに。ガラスの破片が雨のように降ってきた。タイヤの衝突がいつくるかと怯えてた。

どうやって生き延びたの?

砂漠の嵐作戦に使うようなでかいミリタリーリュックを背負ってた。俺っていつも荷物を詰め込みすぎてよくバカにされるけど、あのリュックがカーブの間に挟まれて、俺の腕がバンパーの下に引っかかって、道の溝に引きずられた。バスが衝突してきた時は止まらず、俺らを3メートルぐらい引きずっと。今でもよく頭に浮かぶんだ。音とともに脳裏に焼きついてる。事故自体はほんの数秒の間の出来事だろうけど、俺にとっては20分ぐらいのことのように思えた。自分が何を感じたとか、何を思ったとか、全てのことをはっきりと覚えてる。考えたことを覚えてるよ―〝運転手ってぶつけてきたこと分かってるよね。なんでバスは止まらないんだ?先にやれるのは足か?それとも体ごとひかれるのか?もう終わりだ。〟

バスが止まってからはどうなった?

バスが止まってもガラスの破片は降り続いてた。Mattがどこにいたのか分からなかった。Paulがバンを運転してた豪州のPR担当にバンを前に出すように叫んだの聴こえて、前に出したらPaulとEvanが解放された。Paulがバンの後部に倒れて、そしてEvanが俺の前で道に倒れた。彼が〝足の感覚がない〟って言ったの覚えてる。その時は彼が生きてるって分かったけど、麻痺してるかもと思った。俺はバスの下からなんとか彼の元へ。するとPaulと、Paulの下からどんどん出てくる今まで見たことないほどの鮮やかな赤が見えた。俺はEvanの頭を抱えて、リュックをなんとか下ろして、そして彼の頭の下にジャケットを敷いた。その時にMattが来て、彼も生きてると知った。そこから人だかりが出来た。ヘリコプターが来ると誰かが言った。医者がヘリに乗ってきて、警察も来てて、そのひとりがPaulのケガを処置してた。その警察官が傷にあったとこのズボンを切って、あんなにひどい傷を見たことがない。あんなの見ると、人間がどれほど無力か実感できる。俺、サメに襲われたことないけど、同じような体験だと思うよ。バスの無表情の目だろうが、サメの無表情の目だろうが、何も出来ないまま食いちぎられるんだろうな。そのとてつもない強い力の前では抵抗できないんだ。警察官がPaulの足を縛って出血を止めようとした。それが間違いなく彼の命と足を救ったと思う。すると救急隊員がEvanのケガを処置して、俺らを救急車に乗せて様々な薬を打って病院へ。

事故直後の回復はどれぐらいかかった?

PaulとEvanに手術が必要だったため、俺らは2週間ぐらい入院した。飛行機に乗れるように豪州でリハビリを始めたけど、一番心配だったのが血栓だった。医者は席に座れるように、フライトに耐えるようにまで回復させるのは目的だ。皮肉なことに、次の日に俺らの豪州ビザが切れてさ。だから医療ビザを申し込んだが、却下された。豪州で住所がなかったけん、〝住所が病院だ〟って言って再び申し込んでみることに。そして帰国してから2日が経ったころ、またビザが却下されたっていう通知が届いた。

米国での回復は進んでる?

豪州で軽いリハビリはやったけど、帰国すると週3回の過酷なリハビリが始まった。俺は足の靭帯損傷、そして腕と肩の腱炎、筋断裂を患った。肩はうまく使えない。筋トレはすごく役に立ってて、球関節の位置を保ってる。その違いは確かに実感できる。肩にステロイドの注射をもらってるし、結構いいよ(笑)でも針のサイズが恐ろしい、あんなでかい針見たことないわ。すごくいい先生がついてるから、役に立つ薬物を打ってくれてるといいな!

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