事故の核心
記事:Hannah Ewens
翻訳:@frankierojapan
今年のバレンタインデーにFrank Ieroが自分のことを誰よりも愛するUKファンのもとに戻る。昨年の10月に恐ろしい事故に遭って辛うじて命を取り留めたFrankがここまで来ることが実に奇跡に近い。ここでFrankが初めてあの日のこと、そして愛と人生、死について語る。
事故があった4ヶ月前から、Frank Ieroはあの日のことをよく考えてしまう。ぶつけてきたバスのことや衝突直後の一連の動作。全員無事生き残ったことも。〝思い出す引き金になることがあって〟とニュージャージーの自宅から話すFrank。〝最初は駐車場にいることだって辛かったよ。周りに自動車の音を聴くことも。車を見てるだけで事故のことが頭を横切る。今は車の運転が出来るまで回復したけど、たまにちょっと危ない運転に遭うとやっぱり辛くなる。しばらくはうまく眠れなくてね。ずっと頭のどこかにあるよ。そればかり考えないようにはしてるし、気にしない日もあるけど、落ち込む日もあるね。〟
昨年の10月13日に豪州でバンドThe Patienceと一緒にツアーバンの荷物を降ろしてる最中にFrankとバンドメイトとクルーが市内バスに追突。その後のニュースがイライラするほど少なく、ファンに渡った唯一の情報が重大事故があって、ケガはしてるけど命に別状はないということだけだった。次に入ったニュースはその後の2016年ツアーの全キャンセル。彼らの新アルバムParachutesが同じ月の後半にリリースされて、本来ならステージで新アルバムの曲をプレイしてるはずのFrankとバンドメイトが長くて辛い回復とリハビリに励んでた。半分は身体的な回復―入院と理学療法でケガを治すこと。しかしそれより大変だったのは心の傷を治すことだった―自分に起こったことを理解して、どう受け止めるかを。
〝事故に遭って、その後平気でいなきゃいけんって不思議なことで〟とFrankが説明する。〝精神的にたくさんの変な考えが次々と出てきて、最初は怒りが沸いてきた。あまりにも理不尽な出来事だったからね。ほかのみんなと比べてあまりケガしてないことを申し訳なく思うところもあるし。そして本当は死ぬはずだったんじゃないという圧倒される気持ちもある。事故を目撃した人はみんな俺たちが死んだと思ったんだ。豪州の医者たちに言われたよ、宝くじを二度と買うな。キミたちはもう一生の運を使い果たしたんだからって。これは俺らの第二の誕生日だ、人生をやり直すチャンスだっていう気持ちになる。俺らはここにいるはずではない、だからこそ俺らは行動すべき、体験すべき、そして世界を変えるべき。だってこんなにも素晴らしい贈り物を頂いたんだから。人が聞きたいのはそういうことだって気づいた。それに気づくって困難を乗り越えて大丈夫だってことだと思う。そう感じる自分もいる。〟
全てのことに理由があるという。Frankもそう思う、そして事故のことを考えるとそう信じざるを得ない。〝事故までの全てのことが俺らの生存に繋がった〟と彼は思い出す。〝トランクを開けたことによって俺らの頭を守ったことや、ペダルボードを拾うとしてしゃがんだことでバンとバスの間にじゃなくて、バンのバンパーの下に入ったことなど。とにかく全てが奇跡だった。〟
しかし前向きな考えばかりではなかった。形而上学的な一面もあったという。〝俺らって本当に生き残ったん?それとも死ぬとこうなるの?と思ってしまう自分がいる。脳は機能し続けて、もうひとつの現実を作ってるかもって。もしかしたらこれは現実なんかじゃない、死んだ体に脳が活動してるだけかもって。するとこう考え始める:何がともあれ、こんなに時間が経ってるから現実だろうが幻だろうが、これが俺の現実だ。俺はここにいる。だからなんとかしなきゃ。〟
