2017年4月29日土曜日

【Frank】Jersey Beat Interview

Jersey Beat Interview: Frank Iero


取材者:Deb Draisin

翻訳:@frankierojapan


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Q: おはようFrank。久しぶりの取材だね、元気にしてる?

F: おはようDeb。久しぶりじゃね。元気してるよ、キミは?

Q: 元気よ。お互い大変な1年だったね―死や事故、狂気、失った給料。

F: それ毎日じゃろ?(笑)

Q: 確かに。お互い大ファンだから最初に聞きたいけど、この10年間で出た好きなホラー映画は?

F: Fun and Gamesは最高だったよ


Q: 教えてくれてありがとう、観てみるわ。だって最近観たホラーはみんなひどいもん。たとえばAnnabelleとか、あれすごく勧められたのに最悪だった。

F: ああいう映画って毎回がっかりするよ。The Conjuringとかさ、あれ系は全部クソじゃ。

Q: ひどいよね。American Horror Storyもひどかったよ。最近観てよかった映画はLights Out―よかったら観てみてね。

F: Get Outもすごくよかったと聞いたよ。

Q: でもね、Get Outには残虐映画の部分もあったけど、本当はコメディーに近いよ。すごく怖い映画だと期待したけど、実際観てみると笑いっぱなし。Freddy Krugerの映画みたいだった。

F: あ~ならいい。俺はそういうB級感ある映画が好きさ。新しい感じで同じことやろうとしてたらばかばかしい映画になるかもしれんけど、俺は別にB級感は嫌いじゃないよ。

Q: Vincent Priceの全作品はめっちゃいいよね。

F: じゃろ?Vincent Priceの作品なら間違いないよね。たとえばLast Man On Earthでさ、杭を打とうとしてるシーンとかさ。

Q: そうそう!

F: あんな打ち方じゃリンゴすら切れんのによ(笑)あの映画大好き!

Q: Priceは巨匠だからね。Dr. Phibes Rises Againで彼がノドの穴から魚を食べてて骨がノドに詰まって、骨をそのまま穴から引き抜くシーンとか、もう傑作だよ。Hitchcockの映画も傑作が多いよね。一番好きなクラッシクホラー映画は?

F: House on Haunted Hillかな、あれ大好き。Universalの映画はみんな素晴らしいけど、子供の頃に父とHouse on Haunted Hillを観たの覚えてる。

Q: 私も父と観てた。ホラーサンデーをやってた。

F: いいね。そうやって絶対観ちゃいけんものをいっぱい見せてもらった(笑)父が子供の時House on Haunted Hillを観たらしくて、くそビビったんだって。ケーブルから骸骨を吊るすシーン覚えてる?

Q: あのシーンやばいよね、くそウケる。

F: 映画が出た当時は映画館で実際にやったんだって!観客が大騒ぎしてて。

Q: 昔はそういうのやってたよね。あの50年代の宇宙人映画みたいにさ、ラジオでバイラル・マーケティングやって、宇宙人が本当に来るって信じてた人がいたよね。

F: War of the Worldsかい?


Q: だと思う。私そういうの大好き。Vincent Priceといえば、映画の中で観客に直接語りかかるシーンってあっただろ?ほら、手が勝手に動くやつ。

F: The Tinglerだったっけ?

Q: そうそう。Priceが観客に〝動くな!すぐそばに来てる!〟って言ってる間に映画館が電気を全て消して、席の下に仕掛けたブザーで観客をびりびりと感電させたらしいよ。今じゃ無理だろうけどさ。

F: 今やったら誰か心臓麻痺起こして映画館を訴えるじゃろうな。

Q: だよね。次の話だけど―親はいつも子供を自慢したがるから、お子さんのどこが自慢?

F: 堂々と自分でいるとこだ。貴重なことで、子供の時にしかできないことだと思う。自意識がまるでなくて、あるのはありのままの自然なユニークさだけ。そのユニークさを隠しやしない。

Q: それも親のおかげだと思うよ。自由に自分を表現していいことを促す育て方してるからこそ、子供は安心して自分でいられると思う。

F: だといいけど。そこが大事よね、そのユニークさを潰してしまうと全てがダメになる。6歳児は自意識なんかいらんよ。大人になってからは十分自意識過剰になる時間あるけん。

Q: いらないけど、同級生がそのユニークさを潰してあげるからね。あと何もかも親のせいにしてしまうとセラピーの請求書がそれなりに高くなっちゃう。次だけど、現在の悲惨な政治情勢からしたら、"I Want To Kill The President"を復活するタイミングではないでしょうか?曲名変えたらきっと誰も気づかないと思うけど。

F: いや~あれはね、高い、高い値段がついた間違いだったな(笑)

Q: 今までにない経験だったんだろうね。

F: 独り身なら別に面白いと思うけど、妻子がいるとね・・・人に迷惑かけちゃいけん。

Q: 大人になるとこうなるって教えて欲しいよね。

F: 教えて欲しいよね、ほんまに。教えてくれればもっとうまくやってたのに。

Q: 曲名変えればいいじゃん。そこまでの話よ。気づかないってば、ミュージシャンの自由だもん。

F: まぁね。若い頃は怖いもの知らずじゃけんね。

Q: でも恐れることがこの世にいっぱいだってすぐ知らされるよね。じゃさ、これから出る新EP〝Keep the Coffins Coming〟について話そう。

F: Stomachachesのツアーが終わったら、マネージャーのPaulと話してたけど、〝これからどうしたい?〟って聞かれたけど、その時はまだ何も決めてなくてさ。すると死ぬ前にやりたいことの話をした。俺は曲を書いたりしてたけど、次のアルバムどうすればいいかまだ分からなかったけど、ずっとSteve Albiniと一緒に仕事がしたいという話になった。

俺らはStevenに連絡してみると彼のスケジュールに3日間の空きがあったけん、車を借りて彼のシカゴスタジオでEPをレコーディングした。その時、新曲はI'm A MessとVeinsのデモしかなかったよ。Veinsは未完成のまま終わったけど、MessとBest Friends Foreverのフルバンドバージョン、No Fun Club、そしてYou Are My Sunshineをカバーした。その4曲がEPに収録されてる。

不思議なことで、EPのMessはデモだと思ってない。フルバージョンだけど、ただLPにあるバージョンとちょっと違うだけ。Rossとスタジオに入った時、またMessをしようかどうしようか悩んだけど、大好きな曲じゃけんやることに。2つのバージョンが大好きで、曲の始まり(EP)と終わり(LP)が聴けるって面白いと思う。どっちも正式バージョンだ。じゃけんEPをリリースしたかった―StomachachesとParachutesの架け橋なんだ。

Q: ツアー中にはどっちの"I'm A Mess"を披露するの?

F: どっちもしない(笑)ライブバージョンを披露する。

Q: 面白そうだね。お子さんの曲をカバーしてるけど、お子さんはそれについてどう思ってる?

F: いい質問だね!Lilyは大興奮したよ。ロシアでBFFをやった時の動画見せたら彼女が〝私って有名なの・・・?〟って聞いて、〝そうだな、有名かな。国際的ソングライターだ。ファンも曲を知ってるし、大したもんよ〟って。

Q: そうですね!次の話だけど、去年はFrankにとって大変な一年だったね。最愛の祖父の死(お悔やみ申し上げます)、そして自分も重大事故に巻き込まれた。その経験はアート、そして人生へのアプローチをどう変えた?

F: どうじゃろ?分からんかも。とりあえず俺はまだ生きてる。出来事への気持ちは毎日変わる。毎日思い出すし、毎日考える。自分を変えてしまう出来事だ、それだけ。どんな風に変えたかはっきり分からんけど、同じ人間じゃないってことは実感できる。よりよい人とか、そうでない人という意味ではなくて、ただ・・・同じじゃないって分かる。

Q: そうだね。バンドのみんなはどう?身体的に、精神的に落ち着いてる?

F: 回復的にはまだまだ時間かかるし、人生はこれからだ。

Q: 事故の原因は分かる?

F: 原因とかについてはね、第三者から色々聞くけど―警察の調査報告とかさ。でも今でも調査中じゃけんね。俺が分かるのはただ悲惨な事故ってことだけだ。

Q: 信じられないよね。

F: ああ、大変だったよ。

Q: キミの事故についての取材って本当信じられなかった。そんな悲惨な事故を経験するなんて。その瞬間、自分の今までの人生を思い浮かべた?

F: 少しね。その瞬間にたくさんのことが思い浮かぶし、全てが明確になる。ほんの一瞬なのにすごく長く感じる。正直言うと全てについて考える。そしてなんだか穏やかな気持ちになって全てに別れを告げる。


Q: 大変だったね・・・その後は最初何をした?自宅に電話した?

F: そう、みんなが搬送されてから電話した。まずはみんなが治療を受けることを確認した。2番目は自宅に連絡して事故があったこと、入院することになるから病院から連絡すること、そして何より、ニュースを観ないことを伝えた。

Q: そうだよね、だってニュース観ても悲惨な事故が起こったことしか言わないもんね。Jamiaかわいそうに―同じ日に家族2人が外国で入院なんて。そんなの耐えられないわ。

F: しかも自分から一番遠い国にね。つらかったよ。

Q: みんな無事で何より。

F: ありがとうDeb。


Q: 事故を経てバンドの絆が強くなった?関係は変わったと思う?

F: 変わったと思う。木曜日でちょうど6ヶ月が経つけん、みんなで集まろうと思って。そういうの経験して絆が強くならないわけがない。

Q: もう6ヶ月経つんだね。早い。でも分かると思う。だってあの瞬間、どんな気持ちだったか知ってるのはキミたちだけだもんね。次の話にしよう。もっとハッピーな話題を。キミはいつかまた大学に行きたいって言ったけど、大学に戻るなら何を勉強しますか?

F: 学士号を取得する寸前だった時に中退した。学位記があったらいいなと思う。ちゃんと最後までやればよかった。専攻といえば、どうじゃろ?当時は美術を専攻にしたけど、その時は今中退して本当の美術の世界に行くか、ここに残って勉強して就職か?っていうか今仕事あるけん、学位記の紙一枚のためなんかに残る必要ある?という格闘があった。これがチャンスだと思ったけん中退した。大学に残って美術を語るか、実際の美術の世界で生きてみるかだった。

Q: 18か19歳ならきっと同じ選択をしたと思うよ。年をとると考え方が変わるけどね。

F: そうだね。でもいつかは学士号取りたいな。まだそんな余裕ないけどね。

Q: 本当に大変だよ。私は今3年目だけど、文学士号を取得できるまで5年かかりそう。

F: だよな。長い間やってないと色々忘れてしまうじゃろうな。

Q: 大変だけど、教育が大事だと思うから自分の態度が変わる。

F: 若い頃はそこまで大事だと思わないような気がするよね。でも自分の意思で大学に戻るって目標があるけん態度が変わる。

Q: 勉強がしたいって思うからね―親のためにとかじゃなくて、自分のために。

F: そのとおりじゃ。すごくいいことだと思うけど、俺って長い間論文なんか書いてないけんね。もう出来んかも。

Q: まぁでもキミみたいに文章が得意人は問題ないと思うけどね、特に好きな美術に関しての論文ならね。本当に難しいのは試験だ。

F: そうかもね。勉強自体が一番大変だろうな。

Q: 勉強はイヤだよ、本当苦手。それじゃ、Parachutesの話だけど、好きな歌詞はある?

