Thinking Out Loud: Frank Iero
Frank Ieroのひとりごと
英文はこちら取材者:Team Rock
翻訳:@frankierojapan
Frank Ieroがジャズミュージシャンと過ごした日々、気まずい学生時代、そして成功の意味を語る
Frank Iero(34才)はマイケミカルロマンスのギタリストとバックボーカルとして一躍有名になった。2013年3月の解散後、IeroがMCRキーボードJames Deweesと一緒にエレクトロニックハードコアバンドDeath Spellsを結成。そして自分のソロプロジェクトfrnkiero andthe cellabrationも結成して、翌年の夏にデビューアルバムstomachachesをリリース。Death SpellsがデビューアルバムNothing Above, Nothing Belowを7月29日にリリースすることを発表。
〝父も祖父もドラマーだった。とにかく家族のみんながミュージシャンでみんなの名前がFrankだったけん、Frankでドラマーじゃなかったら名前はAnthonyでピアニストだった。父も祖父も最初俺にドラムをやらせた。3才の時にスマーフのドラムキットを叩いたの覚えとるよ。その次はピアノ、そしてまたその次がサックス。でも俺はみんなと違って、作曲したかったけんギターにした。〟
〝父も祖父もドラマーだった。とにかく家族のみんながミュージシャンでみんなの名前がFrankだったけん、Frankでドラマーじゃなかったら名前はAnthonyでピアニストだった。父も祖父も最初俺にドラムをやらせた。3才の時にスマーフのドラムキットを叩いたの覚えとるよ。その次はピアノ、そしてまたその次がサックス。でも俺はみんなと違って、作曲したかったけんギターにした。〟
〝3才ぐらいの時に親が別居してそして7才の時に離婚した。週末は父のところに行った。楽しかったよ。平日は母と過ごして、週末はTrentonに行って父と過ごした。実は人生初のツアーは父のブルースバンドと一緒に行ったよ。Virginia Beachで数回ライブがあって、仮免許取った自分は父の車でVirginia Beachまでドライブしてライブで技術サポートやったよ。あれが人生初のツアーだった。週末は父のライブじゃなかったら祖父のライブに行った。毎週末にさ、老舗のスピークイージーでライブしよった。毎週土曜の夜、祖父がディクシーランドやビッグバンドのライブして、朝1時半とか2時までそこで過ごしとった。遅くまで起きとったらバンドと一緒にダイナーに行くことができてさ。あれはほんま楽しみじゃったよ、だって一晩中ジャズを聴いてからミュージシャンのみんなとダイナーに行けるよ?朝3時に。最高じゃった。〟
〝父が車の運転しよった時、渋滞にはまるといつも持ち歩いた古びた茶色のレーザーかばんをドラムのように叩くのがクセじゃった。新しいかばんに買い変えようとした時、父が捨てたかばんをゴミから出して自分のモノにした。かばんに付いてた鍵のコンビネーションが実家の住所だったし、俺には大切なモノだった。マイケミカルロマンスが結成した時、グッズ売り場で何か変わったことがしたくて、俺とGerardが手芸屋で布を買って、父のかばんの裏地を貼り替えてそのままグッズ売り場にしたよ。〟
〝学校は気まずかったわ。最初はうまく溶け込めなくてさ。小さい学校だったけん、25人と仲良くするか仲間はずれにされるか、それだけだった。ほいで仲間はずれのみんなはいじめられるわけ。俺は25人のクラスメイトと違っとったけど、毎日いじめを受けるのはごめんだったけん、適当にみんなの趣味に合わせるふりをした。それでなんとなく乗り越えたよ。高校生になると全ては変わった。音楽とドラッグに興味を持ち始めて、スケートボードしたり大量のマリファナやったり、基本は一人で行動することが多かった。バンドを結成できるまでの時間つぶしさ。実際結成したのが1年生の終わり頃だった。当時付き合ってた女の子の友達の彼氏と出会ってさ、彼は4年生でギターやりよったんじゃけど、俺もギターやっとるって知った時意気投合した。当時はパンクなんかクールじゃなかった。着とったバンドTがバカにされたこと、よく覚えとる。誰も楽器なんかやってなかったしさ、じゃけんやっとるやつを見つけたら即効バンドを組むことじゃ。とにかく俺が彼の家に行くか彼が俺の家に来て一緒にギターやりよった。彼がバンドを結成して学校のダンスパーティーでライブすることになった。3年生のためのダンスだったけん、ライブ終了後すぐ帰らんといけんかったけど、なんか自分かっこいいかもって思ったんよ。あれは人生初のライブだった。〟
〝バンド名をcellabration(祝い、宴)にした理由の一つは自分自身がその正反対じゃけん。俺がこういう人間じゃ:10代の頃、どっかのパーティーのこと聞いて行きたくなっちゃうじゃろ?そして行ってみると「くそ、こいつらとトークせんといけんのんじゃ」って気づき、とにかく飲むなりなんなりしてパーティーが終わるまですみっこで座って過ごす。大勢の人と一緒におるのが苦手で、なんか落ち着かないんじゃ。〟
〝もっと安定感のある生活をしとったら楽じゃろうにのぅ。ほら定時で帰れるような、もっと家におれるような生活をさ。クリエイティブでいる必要性がなくなるという心配はあるかどうかって言ったらはっきりないんじゃけど、なかったらもっと普通の人生送れるのになぁってたまに思うんよ。でもきっとムリなんじゃ。だってこんな人生しか送ったことないけんね。もうDNAの一部なんじゃろね。他の子供はスポーツ選手になりたいとか言うけど、俺はバンドメンバーになりたかったんよ。ツアーして、ぼろいバンでさ。将来はぼろいバンに乗って生活したいって思っとる子供はどこにおんねん?ほんま頭おかしかったんじゃろうな、俺。そっからだな、俺の精神不安定が始まったのは。初めてバンに乗った時はコレ最高!って思うよね。それこそが俺頭おかしいよねって思い始める瞬間なんじゃ・・・〟
〝頭がいつもいろんなことでいっぱいなんよ。自分のことで唯一嫌いなことじゃ。ダウンタイムを楽しむことができん。大半のダウンタイムは心配事ばかりしよる。じっとしてられん。一番大変なのはクリエイティブな自分と家族としての自分の両立。クリエイティブな自分が満足しとらんと父親として、夫として、なりたい自分として活躍できん。クリエイティブな自分の欲望のとりこになって気が狂うよ。ほんまに嫌でそういう人間じゃなかったらええのにってたまに思うよね。もっと安定感のある生活をしとったら楽じゃろうにのぅ。ほら定時で帰れるような、もっと家におれるような生活をさ。その欲望でさえどっか消えてくれればって思う時がある。そうしたら普通の生活送れるのに。でもそれは絶対にあり得ないことじゃ。〟
〝俺は多くは望まん。若い時はさ、ライブ会場に行く途中で渋滞にはまり、周りの車から色んなアルバムや人の歌声が聞こえてきてさ、めっちゃテンション上がったんよ。俺のアルバムもそんな風にかけてくれれば嬉しいな、ライブに行く前に気持ちが盛り上げるように。俺はそういう成功が欲しいんじゃ。〟
0 件のコメント:
コメントを投稿