簡単に言うと、Frankがその日に体験したのは臨死体験。FrankはKerrang!に自宅のことを想像してみてと言われる。一度も行ったことがないのに、なんとなく想像はつく―ドアや窓、壁など。彼曰く、彼の自宅が想像できるように、死も想像できる。〝死がどういうことか想像できる。〟しかしその想像はあまりにも漠然としてる。Frankと違って臨死体験をしたことがない我々の想像は間違ってる。
〝その瞬間に全てが信じられないぐらい明確でクリアになった。たくさんのことに気づいた、まだ言葉にできないこともある。命や人間、身体の儚さは驚くべきだ。人生がいかにも壊れやすくて特別なことが一瞬で分かる。瞬く間に残酷に奪われることになるなんて、目からうろこだった。死神に会って握手を交わして、そしていつかはまた会うことになると分かるって怖いことよ。と同時に、言っていいかどうか分からないけど、ちょっとがっかりだ〟と彼は言葉を選びながらゆっくり言う。〝一度だけで終わる人っているけど、俺は2回も経験しなきゃいけないってなんか不思議な気持ち。受け入れるまで時間がかかることだ。まるで未来を見ていて、避けられないことを経験したみたいだ。〟
その避けられないことにFrankが最愛の祖父を亡くしてからまだそんなに時間が経ってない。彼曰く祖父の存在は〝全て〟だった。Parachutesのインスピレーションにもなった。〝いつか自分の愛する人もこれを経験するってことに気づいた。自分はまだここにいることに感謝する自分はいるけど、もう二度とそんな経験しなくていいように、その場で終わって欲しかったっていう自分もいる。悲しい意味でとか、落ち込むような意味じゃなくてさ、ただそれが現実だ。人生に一度であるべきの経験ってあると思う。そしてこれがそんあ経験のひとつだと思う。事故前と同じ人間じゃない気がする。いや、実感できる。〟
Frankの最新サウンドに慣れてきたParachutesの中盤で、静かな音が彼の叫び声に爆発して、激しいギターとディストーションたっぷりのDear Percocet, I Don't Think We Should See Each Other Anymoreは吠える不安満載の2分ちょっと。「まだ死にたくないんだ/ただ覚えられたいだけさ/切望の目でボーっとして人生が過ぎ去っていくの見るなんでごめんだ」とFrankが叫ぶ。これもアルバムもFrankの生と死への執着心を表す。「今に生きたい」と同時に自分のレガシーを考える。アルバムのラスト9-6-15は祖父のために書いた曲、そしていつか我々の時が来ることを思い知らせてくれる。事故直前に書いたアルバムだなんてゾッとする。かろうじて一命を取り留めたためにステージで披露できなかったこのアルバム。そしてアルバムの中の葛藤とライフレッスンを再認識するきっかけになった今回の事故。なんて数奇な運命。
そう彼に伝えると〝奇妙なことじゃろ?〟と答える。〝バスのタイヤに弾かれることを待ってた瞬間に思った―最後のアルバムはずっと作りたかったアルバムでよかった。なんだかホッとした。〟
Kerrang!が昨年の9月にFrankを取材した時、彼がアルバムタイトルのParachutesをこう説明してくれた―〝愛すること、喜びや幸せを感じさせてくれることが俺らを救ってくれる。〟だったらFrankのパラシュートは何だ?ひとつの答えは妻Jamiaと3人の子供―双子の娘CherryとLily、そして息子Miles。事故を経験して、自分の父親としてのあり方、そして夫としてのあり方を考え直すきっかけになった。
〝本当に大切なのは何だとか気づく時、以前大事だと思ったことがもしかしたらそんなに大事じゃないかもって。回復って不思議な生き物よ。あえて言うとワガママになっちゃいけん時がある。少しは自分の心配をしないと、完全回復できないし、なりたい父親や夫にもなれない。でも家族関係からいうと、言葉にするのは難しいけど、その変化は毎秒感じてる。〟