F: 好きな歌詞、それとも好きな曲?

Q: 両方?

F: 好きな曲は"I'll Let You Down"―たぶんあの曲は存在するはずじゃなかったけんかな。ツアー中にアコギーで書いた曲で、アコースティック曲としてしか思ってなかった。するとアルバムのレコーディング期間が一週間遅れることになって、バンドのみんなが待機常態に。せっかく曲持ってたけん、フルバンドでできるようにアレンジして、やってみようって。すると結局はアルバムの中で一番好きな曲に。

Q: 私も好きよ、すごくキャッチーだ。早くライブで聴きたいね。

F: ありがとう!楽しみにしててくれてありがとう(笑)

Q: だろう?〝いや、あの曲は別に・・・〟とか言ったらひどいだろう?好きな曲は答えたけど、好きな歌詞は?

F: うわ、なんじゃろ?ひとつだけ選べんかも。〝Nothing can hurt me like I hurt myself/
俺ほど自分を痛みつけるものはない〟かな。

Q: 共感できる歌詞だね。みんなの気持ちを代弁してる。

F: じゃろ!

Q: アーティストにとって傷心って大事だと思う?100%自分に満足したら、アートは作り続けると思う?

F: 難しい質問だな。でもつらい時にしか作れないって思いたくない。幸せも不幸も必要だと思う。苦悩や傷心の体験からアートを作ることがやりやすいかもしれんけど、そういうやり方しかないと思いたくない。絶対的条件ではないと思う。

Q: まぁでも私たちみたいな自分に満足できない人には分からないよね。

F: そうじゃろ?〝アーティストになりたい人へのアドバイスは?〟とよく聞かれるよ。俺の答えは基本的に〝冷め切った熟年夫婦関係のような生活したいならアーティストになれ。これでもかというぐらい愛してるのにアートはお前のことをなんとも思ってないようなもんさ。一生分の自己嫌悪と失望が待ってる。〟

Q: そのとおり!私の息子と息子のバンドのギタリストがこれ以上自己嫌悪してたら観客引くぞって注意されたことあるよ(笑)

F: じゃけん俺はRossとスタジオに入るのが不安だった。彼って人を圧倒するような存在だと思った―人に怒鳴ったり、物投げたりとかさ。でも本当はその反対だった!やってること全てがポジティブ。あんなにポジティブな経験は初めてだった。まずはミュージシャンを挫折させてから徐々にスキルアップさせるって音楽業界でよくあることだけど、彼は違った。挫折をさせず、今の自分をスキルアップさせてくれる。彼は今まで一緒に働いてきたプロデューサーの誰よりも刺激的だった。

Q: なんと!ポジティブ・フィードバックでうまくいったんだね!びっくり!

F: ありえんじゃろ?自分でも信じられん(笑)

Q: Parachutesの歌詞は当時の自分の心の中を表現してると以前言ったことあるけど、もっと俺のここを理解して欲しい!というところをひとつ選ぶとしたら、どこ?

F: うわ・・・難しいな。答えるならMessからの一言で〝I'm tired of miracles and being so understood/奇跡や理解されてることにうんざりなのさ。〟そこまで理解されんでいいような気がする。自分だけの秘密があっていい―とりあえず何かを作って、何かを伝えようとするんだ。正直であればそれでいい。理解されるかどうかは二の次だ。若い頃には分からんかったけど、アートの最終段階というのは世の中に解き放つこと、コントロールを譲ることだ。俺ってよく〝いやいや、これは俺のモノだ!渡すか!〟ってなったけど、大事なのはそこじゃない。一番大事なのは作品を手放すこと。ほら、親としても同じだ。いつかは子供を自由にせんと。

Q: その話はやめて!私の子育てはもうそこまで来てるから!心配なの。

F: あれほどつらいことはないよ。でもそこが重要なんだよね。

Q: 確かにそうだね。ファンとミュージシャンの境界線についてもう一度話してもらっていい?ファンの迷惑行為がどれほど恐ろしいことか分かるような一言をお願いします。

F: 覚えてて欲しいのは俺らはみんな人間だ―ファンもミュージシャンもみんな。人間ではなく、商品や神のような存在として考え始めるとトラブルに繋がる。ライブで100%出せるようにパーソナル・スペースと自分の時間が必要不可欠。

F: ライブ後にファンとよくミーグリするから、迷惑なファンが出てくるなんて驚きだ。たまにしか行けない国でライブしてるとは言え・・・

F: それも配慮しようとしてる。国によって文化は全然違うけんね。

Q: 時間を作ってくれて本当にありがとうFrank!ブルックリン公演を楽しみにしてる。

F: 俺も!ありがとうDeb。

2017年4月20日木曜日

Tattoo.com Interview: Frank Iero and the Patience

Tattoo.com Interview: Frank Iero and the Patience


取材者:Jessica Golich

翻訳:@frankierojapan


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4月18日にブルックリンのMusic Hall of WilliamsburgでUSヘッドラインツアーがスタートしますね。ツアーに参戦するファンって何が期待できますか?
Parachutesを引っ提げた初のUSツアーじゃけん、アルバムからの新曲と前のアルバムからの人気曲(B-Side曲も少し)が期待できる。新しい曲とそうでもない曲がバランスよく入ってると思うよ。
Frank Iero and the Patienceの経緯を教えてください。
Stomachachesのツアー後に次のチャプターを始まる時だなと思って。アーティストがスタジオに入ると過去のことを全て燃やしてソングライティングへのアプローチを変更する必要があると思うんだけど、そうやってアルバム作るとバンドのサウンドって変わるじゃないですか?なのにバンド名が変わらないというデメリットがある。でもこれが俺のソロプロジェクトじゃけん、今の立場じゃ俺の言うことは絶対で好きにできる。しかも俺の名前がバンド名に入ってるから毎回バンド名変えても誰が関わってるか分かるけん混乱しないよね。前回は賑やかな何かが必要だと思ったけんcellabration(お祝い)にしたけど、フロントマンという役割に慣れてきたから今回はそういうのいらないって思って。今回必要なのは深呼吸して今を楽しめること・・・忍耐という美徳が必要だと思った。 
もしキミが自分のライブをファンとして参戦するなら、どんなライブ体験が理想ですか?
みんなに楽しんでほしくて、その瞬間の完全なる共有が理想だね。お互いを助け合ってポジティブな思い出を作って欲しい。
タトゥーって芸術的な表現として社会のためになってると思いますか?
もちろん。人が芸術的でユニークに自分を表現できるって社会のためになると思うよ。
一番好きなパーソナルタトゥーとその彫り師について教えてください。
俺ってすごく恵まれててたくさんの素晴らしい彫り師にタトゥーを彫らせて頂いたし、中には友達になってくれた彫り師もいて本当にラッキーなんだ。そんな中で一番思い出に残ってるのはKat Von Dが彫ってくれた祖母と祖父のタトゥー。彼女はアーティストとして、人として最高で素晴らしいタトゥーを入れてくれた。そのタトゥーを見た俺の祖父の嬉しそうな笑顔はよく覚えてるよ。祖父が生きてるうちに見れて本当よかった、追悼タトゥーじゃなくて。
ミュージシャンとして今までのキャリアを代表するテーマソングを選ぶとしたら、どんな曲にするか、そしてその理由を教えてください。
なんじゃろ?初めて聞かれたし、あまり考えたことないな。たぶん〝マイ・ウェイ〟にするかな。かっこいい曲だし、初めて聴いた時ははっきり覚えてるよ。まだ小さかったけど、祖父が入ってたバンドが地下にあった小さな煙たいクラブでカバーしてた。いい子にしてたら週末にそのクラブに連れてってくれたんよ。すごくパワフルな曲でそこにいたお客さんがみんな一緒に歌ったり踊ったりしてたの覚えてる。自分に合ってるような気がする。今までは自分の好きなように生きてきたけん。そういう生き方が俺の誇りだ。
2017年のFIATPファンはどんなことを楽しみにできますか?

たくさんのツアー、そしてStomachachesとParachutesの架け橋になる新EPも今年リリースする予定。

もし1ヶ月間好きなアーティスト(亡くなったアーティストでも)と好きな国でツアーができたら、誰とどこにします?

ずいぶんと詳しい妄想だな!国は日本を選ぶ―めっちゃ好きな国で最近全く行ってないけん。アーティストは祖父―彼は俺の知ってる中で最もアメイジングな人だし、きっと日本も好きだったと思うけん。

ツアーとツアーの間のアルティメット休日の過ごし方とは?

絶対寝ることだ。14時間寝るとか(家じゃ絶対にありえないんだけどね)。起きたら子供たちと嫁さんとブランチを食べに行ったり、レコード屋巡りしたり(すごくリラックス効果がある)。そのあとは映画を観に行く。

最後にファンへのメッセージをどうぞ。

今回のDave Hause and the Mermaidとのツアーをめっちゃ楽しみにしてる。アメイジングなライブ体験になると思うし、絶対盛り上がるけん、ライブで会おうや!

