2017年2月24日金曜日

【Frank】Life in the Stocks Podcast

Life in the Stocks Podcast


取材:Matt Stocks
翻訳:@frankierojapan

注)ポッドキャストは豪州事故前の去年のUKツアー中に収録されたもの。収録前はイギリスにある古い教会でアコースティックライブとQ&Aを行い、新アルバムParachutesの話を語りつくしたため、ポッドキャストはFrankの過去やマイケミのお話がメイン。今回もエピソードをざっくりと翻訳(ご了承ください)

【幼少期】

ニュージャージー生まれの一人っ子。子供の頃は兄弟がすごく欲しかった、兄弟のいる友達が羨ましかった。3歳の頃に親は別居、6歳の頃に離婚。親が一緒に暮らしてたことを覚えてて、二人とも仲良くできず家は常に険悪な雰囲気だった。別居した方がお互いのためだった。主に母親と暮らしていて、週末は父親と過ごした。小中高はカトリックスクールに通って、小学生のころからカトリックスクールの教育方針やポリシーに違和感を覚えた。小5の時、カトリックの神父のイメージを悪くする映画の上映を中止するための請願書を学校側から無理矢理サインを求められて強い不信感を抱くように。自分より大きな存在を信じることができる人が羨ましかった。そういう大きな存在が実在するのなら、どんなことでも可能になるはず。死後の世界をもし証明することができたなら、どんなに素晴らしいことか。人は死後のことを気にするあまり、現実を見ようとせず周りにいる人間や地球のことを大切にしない。宗教の違いや神のために起きる戦争はいまだに絶えない。死後の世界が存在するって分かったら変わるかも。逆に何もないって分かったら戦争が無意味だって気づくかも。

【友人や遊び】

小学校はスポーツ中心だったため、友達を作るためにスポーツチームに入ったけど、興味があるから入ったというよりは一人になりたくなったから入った。自分は周りと違うことに気づいた。高校生になると自分と同じようなアウトサイダーと出会って救われた。中学校後半にギターと出会って自分のニッチを見つけてアイデンティティになった。ギターが自分に合ってると感じた。

【初バンド】

自分の初ライブはジュニア(高校3年生)リングダンスだったが、自分がまだ1年生だったためライブ後はすぐ帰ることに。ギターをやった3年生ジョン・マグワイア(のちにハムボーンと呼ばれるように)と出会ってバンドを組もうと誘われてSteve Wile and the Disco Kingsを結成。パンクやハードコアに興味を持つきっかけはNirvanaだった。そこからはたくさんのバンドを知るようになって、高校生の時に自分と同い年のキッズがNJでバンドをやってることを知って衝撃を受けた。別にSid Viciousじゃなくてもバンドを結成してローカルで活動できるという事実を知って、激安のローカルライブに行くように。人生初のライブはThe Bouncing Soulsだった。会場はNewarkのThe PipelineというNJパンクの聖地。会場はまるでピノキオに出てくる遊びの島みたいな場所で何でもアリだった。そのライブで全てが変わった。

【Mikeyとの出会い】

16才の時にPencey Prepを結成。高校卒業して、ツアーに出たのち憧れのNJレーベルEyeball Recordsにサイン。次のツアーに出たが終わったらメンバー1人が脱退して、次はドラマーも脱退してバンドが解散の危機に。その時にMikey Wayと出会った。Mikeyは大手書店Barnes and Nobleでバイトして、よくEyeball Recordsにいた。レーベルや周りのみんなに弟的な存在として慕われてた。ある日、Mikeyが兄をEyeball開催のパーティーにつれてきて、普段家から出ないような人だと周りから聞いてた。そこでGerardと出会った。GerardがPenceyのアルバムを聞いてすごく好きだと、自分もバンド始めようと思ってるけど、どうしたらいい?とアドバイスを求められた。Penceyの練習スタジオで彼らがよく練習を見に来た。GとMikeyがFrankの真面目な性格と頑張り屋さんのところが好きだった。週7で時間をかけて練習したPenceyはずっと練習スタジオにいた。Way兄弟がバンドを始めるとFrankが彼らを練習スタジオに誘って初めてMatt PelissierとRay Toroに会う。初めてマイケミを見たFrankは感激して、特別なバンドだと感じた。