豪州で何があったか、まだ子供たちに話してない―まだ幼いからだという。家族の大切さをより一層実感したFrankにとって、ツアー中に家族と離れることが簡単ではないにも関わらずUKとヨーロッパのツアーがどんどん近づいてる。〝子供に言ったらは言ったで余計に怖がらすことだけになる。だから子供たちは俺がツアーに出ることを心配してなくてよかった〟とFrankは言う。〝でも個人的にはまだ(ライブが)できるかどうか知りたかった。この生活しか知らない、やったことない。俺を人間として成長させた。それに好きなことだ。嫌いという気持ちより55%好きなんだ〟と笑う。〝戦いもせずにその人生の一部が奪われるなんてごめんだ。そうはさせないぞ、と。それに今回のアルバムはもっとも誇りに思ってるアルバムだから、アルバムの曲を生で弾かないなんて絶対永遠に後悔するって思って。〟
Taking Back Sundayのサポートとして参加する今回のツアーのUKライブは1年でもっともロマンチックな日、バレンタインデーにスタート。しかしそんな特別な日は家族と一緒に過ごせないことは特に気にしてないみたい。〝1日だけ愛情を表すなんて俺のスタイルじゃない。毎日表すべきだ。〟彼にとって、愛情表現とは〝大切にされてること、愛されてることをどんな時にでも見せてあげること。認めるかどうか別として、人って愛されたいんだ。無条件で本当の自分を受け入れて愛してくれる人を求めてる。〟
Frankは若い頃からそのような無条件な愛を知った。〝俺と妻の場合、運命の人だとかなり早い段階で分かった。若かったから、まだ成長が必要だと分かったし、19才で結婚するわけじゃなかったし。でも同時に、普段人をイライラさせるようなことが俺らの人生に頻繁に起こるって分かり切った。そういうことが起きると「これって別れるほどのことか?」とお互いに聞いた。そうじゃなかったら忘れろ。それが俺らにとって大事なことだった。もちろん俺らも人間だから、色々あったけどさ、でもやっぱり最初から「これだ、これは本物だ」という実感はあった。ベタに聴こえるかもしれないけど、本当のことだからベタなんだ:運命の人に会うとまるで爆発のようですぐに分かるんだ〟と彼は微笑む。〝出会わない人もいるかもしれないし、ずれたタイミングで出会うかもしれない。でもその出会いをしっかりと大切にして難しい時も乗り越えようとしたら、美しくて甲斐のある人生を一緒に作れるよ。〟
そしてもうひとつの愛がある。それは音楽への愛。〝あ~〟と笑うFrank。〝あれはめったに返してくれない愛なんだよね。無条件でロマンチックな愛っていうよりは依存症みたいな愛だと思う。ハイをじっくり味わって、ローを憎む。でもやっぱり音楽の元に戻るんだよね。時には神のような気分にしてくれたり、またある時は精神を破壊する。うまく付き合ってキャリアにできるすごい人はいるけど、依存に溺れて人生を台無しにする人も。他のことと比べ物にならないよ。〟
幸せになるためには両方が必要かと聞かれたら、答えははっきり〝イエス〟だ。〝家族がいなきゃ人生に絶対に満足してないと思う。そしてクリエイティブなことをしてないと人間として満足してないと思うね。〟
Frankに釣り合いがある。しかし障害物もある。家族と離れることだけではない、ギターを弾くことだ。彼はリハビリで今まで何気なくこなした基本中の基本のことを一から学び直すことに。〝ギター的にはプレイスタイルが変わったような気がする、持ち方だって違う〟と告白する。〝できることを最大限にして、感じる痛みを最小限にしようとしてる。〟
練習とフラストレーションと上達の繰り返し。しかしThe Patienceの初ライブまではいけるかどうか分からない。
ニュージャーシーのStarland Ballroom、土曜日。Circa Surviveはライブの準備を着々と進めてる。しかし本番前には見知らぬバンドAerosniffがサポートとして出る。最悪の場合?ローカルなエモバンド。最高の場合?風邪気味のAerosmith。そしてパンクロックを派手に演奏したあと、Aerosniffが正体(Frank Iero and the Patience)を明かす。しかも誰も気にしてない。しかしバンドは違う―だって事故後の初ライブだ。