2017年4月16日日曜日

【Frank】AXS Interview


AXS Interview: Frank Iero


取材者:Tom Shackleford

翻訳:@frankierojapan


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AXS: 去年の秋にバス事故に遭いましたが、皆さん調子はどうですか?2017年はフランクとバンドメンバーにとってよりいいスタートを切ってますか?
FI: とりあえずはいい感じだよ。今年2回目のツアーが終わったばかり―3週間ロシアにいたけど、ライブが全部最高でキッズもすごかったけど、人生で一番大変なツアーだったな。ツアー中の移動が・・・初めてだよ、あんな大変な移動(笑)。メインの移動手段は電車なんだ。じゃけん俺は最初〝なるほど、機材は荷物専用車両に積んでから席に行けばいいか〟って思ったけど、駅で電車は5分しか停車しない。5分だけだよ?なのに俺らはギター9本やペダルボード、ドラムの機材、そして俺ら個人の荷物も持ってて、5分の間でなんとか全部押し入れて席に座らんといけんよ。まるで消防者訓練みたいな感じだったよ。その最中に人が電車を乗り降りしてるし、並んで待ってるっていうわけでもないし、とにかく我先にと電車に強引に乗ろうとする。機材も全部なんとか電車に入れてからは22時間の旅がスタートするけど、その途中で降りる時も同じ混乱の渦に巻き込まれることになるって気づいて軽く絶望する。
AXS: 5分以内に機材とか乗せなかったらどうなる?
FI: 分からんよ。それが怖くてとりあえず間に合うようにした。移動のストレスのせいで腸に潰瘍が3つ出来た気がするわい。そして最高なのはさ、混乱を乗り越えて無事機材を乗せたとしても、夜に到着駅に着くとランプやエレベーターが一個もないよ。まぁでも生き残ったけん、俺らの勝利とする。
AXS: ポストMy Chemical Romanceの2つ目のアルバムのツアーサイクルに入って6ヶ月だけど、今回のアルバムやライブはStomachachesに比べてどうですか?
FI: 6ヶ月が経ったけど、事故などあってまだ2つのツアーしかしてない。でももう2度とプレイできないと思ったけん、これが第2の人生で自分のやることやクリエイトすることもある意味で一新したという感覚はある。ライブがどうかというと、すごく元気をもらってる。今回のアルバムや曲はライブに持って来いなんだ―ライブでやる必要があるようなアルバムだから。アルバムの進化や変化については、初めからすごく非現実感があったから、毎ライブで違う感情が湧き出るんだ。本当すごいよ。
AXS: アルバムは刺激的で心からのサウンドだけど、フランクにとってParachutesってアンプの音を上げた感情を打ち明けるシンガーソングライター風のアルバムだと思いますか?
FI: 実はそれについて考えてたけど、アルバムは基本的にフォークだ。Stomachachesもそうだったけど。シンガーソングライターの弾き語りを思わすところがあって、そういって意味ではフォークとして扱っても違和感ないと思う。そしてStomachachesからParachutesの間ですごい進化が感じれる。それが次どうなるか分からんけど、それも考えてるよ。どう次に繋がるか楽しみだ。
AXS: ParachutesではRoss (Robinson)と一緒に非常に短い間でレコーディングしたけど、その場で曲を仕上げるプレッシャーはありましたか?
FI: それが問題だった。17日間しかなくて12曲をレコーディングしたかった。実はそれよりもたくさんの曲をやりたかったけど、時間がなくてね。じゃけん初日から曲の選別作業に取り掛かって、これはキープでこれはカットの繰り返し。12曲をやらせるようにRossと戦ったっていうか、説得させんといけんかった。〝この12曲をやらせてくれるなら何でもします、最後の2曲がないとアルバムに意味がないから〟と頼んだ。結局は全部やったけど、スタジオに入る前からどんな風にしたいかしっかりと頭に入れる必要があった。唯一の不確定要素は最初俺がベースをやろうと思ってたけど、全曲を生レコーディング出来るようにSteve Evettsにベースをお願いすることになった。彼が一緒にスタジオにいてくれたこと、みんなと一緒にプレイしてくれたことがアルバムにエネルギーと強烈感を。
AXS: もう一度やるとしたら同じようにやろうと思いますか?
FI: 音楽的には同じようにレコーディングすると思う。あとやりたかった曲が全部レコーディングできるようにもう1日や2日ぐらい伸ばしたかな。そして喉が休める時間も入れて、一週間ぐらい空けてからボーカルをレコーディングしたかな。俺らのやり方でボーカルを全部終わらせるために病院で2回もステロイド注射を。初日から17日目までずっと100パーセントで歌ったけん。Rossとレコーディングして面白いなって思ったことは、俺らをみんな同じ部屋に入れてプレイしながらボーカルもやらせるんよ。彼ってボーカルを別でレコーディングするのがあまり好きじゃなくて、生でレコーディングした狂乱したボーカルの方を使いたがる。でも理想は喉に1週間半の休みを入れることだな。でっかい針でケツが刺されるのイヤじゃけんね。
AXS: ライブでやって楽しい!って思う新曲は?
FI: I'll Let You Downが最初から俺のお気に入りだ。あの曲はイギリスのツアー中、深夜にアコギ一本で書いた曲で当時はただのアコースティック曲だ思ってた。Rossとのレコーディングが始まる直前に何か問題があって、レコーディングが急遽一週間ずらすことになった。その間にずっとリハしてた曲をやりすぎちゃいけんって思ってI'll Let You Downをやろうって。バンドとしてプレイできるアレンジを思いつきで書いて、のちのちはアルバムに入ることになっちゃった。今じゃ俺の大好きな曲のひとつだ。存在しないはずの曲の割にはすごくうまくいったよ。
AXS: 僕は2000年のニュージャージーで10代を過ごした人間として、ニュージャージー/ロングアイランド周辺出身のバンド(My Chemical Romance, Senses Fail, Taking Back Sunday, Brand Newなど)が10代のキッズに与えた影響をよく覚えてる。振り返ってみると、あれがコマーシャルロックの最後のムーブメントだと思いますか?
FI: うわ、どうじゃろ?分からんな。やってる側の人間としては、えっ?人ってこれに注目してんの?って感じだった。ブームになるなんて誰も思わんかった―だってそういうことって普通ないじゃん。リハに使ったスタジオにメジャーレーベルからの電話が来ることが、少なくても俺らにとっては夢のようでなんかバカバカしかった。俺らはそういうの無視してとにかく一所懸命努力した。そういうムーブメントがまた起きるかというと、なんだろ?もう起こらんでもいい環境になってきたような気がする。今は自分で音楽を出せる方法がいくつかあるからね。自分の音楽を広めるためにメージャーな企業に頼らない傾向があると思う。そういうのがまた起きるか?さぁな。起きる必要はあるか?たぶんない。それがいいんだ。

2017年4月10日月曜日

【Frank】Rock Sound "The Ressurectionist"

Rock Sound: The Ressurectionist


記事:Rob Sayce

翻訳:@frankierojapan


〝未来のことか・・・〟フランクは深呼吸して指の関節で胸を軽く叩く。長い間のあとに彼はくすっと笑う〝正直、まったく分からん!とりあえず1日1日生きるようにしてる。だってそれしかできんけんね。俺らの人生って予測不可能・・・だからこそ音楽を作ったりまたツアーに出たりして自分の運命を自分で決める。自分の経験で定義されてたまるか。〟

人生は残酷で変わりやすいもの、そして一瞬にして全てが変わる。しかしこの事実をフランクほど知ってる人はいないでしょう。2106年10月13日、彼と彼のバンドThe Patienceが重大自動車事故に遭い、かろうじて生き残った。豪州シドニーで機材を下ろしてる途中でバスに追突されて元マイケミのギタリストとバンドメイトやマネージャーが巻き込まれて大怪我を。体も心も今現在回復中。ツアーライフを辞めるきっかけになってもおかしくないほどの大惨事・・・しかしフランクは辞めなかった。

〝回復って一直線じゃないよ〟と彼はいう。彼はエモベテランTaking Back Sundayと一緒にツアーに出て、5月のSlam Dunk Festivalに出演も発表されて、そして新EP〝Keep The Coffins Coming〟のリリースに向けて準備中。なのに彼が今後の予定を話すとなんだかまだ何もはっきり決まってないような口調だ。まるでこれが現実じゃないような。

〝渋滞にハマってふと窓の外に目をやると「この街に二度と来ないと思ったなぁ」ってなる時が。しばらくは平気で、でもその2日後は今までにないぐらい落ち込む。その時こそ、自分は本当によくなってんのか、この気持ちっていつか変わらんのんかと自問する。つらくて耐え難いプロセスだけど、強く踏ん張るしかない。前の自分にはもう戻らない。〟

〝しばらくは―少なくても2ヶ月ぐらい―音楽なんてもう無理だと思った。すると色々考え始めたけど・・・何も抵抗しないまま自分の好きことが奪われるって本当につらくて。俺が決めたことじゃなくて、ただ俺から無理やりに奪われるんだ。だから思った―このまま音楽が奪われてもいいのか?それともくそ怖いけどやってみて、まだプレイできるかどうか試してみようか?って。できるかどうか知りたかったんだ。でも復活ライブのステージに上がる前まではどうなるか分からんかった。最近はやっと調子が戻ってきた。〟

新EPのタイトルが事故のことを連想させるけど、フランク曰く事故の遥か前から決まったタイトルだ。アルバムは音楽の力へのカタルシス感満載でフィルターなしのラフな称賛。今じゃ特に痛感できるテーマだ。

〝今回のEPは(2014年の)StomachachesとParachutesの架け橋だと思う。Stomachachesのツアーの終わりにどうすればいいか分からずにいた。すると「じゃお前が何よりしたいことは?」って聞かれた。11歳の頃からSteve Albini(レコーディングエンジニア、NirvanaやHelmutなど)と一緒に仕事がしたかったけん、彼に連絡してみた。子供の頃に好きな女の子に「好きか嫌いか、ひとつ選んで」みたいな手紙を出すような気持ちだった。幸いSteveが好き!って選んでくれた(笑)〟

〝時には純粋に自分の刺激になる、自分の魂をワクワクさせるようなことをやるがいい。俺はトラックを借りてシカゴに行った。Steveのスタジオで数日寝泊りしてて最高に楽しかったよ。EPにはI'm A Messの初期バージョンやYou Are My Sunshine―子供の頃から大好きだった悲しい歌なんだけど、今は自分の子供に歌う曲だ―が入ってるよ。聴くとまるで俺らと同じ部屋にいるみたいだ。俺にとってタイトルはポジティブな意味合いを持つ。音楽作りの難しいところのひとつは作品を放っておくこと。諦めた曲を放っておかないと新しい作品が生まれない。次のプロジェクトにいけるようにその曲たちと一緒に過ごした時間に感謝することが大事。〟

次にいくって簡単に言えることだけど、実際にやるとなるとかなり大変だ。フランクは音楽に対していつもオープンで正直にやってる―彼と彼のバンドを苦しめた事故のことに対してもそう。簡単な答えなどないけど、彼らは前向きに進もうとしてる。

〝事故の途中で、俺はもう存在しなくなることを受け入れた。その時に思ったのは「子供たちの成長くそ見たかったな」。そこで俺の人生の一部が終わった。時には空気がより新鮮に感じたり、料理がより美味しく感じたりして、俺はここにいる意味があると感じる。またある時は「俺って本当は死体になって脳神経がわずかに生きてるだけ、それがこの現実を作ってる」と思うことも。だってそうじゃないって証明できんじゃろ?でもその事故への恐怖がすこしずつ減ってきてる。色んなことに慣れてきてる。〟

〝人生って山登りじゃない。てっぺんに着いて終わりとか、そんなんじゃない。頂上に着いたと思ったらまた次の山が見えてくる、もっと高い山が。俺は登り続けたい、それ以上は望めない。もう十分だって満足なんかしたくない。〟

複雑で予測不可能―準備万端の時でもツアー生活は大変で誰もが疲れる生活だ。バンドのスケジュールがすごいスピードで埋まっていく中、詰め込みすぎることを心配してないのか?

〝今はちょっと圧倒されてしまいそうだね。こんなにもたくさんの素晴らしいチャンスを与えられてさ、断りたくないよ。去年の事故のあと、全てがすごくむなしく感じたせいか、今はどんなチャンスでも捕まえたい。ちょっとやりすぎじゃないかって言われたらそうかもしれんけど、でも俺は恐怖を感じさせてくれる、生きてるって実感させてくれることがしたい。〟

彼は笑って、肩をすくめる。

〝その後のこと?さぁな・・・〟

2017年4月6日木曜日

【Frank】Punktastic Interview: Postcards from Slam Dunk

Punktastic Interview: Frank Iero



取材:Glen Bushell

翻訳:@frankierojapan



英文はこちら



Slam Dunk初出演ですね!気分はいかが?