Vampires Will Never Hurt Youを作曲した日も覚えてる。その日はFrankが彼らと一緒にスタジオにいて、Frankがマリファナで超絶ハイだった。すると誰かがマイケミのみんなにギターをもうひとり増やす?って聞いたら、〝入れようと思う唯一の人物は今ソファから起き上がらないほどハイになりすぎてんのさ〟と答えた。マイケミはFrankにとって大好きなバンドだったからそんな風に思ってくれてると知った時はすごく嬉しかった。人として大好きだったし、バンドとしても最高だった。メンバーとして活躍したバンドI Am A Graveyardが解散して、深夜にGerardとRayがFrankの家にきて散歩に誘った。歩きながらマイケミがアルバムを出そうと思ってるけど、ギターを増やすなら今しかないからバンドに入らないか?と聞かれて、もちろんと答えた。

マイケミとの初ライブはClub Chromeという会場で開かれた。ライブ後はEyeballの人が不安だったFrankに〝もっとうまくいくと思ったのになぁ〟という衝撃の一言を。Frankはファーストアルバムの数曲のみに参加、Early Sunsets Over MonroevilleとHoney, This Mirror Isn't Big Enough for the Two of Usは一緒に作曲した。

バンドのゾンビやヴァンパイアなどのコンセプトはもちろん好きだったけど、一番大きかったのは〝素晴らしいファッキン曲を書いた〟と思ったこと。マイケミに好き嫌いははっきりしてた。バンドが好きなのか、嫌いなのか、そのどっちかだった。ずっとそうだった。ほかのバンドと全く違うところも好きだった。

【人気絶頂期】

世代に絶大な影響を与えたなんて信じられないというよりは考えられない、違和感がある、圧倒される。Black Parade中はあまりにも世間から離れたからその影響に気づいてなかった。バンドは人気だという自覚はあったけど、その人気がどれほどの人に影響与えたか、よく分からなかった。

バンドのルーツが面白くて、Rayはメタル育ちで、MikeyとGはブリットポップ、あとGがFrankと同じパンク育ち。普段あまり混じることないジャンルが混じり合ってすごくいい塩梅に。

【Three Cheers for Sweet Revenge】

メジャーデビューする前にPenceyが使ってた練習スタジオを引き続き使ったマイケミ。どうやってそのスタジオの電話番号が分かったか分からないけど、A&R担当者から毎日のように電話が来るようになった。はぁ?なんで??みたいな。NJという場所もあって、若いバンドが次々とレーベルにサイン。しかしマイケミは長い間そういう誘いを断った。ファーストアルバムが出て、よし次のアルバムにはもっと大きなレーベルの力が必要だと判断してこれがチャンスだとワーナーブラザーズにサイン。するととある有名なプロデューサーとすぐスタジオに入って、とりあえず1曲聴かせてと。It's Not A Fashion Statement, It's A Fucking Deathwishを演奏すると、〝お前らにはまだ無理だ〟と言われた。やばい、どうすればいい?!だってもうここまで来たし!もっと早く言ってよ!と焦るマイケミがちょっと自信となくした。その後はスタジオで缶詰の日々が始まってHoward Bensonとアルバムをレコーディングすることに。FrankとHowardはしょっちゅう喧嘩したけど、それでも最高のアルバムができた。そこから爆発的に人気が出て、全てがあまりにも早すぎてかなり戸惑った。

【Green Dayとの出会い】

クレイジーだった。憧れのバンドGreen Dayとツアーができるなんて夢のようだった。楽しかったと同時にすごく勉強になった。Green Dayは大変真面目なバンドで音楽に対する思いは半端なかった。あんな小さなバンドがアリーナで燃え上がる炎など派手な演出をしててクレイジーだった。Black ParadeのことをGreen Dayに話したらRob Cavalloに話した方がいいよというアドバイスをもらった。業界関係者もたくさん紹介してくれて、おかげでRobと一緒にBlack Paradeをレコーディングすることに。〝あのアルバムは彼じゃなきゃ出来なかったと思う。素晴らしいパートナーシップだった。〟

【The Black Parade】

レコードは楽しかったか?大変だったか?