次の日―最初のKerrang!取材から48時間後―Frankは超ご機嫌。〝どうせ頭の中の悪魔が出るんだから、本番じゃない時に出すがいい〟と笑う。次の週末はみんなが思ったFIATP事故後の初ライブ。ニュージャージーにある小さなMonty Hallでのビッグカムバック。本当はバンドを愛するファンと一緒に汗だくになりながらのウォームアップライブをやりたかったけど、必要だったのは良くも悪くもどうなってもいいような匿名ライブだった。〝俺にとってはすごくワガママなことだった。ギブ・アンド・テイクみたいなライブもある―観客と同じぐらい楽しめるようなライブをね。でも昨日のライブは―失礼な言い方だが―観客はどうでもよかったんだ。ステージに上がった俺ら4人が全てだった。刺激的だったよ。その日がとても不思議でさ。事故についての感情がどれだけ自分の演奏に繋がってるかは昨日まで分からんかった。俺はやっと再びステージに立つことが自分にこんなにも影響してくるなんて気づいてなかった。まさかステージに立つことがこんなにも事故と事故についての気持ちに繋がってるとはね。回復とダウンタイムの終わりを意味した。大変だったし、エモーショナルだったけど、最後の最後には大成功って感じだった。〟
痛みという問題もあった。ちゃんと弾けるかどうか、納得できるような弾き方ができるかどうか分からなかったという。〝痛かったけど、まだ我慢できるほどだった。もうできないことってあるんだなって実感したこともあった。それが今後どうなることやら。ツアーに出るってことは毎晩プレイしなきゃいけないけど、体の調子は2日目や3日目でやっと実感できるからちょっと不安よね。でも今は前向きに考えてる。完全によくにはならないかもしれんけど、ちょっと変わるだけって考えればいいんだ。やってみないと分からんからね。〟
ツアーというのは新譜の曲をやっとライブで披露するということでもある。〝ライブセットをWorld Destroyerでスタートすることを毎晩のように想像してた。観客の前ではどう変わるか、とか。だからやっと披露することができて最高だよ。実現できたって素晴らしい気分だ。〟
しかし2017年の予定はまだ完全に決めていない。〝ギター弾けなくて、そして弾いてみると痛いし、無理だと思ってた。やっと帰国した時、音楽の世界がとつもなく遠く感じてて、だからどうなるか分からない。〟彼の作曲作詞は相変わらず続いてるけど、事故や事故の影響について書くことにまだ違和感を感じるという。〝アートやアルバムを作り終わるとその作品のコントロールを譲ることになる〟とFrankが説明。〝アルバムが成長して独立する―世界の中で生きていく。少しは話せるようになったけど、とりあえず今は事故のことがまだ俺の頭の中に閉じ込まれてる。完全に俺のもので、俺が完全にコントロールしてる。でも事故について曲やアルバムを書いたり歌ったりするとそのコントロールを失うことになるから怖いんだ。〟
とりあえずKerrang!は初めてのシークレットライブが大成功したことを嬉しく思ってる。〝俺も!〟とFrankが笑う。〝じゃなきゃ落ち込んでたんだろうな。うまくいかなかったらなんてひどいオチなんだ―最悪だった!もう二度とやりたくない!なんてね。〟
Parachutesのリリース直後にFrankがこんなことをブログにアップした―〝人生もそう。俺らはみんなやがてやってくる最期へと落下している、あるいは急降下している。しかし家族の愛情と音楽やアートが作れることがずっと俺のパラシュートになってくれた…このアルバムは俺のパラシュートのひとつだ。〟楽しみにしてたこのアルバムを楽しくプレイして、シェアするべきこのアルバムをやっとシェアして、そしてアルバムに潜んでた悪魔を追い払うことで無事の着地に必要な最後のパラシュートが開いたのかもしれません。
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