めっちゃ楽しみにしてる。このフェスの話はよく聞いてたし、友達がいっぱり出てるって知った時はほんま嬉しかった。
過去にはもちろん大きなフェスに出演した経験があると思いますが、こういうイベントでセンターステージに立つってどんな気持ち?
フェスによって違うと思う。ライブやツアーが毎回異なることと同じだ。フェスがよく管理されてて、裏で動いてるみんなもしっかりしてれば全てがうまくいくし、みんな楽しいよ。
FIATPのSlam Dunkセットって何が期待できますか?ライブ会場でのライブに比べてセット変わります?
ライブ会場のセットとフェスのセットのアプローチは違うね。ライブ会場なら選曲で観客を旅に連れて行くことができるけど、フェスはどっちかというと戦場に近い。人の短い集中力を30分で全力攻撃しなきゃならない、そしてなんとか覚えさせてもらわなきゃ。頭部に命中することが全てだ。
出演したフェスから参加されたフェスまで、思い出に残る出来事ってありますか?
出演者としてフェスに出ても、同時に観客として参加することがほとんど。早めにスケジュールもらって、できるだけたくさんのバンドを見に行くことも、バンドのバイキングみたいで、普通のライブじゃ同じステージに出ないバンドが見れるっていうところもすごく好き。2年前はGroezrockに出たけど、ヘッドライナーがRefusedだった。ほんま最高で衝撃的なセットだったよ。その日はBaneやAmerican Nightmare、Knapsack、Mighty Mighty Bosstones、Agnostic Front、Joyce Manorも見たよ。
...よくない思い出は?
数年前はNJでフェスをやったことあるけど、レンタルしたステージが新しい安全規制によって全然使えなくなったことがフェス当日で分かって、結局はグラグラするようなベニヤ板で新しいステージを組むことになったけど、ステージって言っても2つにステージを組み合わせたみたいな感じだった。それで出演時間がめちゃくちゃになって、俺のバンドLeathermouthが雨の中で他のバンドと同時に、しかも同じステージで演奏することになって、雨で感電しないように機材をゴミ袋でくるまなきゃいけんかったし。その上に、あとから聞いたことなんだけど、サウンドの担当者が最初の3曲ぐらいボーカルマイクのスイッチ入れたなかったらしいよ。最高じゃろ。
UKにいるファンとの関係はどうですか?
相思相愛って感じで真剣に付き合ってる。まだ同居してないけど、あいつらの家で歯ブラシと着替えを置いてる。
You released ‘Parachutes’ last year. How have you found the reaction to 
昨年はParachutesをリリースしたけど、アルバムへの反応はどうですか?
この数ヶ月でParachutesを引っ提げたツアーが出来てすごくラッキーだと思ってる。ファンが見守りながら曲が生命を宿すことが見れて幸せだ。地下室で曲を始めて書いた時からずっと見たかったことじゃけん、それが実現できて全ての予想を遥かに超えてた。これ以上嬉しいことないよ。
ParachutesがStomachachesのすぐ後にリリースされたけど、ふたつのアルバムはどう違うか、そしてアルバムとアルバムの間で何を学びましたか?
実は学んだことがたくさんあったよ。Stomachachesのツアー中に自分の声域とライブで無理せず歌える範囲が分かるようになった。Stomachachesがプライベートで何も考えずに作ったプロジェクトだけど、Parachutesはその正反対だ。Stomachachesの曲を聴いてるというよりは盗み聴きしてるような感覚にしたかったけど、Parachutesの曲は一発目から殴りかかるような感じにしたかった。どのようなサウンドにするかは曲次第だった。
Slam Dunk後の予定は?
さっぱり分からんな、でもそれっていいことだと思う。近い将来的に言えばたくさんのツアーと新しいEPのリリース。でも全体的に言えば、とりあえず波に乗ってどこまでいけるか見てみようと思ってる。
最後に、フェスでフランクのことをご存知ない方がいるかもしれないけど、Punktastic読者はなぜフランクのセットを見逃してはならない理由を教えてください。
ごめん、俺って中古車のセールスマンじゃないけんね。知ってる人は知ってる、知らない人はきっと知ってたらよかったのにって後悔すると思う。

【Frank】Getting Into Heaven Can Be Hell歌詞和訳

Getting Into Heaven Can Be Hell


歌詞:Frank Iero
翻訳:@frankierojapan



天国への道は地獄
Getting Into Heaven Can Be Hell

お前の神様に全てを正すようにお願いする時が近い
It's almost time to ask your god to make it right

偉大なるデザインに致命的な欠点さ
A deadly flaw in the grand design

真っ黒な心が天才を成長させる
A black heart feeds a brilliant mind

俺らってなんて多才なんだ、なんて多才なんだ
We're so well rounded, we're so well rounded

そうさ、お前は囲まれた
Yea you're surrounded

俺らのルーツは流血への欲求に根差してる
Our roots are grounded in blood lust

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死亡者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

不満だけど、気分は最高さ
I'm unsatisfied but I feel great inside

そして全てが計画どおりにいけば、
If everything goes according to plan

今夜お前がここに来ることはない
There's gonna be a lot less of you hanging around tonight

俺の目は何も見えてない
My eyes are blinded

拳をしっかりと握ってる
My fists have tightened

鼓動が興奮してる
My pulse excited

狙ったものは外さない
My aim is true

最近はみんな見失ってるって世間が言う
They say these days we've lost all sight

自分ら自身を見失ってるって世間が言う
They say we've lost ourselves

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死亡者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

汗がシャツ染み込んで行く
I feel the sweat drip down my shirt

血をどれぐらい流したらこの乾きは癒される?
How much blood to quench this thirst?

余分の血が地面に溢れていく
The overflow will soak the ground

しかし失われた命は二度と見つかることはない
But these lives we've lost we've never found

チクタク、チクチクチクタク
Tick tock, tick tick tick tock, 

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

チクタクチクタク、チクチクチクタク
Tick tock tick tock, tick tick tick tock

お前には時間がもうないぞ
Your time is running out

この血はお前の血、この血は俺の血
This blood is your blood, this blood is my blood

この愛は憎しみに煽られてる
This love is fueled by hatred

この死者数は平和をもたらしやしない
This death toll brings no peace

2017年2月24日金曜日

【Frank】Life in the Stocks Podcast

Life in the Stocks Podcast


取材:Matt Stocks
翻訳:@frankierojapan

注)ポッドキャストは豪州事故前の去年のUKツアー中に収録されたもの。収録前はイギリスにある古い教会でアコースティックライブとQ&Aを行い、新アルバムParachutesの話を語りつくしたため、ポッドキャストはFrankの過去やマイケミのお話がメイン。今回もエピソードをざっくりと翻訳(ご了承ください)

【幼少期】

ニュージャージー生まれの一人っ子。子供の頃は兄弟がすごく欲しかった、兄弟のいる友達が羨ましかった。3歳の頃に親は別居、6歳の頃に離婚。親が一緒に暮らしてたことを覚えてて、二人とも仲良くできず家は常に険悪な雰囲気だった。別居した方がお互いのためだった。主に母親と暮らしていて、週末は父親と過ごした。小中高はカトリックスクールに通って、小学生のころからカトリックスクールの教育方針やポリシーに違和感を覚えた。小5の時、カトリックの神父のイメージを悪くする映画の上映を中止するための請願書を学校側から無理矢理サインを求められて強い不信感を抱くように。自分より大きな存在を信じることができる人が羨ましかった。そういう大きな存在が実在するのなら、どんなことでも可能になるはず。死後の世界をもし証明することができたなら、どんなに素晴らしいことか。人は死後のことを気にするあまり、現実を見ようとせず周りにいる人間や地球のことを大切にしない。宗教の違いや神のために起きる戦争はいまだに絶えない。死後の世界が存在するって分かったら変わるかも。逆に何もないって分かったら戦争が無意味だって気づくかも。

【友人や遊び】

小学校はスポーツ中心だったため、友達を作るためにスポーツチームに入ったけど、興味があるから入ったというよりは一人になりたくなったから入った。自分は周りと違うことに気づいた。高校生になると自分と同じようなアウトサイダーと出会って救われた。中学校後半にギターと出会って自分のニッチを見つけてアイデンティティになった。ギターが自分に合ってると感じた。

【初バンド】

自分の初ライブはジュニア(高校3年生)リングダンスだったが、自分がまだ1年生だったためライブ後はすぐ帰ることに。ギターをやった3年生ジョン・マグワイア(のちにハムボーンと呼ばれるように)と出会ってバンドを組もうと誘われてSteve Wile and the Disco Kingsを結成。パンクやハードコアに興味を持つきっかけはNirvanaだった。そこからはたくさんのバンドを知るようになって、高校生の時に自分と同い年のキッズがNJでバンドをやってることを知って衝撃を受けた。別にSid Viciousじゃなくてもバンドを結成してローカルで活動できるという事実を知って、激安のローカルライブに行くように。人生初のライブはThe Bouncing Soulsだった。会場はNewarkのThe PipelineというNJパンクの聖地。会場はまるでピノキオに出てくる遊びの島みたいな場所で何でもアリだった。そのライブで全てが変わった。

【Mikeyとの出会い】

16才の時にPencey Prepを結成。高校卒業して、ツアーに出たのち憧れのNJレーベルEyeball Recordsにサイン。次のツアーに出たが終わったらメンバー1人が脱退して、次はドラマーも脱退してバンドが解散の危機に。その時にMikey Wayと出会った。Mikeyは大手書店Barnes and Nobleでバイトして、よくEyeball Recordsにいた。レーベルや周りのみんなに弟的な存在として慕われてた。ある日、Mikeyが兄をEyeball開催のパーティーにつれてきて、普段家から出ないような人だと周りから聞いてた。そこでGerardと出会った。GerardがPenceyのアルバムを聞いてすごく好きだと、自分もバンド始めようと思ってるけど、どうしたらいい?とアドバイスを求められた。Penceyの練習スタジオで彼らがよく練習を見に来た。GとMikeyがFrankの真面目な性格と頑張り屋さんのところが好きだった。週7で時間をかけて練習したPenceyはずっと練習スタジオにいた。Way兄弟がバンドを始めるとFrankが彼らを練習スタジオに誘って初めてMatt PelissierとRay Toroに会う。初めてマイケミを見たFrankは感激して、特別なバンドだと感じた。

Vampires Will Never Hurt Youを作曲した日も覚えてる。その日はFrankが彼らと一緒にスタジオにいて、Frankがマリファナで超絶ハイだった。すると誰かがマイケミのみんなにギターをもうひとり増やす?って聞いたら、〝入れようと思う唯一の人物は今ソファから起き上がらないほどハイになりすぎてんのさ〟と答えた。マイケミはFrankにとって大好きなバンドだったからそんな風に思ってくれてると知った時はすごく嬉しかった。人として大好きだったし、バンドとしても最高だった。メンバーとして活躍したバンドI Am A Graveyardが解散して、深夜にGerardとRayがFrankの家にきて散歩に誘った。歩きながらマイケミがアルバムを出そうと思ってるけど、ギターを増やすなら今しかないからバンドに入らないか?と聞かれて、もちろんと答えた。

マイケミとの初ライブはClub Chromeという会場で開かれた。ライブ後はEyeballの人が不安だったFrankに〝もっとうまくいくと思ったのになぁ〟という衝撃の一言を。Frankはファーストアルバムの数曲のみに参加、Early Sunsets Over MonroevilleとHoney, This Mirror Isn't Big Enough for the Two of Usは一緒に作曲した。

バンドのゾンビやヴァンパイアなどのコンセプトはもちろん好きだったけど、一番大きかったのは〝素晴らしいファッキン曲を書いた〟と思ったこと。マイケミに好き嫌いははっきりしてた。バンドが好きなのか、嫌いなのか、そのどっちかだった。ずっとそうだった。ほかのバンドと全く違うところも好きだった。