〝ん~楽しいとは言えないけど―〟すると言葉を慎重に選びながら〝振り返って見ると全てが楽しく思えるとか言うけど、あのアルバムは、俺ら1人1人が次々と壊れていった。圧倒されるほどのプレッシャーが―自らのプレッシャーだったけど―あった。Revengeを超えなきゃとか、そのような言葉はレーベルから一言も言われてなかったと思う。俺らは自分たちにプレッシャーをかけた。何をやろうとしてるかはっきりと自覚があったからこそのプレッシャーを。必死で成し遂げたい目的からくるストレスに俺らは全員正気を失っちゃった。…自分はこの目標に相応しい人間なのかという自問自答を繰り返した。つらい立場だよ。あれは2005年だったっけ?みんなはまだ若かかったし、何をしてるかまだよく分からなかったし、あんなスケールの大きいことやろうとして…途中でこれって現実なの?って思っちゃったもん。作るのに苦労したアルバムだった。でも感じたよ、このアルバムはファッキン特別だという実感を。みんな感じてた。すごく大事なことをやってるんだと。そしてそれも結局プレッシャーになった。〟

過酷なツアーはよくバンドの解散に繋がるけど、18ヶ月ものツアーから覚えてることは?

〝たぶん2年間近くツアーしてた。その2年の間にバンドメンバーが全員揃って出た公演は少ないかも。Bobが病気で休むことに、俺も病気で休むことに、祖母も亡くなって、Mikeyも帰っちゃって。レコーディング中もそうだったけど、ツアー中にも俺らは次々とダメになった。これ、本当に生き残れるんだろか?俺ら何やってんだろう?って感じだった。本当のことを言うと、あれでバンドが終わるはずだった。映画ならあの時点でエンドロールが出てたはず。よし、終わったって感じだった。でも俺はその終わった感にひどく落ち込んだ。ツアーから帰ると〝楽しかったけど、もう終わりだ〟という電話が来ると心の中で思ったっていうか、感じたというか。でも来なかった。代わりに〝新曲書こう〟という電話が。その電話がすごく嬉しかったけど、なんでまたこんなこと?という不安もあった。何よりやりたいことだったのに。そこからだよ、バンドの空気が変わったのが。Conventional Weaponsを作っては放置して、マネージメント問題が起きて、そしてやがてDanger Daysに。〟

【Conventional Weapons】

Danger Daysは意識してカラフルで明るいファンタジーのような作品に?

〝Conventional Weaponsへの反動だったな。おかしいと思うかもしれんけど、マイケミのアルバムを振り返ってみるとたぶんConventional Weaponsが一番好きだ。ちゃんとした意味でのアルバムじゃないのに。曲をちゃんとシークエンスしてアルバムにしたらきっと俺の1位になるんだろう。〟

【Reading and Leeds】

Brian Mayとプレイできて夢のような経験だった。その数日前はBrianの自宅にお邪魔してリハしたけど、信じられないような1日だった。お茶飲む?とか言われて。彼はすごく謙虚で心が綺麗で素晴らしい人だった。あのライブはキャリアのハイライトのひとつ。当時バンドの常態がよくなかったけど、ステージに上がったら過去のこと(過去にR&Lでブーイングなどされたこと)なんかどうでもよくなってさ。あのライブが再びバンドに火をつけて、解散を先延ばしにしてくれた。

【解散】

解散は大変だった?友好的だった?関係の最後はいつだってひどいってよく言うけど、どうだった?

〝俺らはできるだけ友好的にしようとしたと思う。でもまぁ、難しいよね、バンドの終わりって。時間が必要だった。今となってはお互いの言い分が理解できるし。忘れてはいけないのはバンドはBlack Paradeで終わるはずだった。しかし俺らは解散を先延ばしにした。全ては俺らのせいだ。Conventional Weaponsをやったけど、それもそれで原因のひとつだと思うし、でもなんとか乗り越えてDanger Daysを作って。そしてBrian Mayに会って解散をもっともっと先延ばしにして(笑)。それでまたやろうよ、音楽作ろうよってなったけど、バラバラになっちゃって。あの時点でバンドは生命維持装置で辛うじて生きてた。もう終わってた。〟

すぐに自分で新しい音楽を?それとも自分のために時間を?

〝面白いことに解散中にはJamesと一緒に曲を書いてた。だから俺はすぐにDeath Spellsをやることに。2人でデモ作って、ライブもちょっとやったけど、一歩引いてみて本当にこれがやりたいかどうか考えた。もう十分やったし、って思って。マイケミやったけど、もしかしたらそれだけのことだ。Death Spellsは暇な時にやっていいけど、違う仕事やってみたいかも。本を出すとか、普通の人みたいに郵便配達員になるとか、色々考えたよ。あの時点では音楽は自分の一部じゃなくて、ただ自分のやることのひとつだと勘違いしてた。そしてさっきは教会で話したけど、俺はやっと「音楽は俺なんだ」って気づいた。これしかできない、このために生まれた―音楽やクリエイトするために。〟

Death Spells少しやったらJamesがツアーやReggieのアルバムをやり始めて、自分は曲を書き始めた。当時はずっとお腹が痛くてしんどかったけど、気持ちを楽にしてくれた唯一のことが音楽を作ることだった。するとずっと友達だったマイケミのUSブッキングエージェントMattから最近何してる?って連絡が来て、曲を書いたことを言ったら聴かせてって。曲を送ると彼が「デモを人に送ってよ、音楽やりたくないのか?」自分はよく分からないと答えたら、また彼が「とりあえず送ってみてよ」って。

【Stomachaches】

妻Jamiaにツアーとかフロントマンとかできるかどうか分からない、やりたいかどうか分からないって言った。するとJamiaがやってみないと!じゃないと絶対後悔するよって。最初のツアーやその次のツアーにも、楽しいかどうか分からなかった。でもある日突然閃いた―自分がイメージした生意気なフロントマンじゃなくたっていい。やりたいようにすればいいんだ!楽しけりゃいい。すると全てが変わった。小さな会場でライブしてると、やっぱりこれだ、やりたいのはこれだって。フロントマンとしての成長を見守ってくれるファンがいるってアメイジングなことだ。感謝しても感謝しきれないんだ。だんだん慣れてきた。アコースティックライブだって、ごまかしが効かないから不安になるけど、慣れてきてる。

〝俺って最高のソングライターじゃないし、最高のシンガーじゃないし、最高のギタリストでもないけど、俺は絶対中途半端なんかじゃない。それが伝わってると思う。…やってることは全てハートから来てる、調子がよくても悪くても。キャラを演じて自分を隠したりなんかしない。俺はそういう人間じゃない。〟

【MCRX】

リリースが楽しみ。Paramore Mansionでやったことがより分かると思う。まず10年が経ってることなんて信じられない。俺らは当時の曲やデモを久しぶりに聴いて、アニバーサリー版に入れたい曲を絞った。俺はParamore Mansionでの暮らしについてのエッセイを書いたし、みんなと連絡とってよく話し合った。一緒にMCRX作れて嬉しかった。ワーナーに渡すといつの間に「あの動画」がアップされて(アニバーサリーの予告編)。俺らはあの旗が使いたかったけど、あのやりかたにはちょっと驚いた。再結成のうわさが一気に広まっちゃって、その発想も理解できるけど、熱狂的ファンが多いバンドだからたぶん何をアップしても再結成と騒ぐだろう。イライラすることじゃないよ、俺らはただファンをがっかりさせるのがイヤで、変に期待させたくないよね。ただファンのために何かしたかっただけなのにあんな大騒ぎになっちゃって申し訳ない。

再結成はいつかあると思う?

〝明日は隕石が落下して地球を滅ぼすかもよ?(笑)分からんよ。さっぱり分からんよ。恐らくないと思うけど、絶対とは言えない。分からない。とりあえず今はみんなが忙しくてさ、再結成とかそんな時間ない。〟

Rayのアルバムは最高、早く出て欲しい(取材当時はまだリリースされてなかった)。ずっと聴いてる、本当大好き。彼って才能ありすぎるよ、不安になるほど才能ありすぎ(笑)

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