【人気絶頂期】

世代に絶大な影響を与えたなんて信じられないというよりは考えられない、違和感がある、圧倒される。Black Parade中はあまりにも世間から離れたからその影響に気づいてなかった。バンドは人気だという自覚はあったけど、その人気がどれほどの人に影響与えたか、よく分からなかった。

バンドのルーツが面白くて、Rayはメタル育ちで、MikeyとGはブリットポップ、あとGがFrankと同じパンク育ち。普段あまり混じることないジャンルが混じり合ってすごくいい塩梅に。

【Three Cheers for Sweet Revenge】

メジャーデビューする前にPenceyが使ってた練習スタジオを引き続き使ったマイケミ。どうやってそのスタジオの電話番号が分かったか分からないけど、A&R担当者から毎日のように電話が来るようになった。はぁ?なんで??みたいな。NJという場所もあって、若いバンドが次々とレーベルにサイン。しかしマイケミは長い間そういう誘いを断った。ファーストアルバムが出て、よし次のアルバムにはもっと大きなレーベルの力が必要だと判断してこれがチャンスだとワーナーブラザーズにサイン。するととある有名なプロデューサーとすぐスタジオに入って、とりあえず1曲聴かせてと。It's Not A Fashion Statement, It's A Fucking Deathwishを演奏すると、〝お前らにはまだ無理だ〟と言われた。やばい、どうすればいい?!だってもうここまで来たし!もっと早く言ってよ!と焦るマイケミがちょっと自信となくした。その後はスタジオで缶詰の日々が始まってHoward Bensonとアルバムをレコーディングすることに。FrankとHowardはしょっちゅう喧嘩したけど、それでも最高のアルバムができた。そこから爆発的に人気が出て、全てがあまりにも早すぎてかなり戸惑った。

【Green Dayとの出会い】

クレイジーだった。憧れのバンドGreen Dayとツアーができるなんて夢のようだった。楽しかったと同時にすごく勉強になった。Green Dayは大変真面目なバンドで音楽に対する思いは半端なかった。あんな小さなバンドがアリーナで燃え上がる炎など派手な演出をしててクレイジーだった。Black ParadeのことをGreen Dayに話したらRob Cavalloに話した方がいいよというアドバイスをもらった。業界関係者もたくさん紹介してくれて、おかげでRobと一緒にBlack Paradeをレコーディングすることに。〝あのアルバムは彼じゃなきゃ出来なかったと思う。素晴らしいパートナーシップだった。〟

【The Black Parade】

レコードは楽しかったか?大変だったか?

〝ん~楽しいとは言えないけど―〟すると言葉を慎重に選びながら〝振り返って見ると全てが楽しく思えるとか言うけど、あのアルバムは、俺ら1人1人が次々と壊れていった。圧倒されるほどのプレッシャーが―自らのプレッシャーだったけど―あった。Revengeを超えなきゃとか、そのような言葉はレーベルから一言も言われてなかったと思う。俺らは自分たちにプレッシャーをかけた。何をやろうとしてるかはっきりと自覚があったからこそのプレッシャーを。必死で成し遂げたい目的からくるストレスに俺らは全員正気を失っちゃった。…自分はこの目標に相応しい人間なのかという自問自答を繰り返した。つらい立場だよ。あれは2005年だったっけ?みんなはまだ若かかったし、何をしてるかまだよく分からなかったし、あんなスケールの大きいことやろうとして…途中でこれって現実なの?って思っちゃったもん。作るのに苦労したアルバムだった。でも感じたよ、このアルバムはファッキン特別だという実感を。みんな感じてた。すごく大事なことをやってるんだと。そしてそれも結局プレッシャーになった。〟

過酷なツアーはよくバンドの解散に繋がるけど、18ヶ月ものツアーから覚えてることは?

〝たぶん2年間近くツアーしてた。その2年の間にバンドメンバーが全員揃って出た公演は少ないかも。Bobが病気で休むことに、俺も病気で休むことに、祖母も亡くなって、Mikeyも帰っちゃって。レコーディング中もそうだったけど、ツアー中にも俺らは次々とダメになった。これ、本当に生き残れるんだろか?俺ら何やってんだろう?って感じだった。本当のことを言うと、あれでバンドが終わるはずだった。映画ならあの時点でエンドロールが出てたはず。よし、終わったって感じだった。でも俺はその終わった感にひどく落ち込んだ。ツアーから帰ると〝楽しかったけど、もう終わりだ〟という電話が来ると心の中で思ったっていうか、感じたというか。でも来なかった。代わりに〝新曲書こう〟という電話が。その電話がすごく嬉しかったけど、なんでまたこんなこと?という不安もあった。何よりやりたいことだったのに。そこからだよ、バンドの空気が変わったのが。Conventional Weaponsを作っては放置して、マネージメント問題が起きて、そしてやがてDanger Daysに。〟

【Conventional Weapons】

Danger Daysは意識してカラフルで明るいファンタジーのような作品に?

〝Conventional Weaponsへの反動だったな。おかしいと思うかもしれんけど、マイケミのアルバムを振り返ってみるとたぶんConventional Weaponsが一番好きだ。ちゃんとした意味でのアルバムじゃないのに。曲をちゃんとシークエンスしてアルバムにしたらきっと俺の1位になるんだろう。〟

【Reading and Leeds】

Brian Mayとプレイできて夢のような経験だった。その数日前はBrianの自宅にお邪魔してリハしたけど、信じられないような1日だった。お茶飲む?とか言われて。彼はすごく謙虚で心が綺麗で素晴らしい人だった。あのライブはキャリアのハイライトのひとつ。当時バンドの常態がよくなかったけど、ステージに上がったら過去のこと(過去にR&Lでブーイングなどされたこと)なんかどうでもよくなってさ。あのライブが再びバンドに火をつけて、解散を先延ばしにしてくれた。

【解散】

解散は大変だった?友好的だった?関係の最後はいつだってひどいってよく言うけど、どうだった?

〝俺らはできるだけ友好的にしようとしたと思う。でもまぁ、難しいよね、バンドの終わりって。時間が必要だった。今となってはお互いの言い分が理解できるし。忘れてはいけないのはバンドはBlack Paradeで終わるはずだった。しかし俺らは解散を先延ばしにした。全ては俺らのせいだ。Conventional Weaponsをやったけど、それもそれで原因のひとつだと思うし、でもなんとか乗り越えてDanger Daysを作って。そしてBrian Mayに会って解散をもっともっと先延ばしにして(笑)。それでまたやろうよ、音楽作ろうよってなったけど、バラバラになっちゃって。あの時点でバンドは生命維持装置で辛うじて生きてた。もう終わってた。〟

すぐに自分で新しい音楽を?それとも自分のために時間を?

〝面白いことに解散中にはJamesと一緒に曲を書いてた。だから俺はすぐにDeath Spellsをやることに。2人でデモ作って、ライブもちょっとやったけど、一歩引いてみて本当にこれがやりたいかどうか考えた。もう十分やったし、って思って。マイケミやったけど、もしかしたらそれだけのことだ。Death Spellsは暇な時にやっていいけど、違う仕事やってみたいかも。本を出すとか、普通の人みたいに郵便配達員になるとか、色々考えたよ。あの時点では音楽は自分の一部じゃなくて、ただ自分のやることのひとつだと勘違いしてた。そしてさっきは教会で話したけど、俺はやっと「音楽は俺なんだ」って気づいた。これしかできない、このために生まれた―音楽やクリエイトするために。〟

Death Spells少しやったらJamesがツアーやReggieのアルバムをやり始めて、自分は曲を書き始めた。当時はずっとお腹が痛くてしんどかったけど、気持ちを楽にしてくれた唯一のことが音楽を作ることだった。するとずっと友達だったマイケミのUSブッキングエージェントMattから最近何してる?って連絡が来て、曲を書いたことを言ったら聴かせてって。曲を送ると彼が「デモを人に送ってよ、音楽やりたくないのか?」自分はよく分からないと答えたら、また彼が「とりあえず送ってみてよ」って。

【Stomachaches】

妻Jamiaにツアーとかフロントマンとかできるかどうか分からない、やりたいかどうか分からないって言った。するとJamiaがやってみないと!じゃないと絶対後悔するよって。最初のツアーやその次のツアーにも、楽しいかどうか分からなかった。でもある日突然閃いた―自分がイメージした生意気なフロントマンじゃなくたっていい。やりたいようにすればいいんだ!楽しけりゃいい。すると全てが変わった。小さな会場でライブしてると、やっぱりこれだ、やりたいのはこれだって。フロントマンとしての成長を見守ってくれるファンがいるってアメイジングなことだ。感謝しても感謝しきれないんだ。だんだん慣れてきた。アコースティックライブだって、ごまかしが効かないから不安になるけど、慣れてきてる。

〝俺って最高のソングライターじゃないし、最高のシンガーじゃないし、最高のギタリストでもないけど、俺は絶対中途半端なんかじゃない。それが伝わってると思う。…やってることは全てハートから来てる、調子がよくても悪くても。キャラを演じて自分を隠したりなんかしない。俺はそういう人間じゃない。〟

【MCRX】

リリースが楽しみ。Paramore Mansionでやったことがより分かると思う。まず10年が経ってることなんて信じられない。俺らは当時の曲やデモを久しぶりに聴いて、アニバーサリー版に入れたい曲を絞った。俺はParamore Mansionでの暮らしについてのエッセイを書いたし、みんなと連絡とってよく話し合った。一緒にMCRX作れて嬉しかった。ワーナーに渡すといつの間に「あの動画」がアップされて(アニバーサリーの予告編)。俺らはあの旗が使いたかったけど、あのやりかたにはちょっと驚いた。再結成のうわさが一気に広まっちゃって、その発想も理解できるけど、熱狂的ファンが多いバンドだからたぶん何をアップしても再結成と騒ぐだろう。イライラすることじゃないよ、俺らはただファンをがっかりさせるのがイヤで、変に期待させたくないよね。ただファンのために何かしたかっただけなのにあんな大騒ぎになっちゃって申し訳ない。

再結成はいつかあると思う?

〝明日は隕石が落下して地球を滅ぼすかもよ?(笑)分からんよ。さっぱり分からんよ。恐らくないと思うけど、絶対とは言えない。分からない。とりあえず今はみんなが忙しくてさ、再結成とかそんな時間ない。〟

Rayのアルバムは最高、早く出て欲しい(取材当時はまだリリースされてなかった)。ずっと聴いてる、本当大好き。彼って才能ありすぎるよ、不安になるほど才能ありすぎ(笑)

2017年2月21日火曜日

【Frank】Kerrang!2月号掲載The Darkest Day

最も暗い一日



Frankが2016年10月のバス事故を語る


記事:Hannah Ewens
翻訳:@frankierojapan

事故当日はどんな日だった?

俺らはシドニーのパークストリートにあるTwitter事務所の前だった。アコースティックのミニライブと生のQ&Aをしてから会場に向かう予定だった。俺と義理の兄Evan(Nestor、ギター)、マネージャーのPaul(Clegg)とドラムのMatt(Olsson)がバンから降りて荷物を降ろすためにハッチバックのトランクを開けた。俺は金属製のペダルボードケースがあって―面白いことは11日間に5つのフライトに乗ったけど、俺は毎回ケースのことが気になって―だって俺の大切なペダルが全部入ってるから―必ずチェックインじゃなくて、機内に持ち込んでたんだ。結局はバスにひかれちゃったけど、中身は無事だったよ。不思議だろう?それでケースをカーブに置いてしゃがんだまま開けた。するとみんなに〝とりあえずチューナーだけ出してあとはおいていくよ〟と言おうとしたけど、〝とりあえずチューナーを…〟までしか言えなかった。その瞬間に何かがぶつけて来た。

その瞬間に何を思った?

一瞬のことだったよ、タックルされたかのように。腕の下のところにぶつけられて、気づいたら二階建ての市営バスのバンパーの下だった。俺の視点からバンとバスのバンパーの間に足が挟まれたEvanが見えた。Paulの叫び声とカッシャンという音も聞こえて。どうなってるか見ようとしたけど、ガラスの破片がぶつけてくるから顔をそむけることに。ガラスの破片が雨のように降ってきた。タイヤの衝突がいつくるかと怯えてた。

どうやって生き延びたの?

砂漠の嵐作戦に使うようなでかいミリタリーリュックを背負ってた。俺っていつも荷物を詰め込みすぎてよくバカにされるけど、あのリュックがカーブの間に挟まれて、俺の腕がバンパーの下に引っかかって、道の溝に引きずられた。バスが衝突してきた時は止まらず、俺らを3メートルぐらい引きずっと。今でもよく頭に浮かぶんだ。音とともに脳裏に焼きついてる。事故自体はほんの数秒の間の出来事だろうけど、俺にとっては20分ぐらいのことのように思えた。自分が何を感じたとか、何を思ったとか、全てのことをはっきりと覚えてる。考えたことを覚えてるよ―〝運転手ってぶつけてきたこと分かってるよね。なんでバスは止まらないんだ?先にやれるのは足か?それとも体ごとひかれるのか?もう終わりだ。〟

バスが止まってからはどうなった?

バスが止まってもガラスの破片は降り続いてた。Mattがどこにいたのか分からなかった。Paulがバンを運転してた豪州のPR担当にバンを前に出すように叫んだの聴こえて、前に出したらPaulとEvanが解放された。Paulがバンの後部に倒れて、そしてEvanが俺の前で道に倒れた。彼が〝足の感覚がない〟って言ったの覚えてる。その時は彼が生きてるって分かったけど、麻痺してるかもと思った。俺はバスの下からなんとか彼の元へ。するとPaulと、Paulの下からどんどん出てくる今まで見たことないほどの鮮やかな赤が見えた。俺はEvanの頭を抱えて、リュックをなんとか下ろして、そして彼の頭の下にジャケットを敷いた。その時にMattが来て、彼も生きてると知った。そこから人だかりが出来た。ヘリコプターが来ると誰かが言った。医者がヘリに乗ってきて、警察も来てて、そのひとりがPaulのケガを処置してた。その警察官が傷にあったとこのズボンを切って、あんなにひどい傷を見たことがない。あんなの見ると、人間がどれほど無力か実感できる。俺、サメに襲われたことないけど、同じような体験だと思うよ。バスの無表情の目だろうが、サメの無表情の目だろうが、何も出来ないまま食いちぎられるんだろうな。そのとてつもない強い力の前では抵抗できないんだ。警察官がPaulの足を縛って出血を止めようとした。それが間違いなく彼の命と足を救ったと思う。すると救急隊員がEvanのケガを処置して、俺らを救急車に乗せて様々な薬を打って病院へ。

事故直後の回復はどれぐらいかかった?

PaulとEvanに手術が必要だったため、俺らは2週間ぐらい入院した。飛行機に乗れるように豪州でリハビリを始めたけど、一番心配だったのが血栓だった。医者は席に座れるように、フライトに耐えるようにまで回復させるのは目的だ。皮肉なことに、次の日に俺らの豪州ビザが切れてさ。だから医療ビザを申し込んだが、却下された。豪州で住所がなかったけん、〝住所が病院だ〟って言って再び申し込んでみることに。そして帰国してから2日が経ったころ、またビザが却下されたっていう通知が届いた。

米国での回復は進んでる?

豪州で軽いリハビリはやったけど、帰国すると週3回の過酷なリハビリが始まった。俺は足の靭帯損傷、そして腕と肩の腱炎、筋断裂を患った。肩はうまく使えない。筋トレはすごく役に立ってて、球関節の位置を保ってる。その違いは確かに実感できる。肩にステロイドの注射をもらってるし、結構いいよ(笑)でも針のサイズが恐ろしい、あんなでかい針見たことないわ。すごくいい先生がついてるから、役に立つ薬物を打ってくれてるといいな!

【Frank】Kerrang! 2月号掲載The Heartbreak of Frank Iero

事故の核心


記事:Hannah Ewens
翻訳:@frankierojapan


今年のバレンタインデーにFrank Ieroが自分のことを誰よりも愛するUKファンのもとに戻る。昨年の10月に恐ろしい事故に遭って辛うじて命を取り留めたFrankがここまで来ることが実に奇跡に近い。ここでFrankが初めてあの日のこと、そして愛と人生、死について語る。


事故があった4ヶ月前から、Frank Ieroはあの日のことをよく考えてしまう。ぶつけてきたバスのことや衝突直後の一連の動作。全員無事生き残ったことも。〝思い出す引き金になることがあって〟とニュージャージーの自宅から話すFrank。〝最初は駐車場にいることだって辛かったよ。周りに自動車の音を聴くことも。車を見てるだけで事故のことが頭を横切る。今は車の運転が出来るまで回復したけど、たまにちょっと危ない運転に遭うとやっぱり辛くなる。しばらくはうまく眠れなくてね。ずっと頭のどこかにあるよ。そればかり考えないようにはしてるし、気にしない日もあるけど、落ち込む日もあるね。〟

昨年の10月13日に豪州でバンドThe Patienceと一緒にツアーバンの荷物を降ろしてる最中にFrankとバンドメイトとクルーが市内バスに追突。その後のニュースがイライラするほど少なく、ファンに渡った唯一の情報が重大事故があって、ケガはしてるけど命に別状はないということだけだった。次に入ったニュースはその後の2016年ツアーの全キャンセル。彼らの新アルバムParachutesが同じ月の後半にリリースされて、本来ならステージで新アルバムの曲をプレイしてるはずのFrankとバンドメイトが長くて辛い回復とリハビリに励んでた。半分は身体的な回復―入院と理学療法でケガを治すこと。しかしそれより大変だったのは心の傷を治すことだった―自分に起こったことを理解して、どう受け止めるかを。

〝事故に遭って、その後平気でいなきゃいけんって不思議なことで〟とFrankが説明する。〝精神的にたくさんの変な考えが次々と出てきて、最初は怒りが沸いてきた。あまりにも理不尽な出来事だったからね。ほかのみんなと比べてあまりケガしてないことを申し訳なく思うところもあるし。そして本当は死ぬはずだったんじゃないという圧倒される気持ちもある。事故を目撃した人はみんな俺たちが死んだと思ったんだ。豪州の医者たちに言われたよ、宝くじを二度と買うな。キミたちはもう一生の運を使い果たしたんだからって。これは俺らの第二の誕生日だ、人生をやり直すチャンスだっていう気持ちになる。俺らはここにいるはずではない、だからこそ俺らは行動すべき、体験すべき、そして世界を変えるべき。だってこんなにも素晴らしい贈り物を頂いたんだから。人が聞きたいのはそういうことだって気づいた。それに気づくって困難を乗り越えて大丈夫だってことだと思う。そう感じる自分もいる。

全てのことに理由があるという。Frankもそう思う、そして事故のことを考えるとそう信じざるを得ない。〝事故までの全てのことが俺らの生存に繋がった〟と彼は思い出す。〝トランクを開けたことによって俺らの頭を守ったことや、ペダルボードを拾うとしてしゃがんだことでバンとバスの間にじゃなくて、バンのバンパーの下に入ったことなど。とにかく全てが奇跡だった。〟

しかし前向きな考えばかりではなかった。形而上学的な一面もあったという。〝俺らって本当に生き残ったん?それとも死ぬとこうなるの?と思ってしまう自分がいる。脳は機能し続けて、もうひとつの現実を作ってるかもって。もしかしたらこれは現実なんかじゃない、死んだ体に脳が活動してるだけかもって。するとこう考え始める:何がともあれ、こんなに時間が経ってるから現実だろうが幻だろうが、これが俺の現実だ。俺はここにいる。だからなんとかしなきゃ。〟

簡単に言うと、Frankがその日に体験したのは臨死体験。FrankはKerrang!に自宅のことを想像してみてと言われる。一度も行ったことがないのに、なんとなく想像はつく―ドアや窓、壁など。彼曰く、彼の自宅が想像できるように、死も想像できる。〝死がどういうことか想像できる。〟しかしその想像はあまりにも漠然としてる。Frankと違って臨死体験をしたことがない我々の想像は間違ってる。

〝その瞬間に全てが信じられないぐらい明確でクリアになった。たくさんのことに気づいた、まだ言葉にできないこともある。命や人間、身体の儚さは驚くべきだ。人生がいかにも壊れやすくて特別なことが一瞬で分かる。瞬く間に残酷に奪われることになるなんて、目からうろこだった。死神に会って握手を交わして、そしていつかはまた会うことになると分かるって怖いことよ。と同時に、言っていいかどうか分からないけど、ちょっとがっかりだ〟と彼は言葉を選びながらゆっくり言う。〝一度だけで終わる人っているけど、俺は2回も経験しなきゃいけないってなんか不思議な気持ち。受け入れるまで時間がかかることだ。まるで未来を見ていて、避けられないことを経験したみたいだ。〟

その避けられないことにFrankが最愛の祖父を亡くしてからまだそんなに時間が経ってない。彼曰く祖父の存在は〝全て〟だった。Parachutesのインスピレーションにもなった。〝いつか自分の愛する人もこれを経験するってことに気づいた。自分はまだここにいることに感謝する自分はいるけど、もう二度とそんな経験しなくていいように、その場で終わって欲しかったっていう自分もいる。悲しい意味でとか、落ち込むような意味じゃなくてさ、ただそれが現実だ。人生に一度であるべきの経験ってあると思う。そしてこれがそんあ経験のひとつだと思う。事故前と同じ人間じゃない気がする。いや、実感できる。〟

Frankの最新サウンドに慣れてきたParachutesの中盤で、静かな音が彼の叫び声に爆発して、激しいギターとディストーションたっぷりのDear Percocet, I Don't Think We Should See Each Other Anymoreは吠える不安満載の2分ちょっと。「まだ死にたくないんだ/ただ覚えられたいだけさ/切望の目でボーっとして人生が過ぎ去っていくの見るなんでごめんだ」とFrankが叫ぶ。これもアルバムもFrankの生と死への執着心を表す。「今に生きたい」と同時に自分のレガシーを考える。アルバムのラスト9-6-15は祖父のために書いた曲、そしていつか我々の時が来ることを思い知らせてくれる。事故直前に書いたアルバムだなんてゾッとする。かろうじて一命を取り留めたためにステージで披露できなかったこのアルバム。そしてアルバムの中の葛藤とライフレッスンを再認識するきっかけになった今回の事故。なんて数奇な運命。

そう彼に伝えると〝奇妙なことじゃろ?〟と答える。〝バスのタイヤに弾かれることを待ってた瞬間に思った―最後のアルバムはずっと作りたかったアルバムでよかった。なんだかホッとした。〟

Kerrang!が昨年の9月にFrankを取材した時、彼がアルバムタイトルのParachutesをこう説明してくれた―〝愛すること、喜びや幸せを感じさせてくれることが俺らを救ってくれる。〟だったらFrankのパラシュートは何だ?ひとつの答えは妻Jamiaと3人の子供―双子の娘CherryとLily、そして息子Miles。事故を経験して、自分の父親としてのあり方、そして夫としてのあり方を考え直すきっかけになった。

〝本当に大切なのは何だとか気づく時、以前大事だと思ったことがもしかしたらそんなに大事じゃないかもって。回復って不思議な生き物よ。あえて言うとワガママになっちゃいけん時がある。少しは自分の心配をしないと、完全回復できないし、なりたい父親や夫にもなれない。でも家族関係からいうと、言葉にするのは難しいけど、その変化は毎秒感じてる。

豪州で何があったか、まだ子供たちに話してない―まだ幼いからだという。家族の大切さをより一層実感したFrankにとって、ツアー中に家族と離れることが簡単ではないにも関わらずUKとヨーロッパのツアーがどんどん近づいてる。〝子供に言ったらは言ったで余計に怖がらすことだけになる。だから子供たちは俺がツアーに出ることを心配してなくてよかった〟とFrankは言う。〝でも個人的にはまだ(ライブが)できるかどうか知りたかった。この生活しか知らない、やったことない。俺を人間として成長させた。それに好きなことだ。嫌いという気持ちより55%好きなんだ〟と笑う。〝戦いもせずにその人生の一部が奪われるなんてごめんだ。そうはさせないぞ、と。それに今回のアルバムはもっとも誇りに思ってるアルバムだから、アルバムの曲を生で弾かないなんて絶対永遠に後悔するって思って。〟

Taking Back Sundayのサポートとして参加する今回のツアーのUKライブは1年でもっともロマンチックな日、バレンタインデーにスタート。しかしそんな特別な日は家族と一緒に過ごせないことは特に気にしてないみたい。〝1日だけ愛情を表すなんて俺のスタイルじゃない。毎日表すべきだ。〟彼にとって、愛情表現とは〝大切にされてること、愛されてることをどんな時にでも見せてあげること。認めるかどうか別として、人って愛されたいんだ。無条件で本当の自分を受け入れて愛してくれる人を求めてる。〟

Frankは若い頃からそのような無条件な愛を知った。〝俺と妻の場合、運命の人だとかなり早い段階で分かった。若かったから、まだ成長が必要だと分かったし、19才で結婚するわけじゃなかったし。でも同時に、普段人をイライラさせるようなことが俺らの人生に頻繁に起こるって分かり切った。そういうことが起きると「これって別れるほどのことか?」とお互いに聞いた。そうじゃなかったら忘れろ。それが俺らにとって大事なことだった。もちろん俺らも人間だから、色々あったけどさ、でもやっぱり最初から「これだ、これは本物だ」という実感はあった。ベタに聴こえるかもしれないけど、本当のことだからベタなんだ:運命の人に会うとまるで爆発のようですぐに分かるんだ〟と彼は微笑む。〝出会わない人もいるかもしれないし、ずれたタイミングで出会うかもしれない。でもその出会いをしっかりと大切にして難しい時も乗り越えようとしたら、美しくて甲斐のある人生を一緒に作れるよ。〟

そしてもうひとつの愛がある。それは音楽への愛。〝あ~〟と笑うFrank。〝あれはめったに返してくれない愛なんだよね。無条件でロマンチックな愛っていうよりは依存症みたいな愛だと思う。ハイをじっくり味わって、ローを憎む。でもやっぱり音楽の元に戻るんだよね。時には神のような気分にしてくれたり、またある時は精神を破壊する。うまく付き合ってキャリアにできるすごい人はいるけど、依存に溺れて人生を台無しにする人も。他のことと比べ物にならないよ。〟

幸せになるためには両方が必要かと聞かれたら、答えははっきり〝イエス〟だ。〝家族がいなきゃ人生に絶対に満足してないと思う。そしてクリエイティブなことをしてないと人間として満足してないと思うね。〟

Frankに釣り合いがある。しかし障害物もある。家族と離れることだけではない、ギターを弾くことだ。彼はリハビリで今まで何気なくこなした基本中の基本のことを一から学び直すことに。〝ギター的にはプレイスタイルが変わったような気がする、持ち方だって違う〟と告白する。〝できることを最大限にして、感じる痛みを最小限にしようとしてる。〟

練習とフラストレーションと上達の繰り返し。しかしThe Patienceの初ライブまではいけるかどうか分からない。

ニュージャーシーのStarland Ballroom、土曜日。Circa Surviveはライブの準備を着々と進めてる。しかし本番前には見知らぬバンドAerosniffがサポートとして出る。最悪の場合?ローカルなエモバンド。最高の場合?風邪気味のAerosmith。そしてパンクロックを派手に演奏したあと、Aerosniffが正体(Frank Iero and the Patience)を明かす。しかも誰も気にしてない。しかしバンドは違う―だって事故後の初ライブだ。

次の日―最初のKerrang!取材から48時間後―Frankは超ご機嫌。〝どうせ頭の中の悪魔が出るんだから、本番じゃない時に出すがいい〟と笑う。次の週末はみんなが思ったFIATP事故後の初ライブ。ニュージャージーにある小さなMonty Hallでのビッグカムバック。本当はバンドを愛するファンと一緒に汗だくになりながらのウォームアップライブをやりたかったけど、必要だったのは良くも悪くもどうなってもいいような匿名ライブだった。〝俺にとってはすごくワガママなことだった。ギブ・アンド・テイクみたいなライブもある―観客と同じぐらい楽しめるようなライブをね。でも昨日のライブは―失礼な言い方だが―観客はどうでもよかったんだ。ステージに上がった俺ら4人が全てだった。刺激的だったよ。その日がとても不思議でさ。事故についての感情がどれだけ自分の演奏に繋がってるかは昨日まで分からんかった。俺はやっと再びステージに立つことが自分にこんなにも影響してくるなんて気づいてなかった。まさかステージに立つことがこんなにも事故と事故についての気持ちに繋がってるとはね。回復とダウンタイムの終わりを意味した。大変だったし、エモーショナルだったけど、最後の最後には大成功って感じだった。〟

痛みという問題もあった。ちゃんと弾けるかどうか、納得できるような弾き方ができるかどうか分からなかったという。〝痛かったけど、まだ我慢できるほどだった。もうできないことってあるんだなって実感したこともあった。それが今後どうなることやら。ツアーに出るってことは毎晩プレイしなきゃいけないけど、体の調子は2日目や3日目でやっと実感できるからちょっと不安よね。でも今は前向きに考えてる。完全によくにはならないかもしれんけど、ちょっと変わるだけって考えればいいんだ。やってみないと分からんからね。〟

ツアーというのは新譜の曲をやっとライブで披露するということでもある。〝ライブセットをWorld Destroyerでスタートすることを毎晩のように想像してた。観客の前ではどう変わるか、とか。だからやっと披露することができて最高だよ。実現できたって素晴らしい気分だ。〟

しかし2017年の予定はまだ完全に決めていない。〝ギター弾けなくて、そして弾いてみると痛いし、無理だと思ってた。やっと帰国した時、音楽の世界がとつもなく遠く感じてて、だからどうなるか分からない。〟彼の作曲作詞は相変わらず続いてるけど、事故や事故の影響について書くことにまだ違和感を感じるという。〝アートやアルバムを作り終わるとその作品のコントロールを譲ることになる〟とFrankが説明。〝アルバムが成長して独立する―世界の中で生きていく。少しは話せるようになったけど、とりあえず今は事故のことがまだ俺の頭の中に閉じ込まれてる。完全に俺のもので、俺が完全にコントロールしてる。でも事故について曲やアルバムを書いたり歌ったりするとそのコントロールを失うことになるから怖いんだ。〟

とりあえずKerrang!は初めてのシークレットライブが大成功したことを嬉しく思ってる。〝俺も!〟とFrankが笑う。〝じゃなきゃ落ち込んでたんだろうな。うまくいかなかったらなんてひどいオチなんだ―最悪だった!もう二度とやりたくない!なんてね。〟

Parachutesのリリース直後にFrankがこんなことをブログにアップした―〝人生もそう。俺らはみんなやがてやってくる最期へと落下している、あるいは急降下している。しかし家族の愛情と音楽やアートが作れることがずっと俺のパラシュートになってくれた…このアルバムは俺のパラシュートのひとつだ。〟楽しみにしてたこのアルバムを楽しくプレイして、シェアするべきこのアルバムをやっとシェアして、そしてアルバムに潜んでた悪魔を追い払うことで無事の着地に必要な最後のパラシュートが開いたのかもしれません。

2017年2月14日火曜日

【DS】Going Off Track Podcast面白話ピックアップ

【フランクの初ジュースクレンズ】

(ジュースクレンズとは固形物を食べず、野菜やフルーツ100%のジュースを2日~6日ぐらい飲むという健康法。コーヒーもお酒も×)

Riot FestのDS&FIATPダブルヘッダーライブや海外ライブ、国内ライブ続きの超ハードスケジュールの一ヶ月をこなしてやっと帰宅したフランクの体がもうぼろぼろ。声が出ない、体も動かない常態だった。次の火曜日からの豪州ツアーに備えて、健康を取り戻そうとしてジュースクレンズを決意。まずはインフルエンザの予接種を打って、そしてツアーの影響でまだ具合が悪いにも関わらず3日のジュースクレンズを決行。二日で4キロも痩せて、妻に〝ダイナーに連れて行くけんちゃんと食え!〟と心配されるほどだった。クレンズ中に急に熱くなったり、寒くなったり、汗が止まらなかったりとまるでジャンキー(ヤク中)だった。コーヒーとお酒禁止が一番辛かったらしい。

【ジェームズの初Emo Night】

Emo NightというイベントにDJとして始めて参加したジェームズ。イメージしてたエモミュージック(Promise Ring、Hot Water Musicなど)流したら大ブーイングされて、更にMCRのバンT着てたキッズに中指立たれて、〝おい!お前もブーイングするか!〟って。イベント前は90年代、00年初頭のエモを中心にと言われて、〝専門分野といってもいいぐらいだ!〟って喜んだジェームズ。イベントはWebster Hallの地下で開催されて、エモナイトの前に会場を使ったバンドが40分もオーバーしてしまって、大丈夫、絶対0時までには終わるよといわれたジェームズが車を0時までに駐車スペースに駐車したが、バンドのオーバーにより0時に帰ることが不可能に。エモナイトのトップバッターとして1時間DJする予定だった。ステージに上がるとエモナイトの観客が続々と入るけど、かなり若い。思ってた以上に若いキッズがどんどん入ってくる。キッズが〝Boy Sets Fire!やった!〟と喜ぶようには見えないと不安になってきたジェームズだったが、とりあえず自分が組んだセトリどおりにHot Water MusicとBoy Sets Fireを流す。すると観客が中指立てたり、頭を横に振ったり、怒りに満ちた目線で睨んだりして、急遽Brand Newを流してみると観客が大盛り上がり。

1時間のセットが終わると、ステージに他のDJの機材がまったくないということに気づいた。事前に機材のこと何も言われてなかったため、自分の機材を持ってきたが、それしかなかったので仕方なくほかのDJもジェームズの機材を使うことに。しかし帰らないちいけないジェームズが最後のDJに帰ることを伝えると、〝いいよいいよ!スマホにDJのアプリ入ってるから!〟とスマホを接続してスマホからTaking Back SundayやBrand New、Newfound Glory流し始めて、観客が更に大盛り上がり。面白いことに、ジェームズがNewfound Gloryでキーボードをやったことあって、参加した曲を流してた。〝キッズに言おうと思ったけど、絶対誰も興味ないだろうなって。さぁさぁ子供たちよ、どうぞ歌って~って感じ。…観客より16歳も年上っておかしいし、自分がエモジジイみたいな扱いされるし…〟

【The Black Parade 10周年】

(フランク)MCRが伝説のロックバンド(クラッシクロックバンド)扱いされてることに違和感を感じる。カバーCDが出たり、雑誌の表紙にちょこっと出たりとか。10年でクラッシックバンドになれるのか?まだ早いのでは?っていうか、本当にクラッシクバンドなの?考えるだけでなんか違和感ある。

(ジェームズ)なんか前世の話みたいよね。

(フランク)自分が観た映画みたいな感覚だ。

【MCRのベトナム公演】

(ジェームズ)ベトナムでアメリカ出身のバンドがライブをしたは30年ぶりだった(2008年のこと)。MCRがベトナム政府に招待されて、ホーチミンスタジアムでライブを。政府関係者も来て、ステージより大きいホーチミンの巨大写真が飾られたし、政府のお偉いさんたちがプライベートテラス席から観賞してたし、ホーチミン市民も無料で入った。スタジアム自体もこのライブだけのために作られた。ライブが終わると花束をもらって、強制的にステージで手を繋いでお辞儀をすることに。非現実的っていうか不思議なライブだった。

【RZA】

RZAが監督を務めた映画Man With the Iron Fistsに楽曲提供をしたことがあって、エンドロールにフランクとジェームズの名前にスペルミスがあった。フランクによくあることだが、名前がFrank Leroに。

(ジェームズ)ザ・RZAとご飯食べに行って最高にアメイジングだった。ロスのシャレたすし屋さんで食べた。

(フランク)彼がさ、片手を挙げて〝これがピーナツバターだとして〟そしてもう片手を挙げて〝それでこれがジャムだ〟すると両手を合わすとテーブルに座ってたみんなが〝オーーー!〟って。

(ジェームズ)彼の喋り方はラップのやり方と一緒、だから喋ってるっていうよりはラップしてるって感じ。

(フランク)俺、大ファンじゃけんたまらんかったよ。

(ジェームズ)空手映画や韓国の復讐映画の話をしたけど、彼は本当に詳しいよ。…最後の格闘シーンに使う曲を依頼されて快諾。サウンドトラック担当の方から曲のイメージを送られて、それをベースにした曲を(フランクと)一緒に作った。面白いことにその担当の人に会ったことが一度もない。でも出来上がった曲は映画にぴったりだぜ。デモはいくつか作って、ひとつのデモでフランクが叫んでるし、自分はドラムなどやって、ギターはレイトロが。基本的には自分、レイ、とフランクの共同作。試写会は山の上に住んでたどっかのハリウッドお偉いさんの豪邸で開かれて、豪邸の中に映画館があった。…なぜがGerard Butlerも参加してて、Leonidas!って興奮。映画自体は格闘映画好きなら絶対好きだと思う、RZAがよくやった。曲が使われたシーンを見ると興奮して、そしていよいよエンドロールだ。実はその前は友人からメールが来て、〝これってお前か?お前の名前にめっちゃ近いし、MCRの人の名前も出たんだけど名前のスペルがおかしいぜ。〟スペルがJame Dewesとか。どうやってその名前になったのかさっぱり分からん。そしてフランクはたぶんFrank Leroだったんだね。ほかのメンバーの名前に何の問題なかったのに。

(フランク)名前はエスニックすぎるよ、きっと。

(ジェームズ)RZAとご飯食べただけで充分満足だ。…今RZAがやってるツアーは映像に音楽を付けることだけど、DSも同じことやってる。ねぇRZA!一緒にツアーしようよ!お金ちょうだい!

(フランク)(RZAの声で)〝これがRZAだとして、それでこれがDSだ〟

(全員)オーーー!

(ジェームズ)その通りだフランク!Lero!

【大人はつらいぜ】

(ジェームズ)若い頃は消費税や税金の支払いなんて考えてなかったけど、今となってはそればかり。音楽を仕事にしようと思うとかなり難しい。訳の分からないエンターテインメント税あったり。まぁでも政府が俺を刑務所に放り投げるより、ちゃんと協力的なのは嬉しいこと。

【Twitterと若い世代】

(フランクがMCの1人のツイートをRTしたらものすごい反響があった。Twitterの巨大ファンベースについてはどう思う?)

(フランク)あまり考えないことにしてる。夏にカリフォルニアでレコーディングしてた時、Gとコーヒーを飲みに行った。彼と話したのはソロのライブにかなり若いキッズが来るって違和感あるっていうか不思議っていうか。12歳とか13歳とかよ?MCRやReggieのバンTを着てさ。そして彼らがこの発見したばかりの音楽が自分の人生を変えたとか言うんよ。信じられないよ、MCRがまだまだ若い世代に発見されてるって。…非現実感はあるけど、嬉しいのは嬉しいよ。俺らのアートがまだ生きてる、まだ成長してるって。現代ミュージシャンと同時に〝クラシック〟ミュージシャンであることはちょっと変な感じだけど。

【ライブ前にキャンプする勇者】

(ジェームズ)ライブ前に会場でキャンプする人に量ってすごいよね

(フランク)俺は一度もやったことない。…若い頃にライブに行ったら、最前列で観たいなら8時間前に着いても2分前に着いても関係ない、本当に最前列に行きたいのならどうにかして行った。しかし最近はキャンプしたキッズは最前列にいて、まるでカーストシステムみたいでほかのキッズを最前列に絶対通さない。俺らはキャンプした、ここは俺らの領土だ!それが俺にとって新しいシステムだ。だって押し通せばいいじゃん?って思うだろ?違う。そんなのさせんって。最前列組みの団結力はすごくて、番号をつけて順位をアピール。

(ジェームズ)バーミングハムでライブやった時はちょっと治安の悪い場所でライブやったから会場関係者から〝ここは治安悪いから13歳のキッズがストリートで寝泊りするよな場所じゃないよ!〟って言われた。でも少なくても大勢いるからちょっとはマシかな。

(フランク)くそタフよね。

(ジェームズ)悪いやつらが来ても〝おい!お前の財布よこせ…って、あれ?なんだこれ?!人数多すぎるだろ!なんだこの黒アイライナーのギャングは!お前らは俺よりも犯罪者っぽいじゃないの!〟

(フランク)俺はキッズに尊敬しかないよ。この年齢であんなの無理じゃ。…どんなバンドだって絶対しないと思う。先日は子供たちがリビングでキャンプしよう!って。床の上で寝袋で寝てさ。〝頭でもおかしくなったん?何のためにベッドがあると思っとん?なんでキャンプする必要が??〟って。それでもやったけど、死にたくなるぐらいつらかった。もう二度としない。一回父とキャンプしたことあるけど、お互い殺したくなったぐらいだったよ。(キャンプ)最悪だよ。なんで家を買ったと思う?家を買ったのは二度と外で寝たくないからじゃ!おうちが大好きだ!

【コーヒー】

(ジェームズ)コーヒーはカフェイン摂取のためにある。別に味わおうとしてない。20分も待ってちゃんと抽出なんてありえない、待ってらんない。バンドメイトがすごく上質なコーヒー豆を使ってコーヒーを淹れてくれたことがあるけど、できてすぐクリームと砂糖をいれたら〝何してんの!台無しにしたじゃない!〟と怒られたことが。…スタバのアイスバニララテとか飲んでるとバンドメイトにバカにされる。…スタバが世界中にあるって本当嬉しいよ。

2017年2月8日水曜日

【MCRX】Disenchanted (Live Demo)歌詞和訳

Disenchanted (Live Demo)



歌詞:My Chemical Romance

翻訳:@postmcrjapan




You're just a sad song with nothing to say
お前はただ無意味な悲しい歌だけ
About a lifelong wait for a hospital stay
生涯にわたるの入院待ちの歌さ
And if you think that I'm wrong
そして俺が間違ってると思うなら
It never meant nothing to you
お前にとって何の意味もなかったことだったんだな


I waited so long for someone to say
人が言ってくるのずっと待ってた
If you could hold on, I'd maybe get you to stay
もう少し頑張ってくれれば、残るように説得できたかも
If you believe that I'm gone
俺はもういないと信じてるなら
This never meant nothing to you
お前にとって何の意味もなかったことだったんだな



You're just a sad song with nothing to say
お前はただ無意味な悲しい歌だけ
About a lifelong wait for a hospital stay
生涯にわたるの入院待ちの歌さ
If you believe that I'm gone
俺はもういないと信じてるなら
This never meant nothing to you
お前にとって何の意味もなかったことだったんだな



If you would hold on and give me a say
ちょっと待ってくれれば、俺の言い分聞いてくれ
You get the hard parts, or maybe just the mistakes
お前には難しい部分を、それか間違いだけをやらせよう
Maybe we'll just shut up and play
それともみんな黙ってプレイするか
We never did, we never do, you never do, we--

でもそうしなかった、いつもそうしない、お前はそうしない―


You're just a sad song with nothing to say
お前はただ無意味な悲しい歌だけ
About a lifelong wait for a hospital stay
生涯にわたるの入院待ちの歌さ
If you believe that I'm gone
俺はもういないと信じてるなら
This never meant nothing to you
お前にとって何の意味もなかったことだったんだな



If you would hold on and give me a say
ちょっと待ってくれれば、俺の言い分聞いてくれ
You get the hard parts, or maybe just the mistakes
お前には難しい部分を、それか間違いだけをやらせよう
Maybe we'll just shut up and play
それともみんな黙ってプレイするか
We never did, we never do, you never did nothing at all--
でもそうしなかった、いつもそうしない、お前はいつも何もしなかった―



Go away
出て行け
Just go, go away
もういい、出て行け
But where did you run to?
でもどこに逃げたんだ?
Where did you hide?
どこに隠れたんだ?
Go find another way
別の道を見つけてこいよ
Yesterday
昨日・・・

And when you go, run so hard
そして行くなら、必死で走れ
And when you scream, scream so soft
叫ぶなら、小さな声で叫べ
But where did you run to?
でもどこに逃げたんだ?
Where did you hide?
どこに隠れたんだ?
You'll find another way
お前なら別の道見つけるさ
Yesterday
昨日・・・



If you would hold on and give me a say
ちょっと待ってくれれば、俺の言い分聞いてくれ
You get the hard parts, or maybe just the mistakes
お前には難しい部分を、それか間違いだけをやらせよう
Maybe we'll just shut up and play
それともみんな黙ってプレイするか
We never did, they never do, we never did we--
でもそうしなかった、あいつらはいつもそうしない、いつもそうしなかった―



You're just a sad song
お前はただの悲しい歌さ
You're just a sad song
お前はただの悲しい歌さ
You're just a sad, sad, sad, sad, sad song
ただのめちゃくちゃ悲しい歌なのさ
You sad motherfucker
この悲しいマザーファッカー